2019年7月第一週、宇出津のあばれ祭りを見に行ってきた。
3年連続だ。
今年は神輿のクライマックスである「火に放り込む様」を撮ることを一番の目的に足を運んできた。
夜中に宇出津へ
石川県鳳珠郡能登町宇出津では毎年7月の第1金曜、土曜日(現在)に、能登のキリコ祭りの先陣を切って「あばれ祭り」が行われる。
「あばれ」の文字通り、結構やんちゃな祭りだ。
でも、クセになる祭だ。
自分も2017年、2018年と続けて見に行っている。
2017年には初日の大松明とキリコを。
(2017年の記事は→こちら)
2018年には二日目に神輿が川に放り込まれる様を見に行ってきた。
(2018年の記事は→こちら)
特に2018年の神輿を川に放り込むさまは衝撃的だった。
でもこのあばれ祭り、まだまだ見どころがあるという。
宇出津出身の知人曰く、川に放り込んで傷めつけた神輿を最後は火の中に放り込んでさらに傷めつけるらしい。
その話を去年帰った後に聞かされてずいぶんと後悔したもので、今年はそのリベンジとばかりに「火に放り込む」様子を一番の目的に、それだけを見るつもりで宇出津へ向かった。
そんなもので到着したのはこんな時間
夜中の1時少し前だ。
事前に調べたところ、クライマックスは夜中の2時くらいに行われるとのことで、こんな時間にやって来ている。これでもまだ余裕がある。
路地の様子
キリコや神輿も通る(通った)路地だ。
さすがにこの時間だと人の姿も少なかったが、ゼロではなかった。
新町通りの様子
奥にキリコが何基も並んでいるのが見えた。
昨年、だいたい同じ時間に通りの先にある橋の上から神輿を川に落とす様を撮っているので、記憶が蘇ってくる。
二年越しで祭りの続きを見物しているような感覚があった。
並ぶキリコ
四十基のキリコが出ているので夜中だというのに賑やかだ。
こういった伝承風景が微笑ましい
キリコの上で太鼓を教えている様子だ。
大人も叩けば
子どもたちも叩く
人口が減ってきているというニュースを見たりするので、町の祭りをこうして次世代にも継承していることに少し安堵する。
神輿もいた
今年も見事に道の上で転がされていた。
あばれ祭り二日目は神輿がメイン(一日目はキリコがメイン)で、2基の御輿が練り歩く。
しかもこうして転がしたり叩きつけたりして傷めつけ、最終的には「火に放り込む」わけなのでかなり奇特な祭りだ。
カンノジ松明も見る
昨年の続きとばかりに、ちょうど梶川へと神輿を落とし終えた頃に宇出津へやってきた自分。
このあと神輿は八坂神社へ運ばれ、その境内で火の中に放り込まれることになるのでそれを追いかけた。
梶川から八坂神社までは狭い路地を通ることになり、神輿の前後にはキリコも通るので、自分の好きな「狭い路地にキリコ」も拝めることができる。
こんな感じで
神輿より先に八坂神社に行って撮影のためのいいポジションを確保しようと、こうして先を行くキリコを追いかけていた。
するとその道中、路地脇の用水みたいな細い川で何かを焚いて火が高く昇っているのを目にした。
このように
川が燃えていた。
よくわかっていない自分は、ここで神輿を火に放り込むんだっけ?と思ってしまったくらい、よく燃えていた。
しかも、大きな松明も設置してあって、神輿が近づくのにあわせて火を入れていたのだ。
聖火のように着火
油(地元の人はガソリンと言っていたが本当だろうか?)をタオルに染み込ませて火をつけ、大松明へ燃え移していた。
二年前に撮影した初日の「キリコと大松明」のような光景だ。
でも、あくまで二日目は神輿がメイン。なんでも、この場で再び神輿が川に放り込まれるというのだ。
あばれ祭り見どころの一つ、いわゆる「カンノジ松明」というものだったのだ。
「カンノジ松明」については地元の知人にチラッと話しは聞かされていたものの、それがこの時間こんな場所で行われるなんて、自分もよくわかっていなかったのである。
