7月13日に七尾でもキリコ祭りが行われていたので見に行ってきた。
玉数は少ないが、キリコが出ているときに花火も上がるというので、それらを一枚の写真に収めることを今回の一番の目的にしてみた。
七尾祇園祭へ
7月より宇出津のあばれ祭りを皮切りに能登地方のあちこちでキリコ祭り(奉燈祭り)が行われている。
七尾市にもいくつかあり、今回足を運んだ七尾祇園祭は大地主神社(山王神社)の夏祭りだ。
大地主神社(山王神社)と言ったら5月に行われるデカ山の青柏祭で知られるところだ。
(今年の青柏祭の記事は→こちら)
何度も足を運んだことのある神社ながら、この七尾祇園祭は一度も見たことがなかったのでこのたび足を運んでみた。
港の近くなので、駐車場は道の駅「能登食祭市場」か、そこが混んでいたら青柏祭のときにも停めた、食祭市場からちょっとだけ歩いたところにある広場(マツキヨ七尾中央店前)が臨時駐車場として開放されているのでそこに停めると良いかと思う。自分も今回そこに停めた。
このお祭り、祭神である牛頭天王(ごずてんのう)が納涼のために浜辺の仮宮に遷座することから「おすずみ祭り」とも呼ばれていて、実際に湊町一丁目の通り(みなと観光タクシーがあるところ)に仮宮が設けられていた。
通りの様子
露店も並んでいて、その先に神輿と一緒に神職の方々が待機していた東屋のようなものがあった。
これが仮宮
本当に仮で作られたような簡易なものであったので、ちょっと戸惑った。
お参りもできる
仮宮には賽銭箱のようなものも置かれていて、地元の方が祭用に特別なものを奉納していたり、観光客が小銭を入れたりして参拝していた。
お賽銭を入れたりすると神職の方が笛を吹いてくれる。
ちなみに自分もお賽銭で参拝してきた。
この仮宮の前に奉燈(キリコ)が次々やって来て一基ずつお参り(お祓い?)していくことになる。
花火も全ての奉燈(キリコ)がこの場に揃ってから打ち上げられるので、キリコと花火を一緒に撮るならこの近くに待機していると良い。
そのうちキリコが
現る
夜の八時くらいになるとキリコが動き出した。
各町の奉燈が計11基やってくる。
町によって多少キリコの大きさが異なるが、形はだいたい同じだ。
続々とやってくるキリコ
十字路で1基ずついったんお披露目のようなことをする。
スピーカーから各町のキリコに関するアナウンスも聞こえてくるのでちょっとしたショーのようにも見えてくる。
仮宮の前はそれなりに広い道路だけど、それでも路地なので11基も奉燈がやってくるとなると、その道がぎゅうぎゅうに狭く感じてしまう。
1基目がお祓いを受けているところ
代わる代わるこの光景が1基ずつ続き、全て終わるまで花火は打ち上がらない。
看板等の予定では9時半頃に花火の予定となっていたが、あくまで予定なので、その年のキリコの入れ替わりの時間によって変わってくる。
振り返ると仮宮の前で列になっているキリコ
お祓いを受けたキリコはUターンして十字路の方まで戻るので、車でいうと両側車線にそのうちキリコが並ぶことになる。
路地にキリコがいっぱいだ。
すれ違うキリコ
奉燈の灯りで明るくなってくるし、写真を撮る分にはものすごく都合が良い。
ということでどんどん撮る
灯籠部分の正面に書かれた文字は吉祥文字といって一基一基書かれている言葉が違う。
縁起のいい言葉や願掛けの言葉がだいたい3文字で書かれている(ときどき4文字のものもある)。
基本、難しくて読めない…
読めないけど、アナウンスで読み方や意味なんかも説明してくれたりすることもある。
町によって個性が出るので、1基ずつ読んでいると楽しい。
灯籠の裏面には絵が描かれている
これもまた町によって一基一基描かれているものが違う。
この綺麗な絵のおかげでキリコは「後ろ美人」とも呼ばれている。
ちなみに登れます
灯りの調整をしているんだと思うけど、こうして登っている方もいた。
怖くないのだろうか? 手慣れたものだ。
活気よく持ち上げて傾いたりも
みんな一斉にシャッターを切っていた。
中には紙吹雪を飛散させていたキリコもいたけど、地元の中学生たちが「あれはズルい」と言っていたのが面白かった。
花火と撮りたい
こうして仮宮の前に集まってくる奉燈たちを撮っていると、そのうち9時半も過ぎてしまう。
それでもまだ11基すべての奉燈は揃っていなかった。
全部揃ったのは夜の10時くらいだったろうか。
予定より30分押し
この頃になると、担ぎ手のほか見物客も増えてくる。
花火がもうじき打ち上げられるとの期待感も次第と湧いてきた。
いつ頃打ち上げられるかアナウンスもあるので準備もしやすい。
打ち上げは海の方で行われるので、カメラの向きは海側に向けておく必要があるだろう。
ただ、その打ち上げ花火、「一撃花火」と呼ばれていて打ち上げる数が少ない。
時間にしても5分もなさそうで、数少ない玉の中でしっかりと写真に収めなければならないので緊張してしまう。
おまけにこの日、この頃に小雨ながら雨も降ってきて、カメラを水濡れから守りながら構える必要があった。
