穴水町の中居という地区にもキリコ祭りがある。
規模は大きくないが、屏風祭りとも呼ばれるちょっと変わった風習があるので見に行ってきた。
穴水町中居地区へ
その祭りは穴水町の中居というところで行われている。
穴水町の中居地区、あまり聞かない名前だ。
自分もそれまで行ったことがない。
どのあたりにあるのかもよくわからず、ナビだよりで向かった。
とりあえず地図
こうして地図を見てみてもやっぱりどのあたりなのかピンときづらい。
国道249号線を走っていると差しかかかるということぐらいはわかる。ということは、これまで自分も何度かこの地区を通過していたことになる。
ナビだよりでやってくると、キリコが巡行する町の中に車が入っていくことになるのだけど、はっきり言って住宅地で、駐車場らしい駐車場がない。
仕方なく、自分は地図でも記されている能登中居鋳物館に停めさせてもらった。
この中居って鋳物で栄えたところなのだそうだ。
なお、後で気づいたことだけど、この能登中居鋳物館の直ぐ側に駐車場もあった。
見ずらいけど駐車場の看板(橋のそばにある)
運転中には気づかないよ。
祭りは、鋳物館より南方、橋を渡った先を中心に行われると考えて良い。
中居キリコ祭りは、地図にものっている神杉伊豆牟比咩神社の祭礼なのだ。
橋から249号線を望んだ景色
暗くて分かりづらいけど、遠くにライトアップされた「ボラ待ちやぐら」が見えた。
249号を走っていると穴水で目にするものなので、あのあたりかと気づかれる人もいるのではないだろうか。
同じく橋の上から町の方を望む
ぼんやりと家の明かりがついているのがわかるだろうか?
軒下だけではなく、部屋の方もぼんやりと明るい。
近寄ってみると家の中に祭壇を設けているのがわかった。
このように
各家で祭壇を作って、自慢の屏風を飾ることがこの中居キリコ祭りの風習なのだそうだ。
その風習が、この祭りの見どころの一つでもある。
神社方面へ歩く
キリコも見たいと神社方面へ歩きだすと、祭壇を作っている家を何件も目にした。
軒下に提灯を吊るしている家々がそれだ。
カメラを持って歩いていると、地元の方々が声をかけてくれたので、祭壇と屏風を撮影していいですかと聞いてみたら、結構簡単にOKをもらえた。そもそも祭りに訪れる人々に見てもらうために屏風を飾っているらしい。
網戸を開けて撮ってもいいよと言ってくれるおばあちゃんもいた。
お言葉に甘えて開けて撮らせてもらった
立派だ。
ちなみにこれら家々の祭壇、ただ自慢のために作っているのではなく、神輿とキリコの巡行が開始されるとちゃんと神事に使われる。
それらの様子は本記事の後半で記したい。
神杉神社から神輿
家々の屏風を順に眺めながら中居の町中を歩いていると、そのうちキリコが見えてきた。
まだ動き出す前のもので、小さな子供がその上で太鼓を叩いたりしていた。
停車中のキリコ
小さな町なので、キリコの大きさもそんなになく数も合わせて3基であった。
キリコが止まっていたそのあたりで、神社へ続く路地もあった。
ちょっとした坂になっている
結構暗いが、御神燈の提灯が並んでいるのでまだ歩けるし、神社への道筋もわかる。
自分が到着したのは夜20時頃で、祭りそのものが始まるのもこの頃だ。
拝殿の前に到着
大きな社ですごく立派だ。
その社の前に神輿が置かれていた。
神職の方や担ぎ手の方々など祭り関係者の皆さんが差し向かいに並んで座っていて、お神酒を頂いたりしていた。
挨拶中
代表者の挨拶があり、食事のようなものもとると、そのうち神輿を担ぎ始める。
担ぎ手の名前も読み上げられていた。
キリコ祭りを冒頭の神事より見ることってなかなかないので貴重なものを見ているような感覚があった。
動き出す神輿
石段を下る神輿
こうして神社を出立した神輿は町中を巡行することになる。
その際、先程の屏風を飾って祭壇を設けていた家々を一軒一軒回っていくのだ。
坂の途中の家で
神社からキリコが停泊していたところまでの坂の途中にも一軒、祭壇を設けていた家があった。
キリコと合流する前であったが、その家より回ることになる。
ちなみにこのような祭壇が設けられ屏風が飾られていた
やっぱり立派な屏風だ。
家によって飾られている屏風も当然違う。
神輿が登場したときの図
担ぎ手たちは神輿を下ろすと、家の主と祭壇を前に唄を歌いだす。
「中居囃し」という祭り唄だそうだ。
民謡のような響きで、聞いているだけで地元民ではないのに懐かしくなってきた。
この唄、かなり好きだ。
動画がなく、当記事では聞かせられないのが残念だ。
キリコと巡行
神輿とキリコが合流
神社からの坂を下ると、下った先で待機していたキリコと合流し、そこからは一基のキリコの先導のもと、もう2基の奉燈を引き連れて神輿が祭壇を設けている家々を回る。
中居囃しを唄っているときも神輿の後ろにいる奉燈
キリコの灯りのおかげでより軒下が明るく見えた。
中居囃しを唄っているときには供えてあったお酒をこのように地面に注いだりもしていた。
ご覧のように撮影車も含めてちょっとした人だかりになっている。
途中、外に祭壇が設けられていたところもあった
別の神社のものだそうで、その神社へと続く道の先端あたりに設けられていた。
ここでももちろん神輿がとまり、儀式が行われていた。
巡行中の奉燈