神輿も到着
時間は、夜の1時半近くだっただろうか。
2基のうち最後にやってくる白山方神輿が到着。
この頃には川縁に人だかりが出来ていて、撮影しようとしても川に近づけない状況であった。
よく見えない状況の中、神輿は川へと放り込まれていた。
見えづらいけど神輿とか継ぎ手さんたちが川の中にいます
ここでも川の護岸(壁みたいなところ)に神輿を叩きつけて傷めつけているのだ。
おまけに大松明も長い竹の棒でバシバシと叩く
叩くことで火の粉を巻き上げ、護岸にぶつける神輿に火の粉もかぶせてしまうのだ。
もちろん、担ぎ手たちも火の粉をかぶるわけで、かなりクレイジーな景色である。
でも、一番映える様でもあるので、見物客は一斉にスマホやカメラを高くかざしていた。
後方にいた自分もなんとかカメラを高く持ってファインダーも覗くことなく撮影しようと試みていた。
でも…
見えません…
写せません…
自分もちょっと意地になって場所を変え、角度を変えて撮影しようとしたけれど…
やっぱり撮れません…
わかっていなかったのだから当然だけど、明らかに準備不足だ。
対岸の方に陣取っているカメラマンがいることからもわかるように早めにやって来て場所取りからしないと、撮影どころかまともに見ることすらできない。
近くにいた地元の女子ですら「何も見えん」と言っていたくらいなのだから。
でも、すごい熱気だった。
八坂神社で神輿が火に放り込まれる様を撮る
カンノジ松明を撮るのはとりあえず諦めて、「火に放り込む」を確実に撮れるように、神輿がまだ川にいる間に、先行するキリコを追いかけながら再び歩くことにした。
改めて記す、「火に放り込む」場所は八坂神社だ。
そもそもあばれ祭りは八坂神社の祭りだ。
八坂神社に到着
カンノジ松明の場所からそんなに離れていない。
境内では自分と同じように場所確保のためすでにやって来ている人が何人もいた。
ただ、カンノジ松明では川縁に人がすでにズラッと並んで最前列を全く取れなかったのに対すると、まだ余裕があった。
社に参拝
2基の御輿のうち先発していた酒垂方神輿がすでに入宮していた。
境内では火の準備
結構な勢いで燃えていた。
周りにカメラを持って陣取っている人が何人もいたことから、この中に放り込むので間違いないと、よくわかっていない自分はここでようやく確信した。
そのうち神輿も到着(ピンぼけしていてごめんなさい)
この頃には見物客も一緒になってつんだって来ているので、火の回りには人が増えてくる。
せっかくいい場所をとっていても、川のように縁がないからずんずんと自分の前の方に回り込まれてしまった。
かといって近づきすぎると神輿の邪魔になり、火の粉もかぶりそうなので場所取りは難しい。
火の回りをぐるぐる回る神輿
担ぎ手の人たちの背中等をみると火の粉をかぶって火傷しているのがわかる。
それでも熱いだとか痛いだとか言わないのだから勇者だ。
宇出津出身の知人が言うには、神輿を担げる人は町の人の中でも選ばれた者なんだとか。
キリコの担ぎ手を何年も経験して、あいつは信頼できると認められた者だけが神輿を担げるのだそうだ。
当日は酒も断ったりするのだとか。
境内の灯籠に置かれていたビールの空き缶
こういった罰当たりなことをする人はおそらく選ばれないのだろう。
さて、火の回りを神輿が回ったと思うといよいよ放り込むことに。
以下、その衝撃的な写真をいくつか羅列したい。
文字通り、神輿を火の中へ
神輿を焼いているわけだけど、担ぎ手の人たちも焼かれているようにしか見えない。
ここからまた担ぎ直したと思ったら…
またボーンッと
このように立てて投げ込むことも。
ドガーンとね
人間でいうとブレーンバスターを食らっているようなものだろうか。
さらには乗っかって火の上でグリグリとヨーイング回転
神輿の屋根が焼かれながら摩擦でも傷めつけられていく。
っていうか担ぎ手の人たちの足…
燃えてませんか?