まだまだカメラ初心者の自分としてはハードな条件であった。
なんとか撮った写真を以下に並べたい。
始まってしまった
打ち上げられてすぐに、連写にするの忘れたことに気づいたのだけど、設定している隙がないくらいポンポンと花火が上がっていた。
どうにかキリコと花火を一枚にきれいにおさめたい
どうにか
どうにかして
おさめたい…
…撃沈だ。
焦ったせいで写真は傾くし、ピントもあまり合っていないし、花火を撮るのって難しいと改めて思い知らされた一撃花火であった。
何がいけなかったんだろう…と反省してみるが、フォーカスはキリコに合わせたほうが良かったのだろうか?としか思い浮かばない。
出直すしか…ないですな。
またリベンジのため来年以降もこの祭りに来ないといけないなと、そう思った。
花火の後もキリコを追いかけた
1枚の写真に収めるという目標は、本当に収めただけで失敗に終わったわけだけど、花火が終わったあとも自分はキリコを追いかけた。
この11基のキリコは大地主神社(山王神社)に向かっていくのだ。
祭の余韻まで味わいたく、見届けたくなったのだ。
細い路地を通ってくる
こういう狭いところを通るさま、好みだ。
ゆっくり、ときに休みながら通るので時間はそれなりにかかる。
そんなもので…
神社に先回りした
青柏祭のとき以来だ。
花火が終わってすぐであったので見物客もほとんどいなかった。
この時間だと場所取りもしやすい。
鳥居の正面、写真でいうと手前側の広場にキリコがやってくるようなので、鳥居の前で待機することにした。
広場には篝火がある
この周りを奉燈が疾駆するそうなのだ。
その様もぜひ撮りたくなった。
しばらくして最初の一基が到着
このとき、夜の11時くらいだったろうか。
花火が10時くらいだったので、それから1時間近く経っている。
自分もずいぶんと長く待ったものである。
奉燈が入ってくると見物客も急に増えるし、スピーカーからアナウンスも聞こえだすしで境内が一気に活気づく。
いつの間にか鳥居の前にアナウンスブースも設けられていた
にわかに人だかりができるし、前の方に回り込まれるしで、場所取りはやはり難しい。
それでも近いところから撮影できた
疾駆するキリコがギリギリのところまで迫ってきていた。
近すぎてぶつかりそうになる危うさもあるものの、その迫力は見ごたえあった。
ということで近いときばかり撮る
近いのばかり
近づくものから
撮る
撮る!
撮っていく!
子どもたち、夜遅いのにまだまだ元気だね
お年寄りだって元気
おじいちゃんと呼ばれていてもまだまだ担ぎ手の現役…すごい。
このあと、やって来たキリコは篝火を中心に広場の端の方で並べられていった。
並べられていく様子
車が駐車するようにスペースに入っていくんだけど、勢い余って道路の方に出そうになるキリコが数基いた。
こんな時間でも活力がみなぎっている様子だった。
重いキリコだ、それくらいみなぎるものがなければ担げないのかもしれない。
笑顔が眩しい
ピントがずれてごめんなさい。
夜で暗いぶん、光量とオートフォーカスの都合上、どうしても灯りの方にフォーカスしてしまうのでずれてしまう。
でも、その笑顔は夜だってことを感じさせない。
11基のあとに神輿も到着
その神輿も近いところで撮る
このように最後にきた神輿は鳥居もくぐって社の前まで進んでいく。
そこでまた短い儀式が行われるのだ。
神輿も無事到着し、終わっていく雰囲気に
急に厳かになると、もう終わってしまうんだなと少し寂しさがあった。
実際、このあと神輿は境内の倉庫の中へ片付けられていく。
そうして「七尾まだら」によってこのお祭りは〆られていくのだった。
踊るのは子どもたち
「七尾まだら」とは七尾に古くから伝わる祝儀唄だ。いわゆる民謡です。
奉燈の順番は毎年クジで決めるそうなんだけど、クジで最後になった町がこの最後の「七尾まだら」を受け持つんだとか。
今年は本府中町だった。
会長っぽい方たち年長者が唄い、子どもたちが踊っていた。
この唄がまた良くてね、ふるさとを感じさせるようでしんみりとしてしまうんだよね。
唄と手拍子が響く
自分も撮影を忘れて手拍子を一緒に打ってしまっておりました。
七尾の人間ではないけれど、最後に一緒になって余韻を味わえたようで、その一体感にふと胸が熱くなるのだった。
まとめ
以上、自分が初めて体験した七尾祇園祭の様子だ。
花火とキリコを一枚の写真に収めたいというミッションは上手く行かなかったけれど、花火の後もキリコを追いかけて、そうして最後に「七尾まだら」で手拍子を打てた一体感のおかげで、失敗の凹みっぷりもすべて消し飛んでいた。
昨年、青柏祭を夜に見に行ったときも、最後に一体感を体験している。
見に行っただけで、祭に参加しているわけではないのに心地よい一体感を余韻として味わえるのが七尾の祭なのではないかと思った。
その一体感を求めてまた来年以降も来たくなった。
去り際の風景
また来るときまでにもうちょっとカメラの腕を上げたいものである。