キリコの上には人も乗れて、子供も乗っていればお年寄りも乗っていた。
その上で太鼓や鉦を叩いていた。
このように
遠くから聞いていると、この太鼓や鉦の音が静かな町によく響く。
祭りをやっているんだなとしんみりと気付かされて、風情がある。
奉燈を背後から見ると幕のようなものが
薄いベールのようになっていて、夜で奉燈の灯りだけだと演奏者の影だけが映るので、どこか秘密っぽく且つ高貴な感じがする。うまく撮れないかなと好奇心も湧いた。
道中、高いところに寺も見えた
同じく中居にある地福院というお寺だそうで、その鐘がライトアップされていて、小さな天空城のように見えたのでキリコと撮ってみた。
別の角度から
自分のカメラの技術では、この程度しか撮れませんでしたが…
上手い人ならもっといろんな工夫をして撮ってくれそうな気がする。
どういう決まりでその家(数軒)に上がっていたのかちょっとわからなかったが、こうして屏風をバックに祝詞を上げたり演奏したりしている姿は絵になりますな。
こういう光景、ものすごく微笑ましい。今どきですな。
屏風が綺麗だから撮りたくなるんですよね。
ということで、自分も撮影した屏風の写真を以下に数枚並べたい。
誰もいないときにきちんと撮れたのは…この3枚くらい
本当ならすべての屏風の写真を並べたいところだけど、キリコや神輿を追いかけながら撮っていて、また動画、静止画問わず撮影者もなにげに多くてうまく撮りきれないものがいくつもあったので割愛させてもらった。
特に儀式中は、神輿を含め、家の前が小さな人だかりになっているので屏風だけを撮るというのはまず無理だ。
神輿が過ぎてしまうと、網戸を閉めてしまう家々も結構多かったので、人が退けた後から撮るというのもこれまた難しかった。
となると、神輿が近づくちょっと前(この頃なら網戸を開けている)に先回りして撮るしかない。
このことにハッキリと気づいたのが、巡行の半ばを過ぎたくらいであった。
「屏風だけを撮るならキリコや神輿よりちょっと先回り」これ重要です。
柱松明もある
橋を渡るキリコ
自分が駐車したところから最初に渡った橋も、キリコが通過する。
もっと光量があれば、川面に映るキリコなんてものも撮れるのだろうけれど、自分の今の装備ではちょっと厳しかった。
頑張って撮ってこれ
橋が暗くて見えてません、申し訳ない。
何にせよ、巡行の後半は川の近くの家々もまわっていた。
その河畔の広場に柱松明も設けられていてファイヤーな情景も目にすることができる。
そこが、この祭りの一つのクライマックスになるようなので、撮ってみることにした。
時間は夜22時くらいだった。
自分はここでも先回りしてみた。
暗い…
道路から河畔の広場まで藪の中を突っ切っていくようなものだった。
一応、人が通れるくらいには踏み固められていたし、写真のように(見えづらいが)地面に誘導灯のようなものも埋め込まれていたので、それに沿って進んでいけば柱松明の方まで行ける。
なんとかいけた
けど、着火前なのでやっぱり暗い。
見えづらいけど柱松明には御幣も刺してある。
その御幣を取った集落は五穀豊穣になるといわれているのだ。
それにしてもここまでの道のり、神輿やキリコはどうやって通るのだろうかと考えていたら、どうやらこの柱松明の近くにはこないようで、振り返ると…
道路で待機していた
そりゃ、そうですわね。
やって来るのは若衆(わかしゅ)の方々で、揃うと着火が始まった。
ファイヤー
風はそんなに強くなかったのだけど、あっという間に燃えていた。
想定以上の速さだったようで…
火が落ちるのもはやい
刺してあった御幣も次々と落ちてくる。
御幣を手に入れるには火に近づかなければならないわけで、なかなか危険だ。
曲芸のよう
燃えてて危ないけど、なんか画になる。
でも最後の一本だけしぶとく落ちない
この一本だけ気まぐれのように落ちてこない。
集落の五穀豊穣にはちゃんとゲットしてキリコの方に持ち帰らないといけないので必死だ。
こんな火の近くで回収しにいっている
度胸を試されますな。
このあと柱松明が崩れて、特に大きな怪我などもなく無事に御幣を回収できていたようなので良かった、良かった。
キリコにくくりつけられる御幣
この瞬間に一つの達成感のようなものがある。
同時に今年の祭りも終わっていくのだなぁとの、一抹の寂しさもあった。
感想
御幣をくくりつけた奉燈と神輿はこのあと、もう少し巡行が続くことになる。
自分は時間の都合で柱松明を見届けた後、帰ることになった。
柱松明のあったところがしばらく燃えていた
柱松明の火で、最後はちょっとやんちゃな一面もあるけれど、穴水の中居キリコ祭りは全体的に綺麗で情緒ある祭りだった。
屏風祭りとも呼ばれるだけあって、特に家々の屏風が美しい。
その屏風と祭壇の静的な美しさは、ワッショイワッショイと主に動的な迫力が際立つ他のキリコ祭りにはない魅力だと思われる。
あと、古い家がいまもいくつか残っていて、御神燈の灯りに浮かぶそれら家並みを見ているだけでも趣があった。
昔の家は天井も低い
金沢のひがし茶屋街などでも天井の低い家並みを見れたりもするけど、能登方面の穴水でも見れるなぁと思ってみたり…
末永く続いてほしいものだ。
来年以降また訪れる機会があれば、もっと屏風と、川面に映るキリコをうまく撮れるようになりたいものである。