一瞬、そのように見えた。
いえ、自分の前で見ていた人たちもそのように見えていたようで、声に出していた。
それでも男たちは火の中へ
焼かれながらも神輿を回す
熱いのなんて関係ない
なにそのメラ属性耐性って思ってしまうくらい熱がることなく神輿を操っていた。
すごいテンションの高さだ。
神輿もこんなに焼けている
でも、これで終わりではない。
手持ちの松明を持ってきたと思ったら
神輿の屋根に
装着
さすがに自分も「えっ?」っと口にしてしまった。
こんなお馬鹿な(失礼)ことまでやってしまうのがあばれ祭りだ。
もちろんこの状態で担いで…
またまた火の中へ
またまたドカンとね
もうねぇ、あまりの衝撃に笑いがこみ上げてしまったよ。
自分まで妙に気分が高揚して、人の脇を抜けて、さらに近づいて撮ってしまっていましたよ。
近いとこの迫力
焼かれた神輿は、このあと石段を登って社の方に捧げられに行くのだけど、焼かれ具合や傷め具合が足りないと突っ返されるのだ。
入宮しようとしたのにダメ出しを食らって戻ってくる神輿
そしてまた焼かれ直される神輿
ちゃんと焼かれていないと神様が認めてくれない…
焼いて壊してこそ奉納できる…
それもまた衝撃だった。
ちなみに入宮しようとして返されるという顛末が2回くらい繰り返されていた。
宮司さんや神様、なかなか厳しい。
認められるまでファイヤー!
入れてもらうまでブロークン(デストロイ)!
もうほんと、ロックです。
2回目の入宮挑戦の時の様子
屋根に松明をつけたまま石段を登っていくんだから、認めてもらう気… これ、ないよね。
またまたまたドカーン!
もう、笑ってしまう。
あっ
危ねっ
っていうシーンもあったけど、大きな怪我はなかった模様。
尻に火をつけながら傷めつけた神輿は…
見事、奉納されていきました
かなり衝撃的だったけど、神輿を見送った後、なにか多幸感のようなものがあったから不思議だ。
妙な一体感、達成感がある、これこそがあばれ祭りの、いや祭りの魅力なのだろうと思う。
見終えて
神輿を火に放り込んで燃やす、そんな耳を疑うようなことが行われていると一年前に聞かされて、これはまたもう一度足を運ばなければならないと思ったあばれ祭り。
三年越しでそのクライマックスを実際に目にしてみると、耳で聞くより衝撃的であった。
いや、昨年見た川に放り込む姿だけでぶっ飛んでいたので、ある程度予測はしていた。それを超える暴れっぷりだった。
皆さん引き上げた後、中に入って見させてもらえた
そのダメージのほど
ボロボロだ。
子供の頃、野球をやっていた時、擦り傷等々の怪我は男の勲章なんて言われてきたけど、それに似たような根性を思い出してしまった。
危ないは危ないけど、それによって認めてもらったり、絆を強めたりも出来たりするものだから、人間(日本人)の精神構造とは不思議なものである。
それをより大きく具現化したのが祭り、この宇出津では「あばれ祭り」ということなのではないだろうかと、そんなことをふと思った。
実際、その土地に留まったり、帰ってきたりするきっかけってこういう祭りだと思うので、なくなってほしくないものだ(もちろん安全には留意して)。
今回、「神輿が火に放り込まれる様」を撮るという目的は見事果たせた。
ただ、その道中に目にしたカンノジ松明をほとんど撮れなかったことが悔やまれる。
二年前から足を運び、3年越しの今年であばれ祭りをすべて見終えようと思っていたけれど、この祭りにはまだまだ見るところがあると思い知らされた。
次は映える画が撮れそうな「カンノジ松明」を目的に、また来年も足を運びたい。