石川県内のまん延防止等重点措置が10月に入って解除され「奥能登国際芸術祭2020+」でもすべての作品が鑑賞可能になった。
一日でそれらすべてを回れるわけもなく、またまたまたまた鑑賞旅へ行ってきた。
10月4日(月)のことである(雇用調整助成金の関係で会社が平日休みになっておりました)。
解除前の9月から数えると第四日目だ。
その1である今回はムン・キョンウォン&チョン・ジュンホさんの「再会」を紹介したい。
作品が密集している正院エリア
正院エリアには計7つの作品が展示されていて、すべてのエリアの中で一番多い。
そのうち今回紹介する作品番号23を含めて4つの作品が、同じ駐車場で車を停めて回れてしまう。
駐車場の案内板
作品番号20~23を兼用している駐車場だ。
自分が来た時まだ1台も停まっていなかったのでどこが駐車場なのか分かりづらかったけど…
このように停めた
間違っていたらごめんなさい。
なお、写真奥には作品番号22がある家も見えているが、今回はそこではなくNo.23を紹介する。
位置関係としてはこうなっている
この地図からもわかるように作品の展示場所が密集しているのである。
なお、地図に描かれてある信号のある交差点は…
「正院本町」の交差点だ
写真でいうとこの交差点を右に曲がると先程の駐車場にたどり着ける。
正院にくると奴振りのある正院キリコ祭りを思い出してしまう。
(正院キリコ祭りに以前見に行ったときの記事は→こちら)
23番 ムン・キョンウォン&チョン・ジュンホ「再会」
No.23は韓国のムン・キョンウォンさんとチョン・ジュンホさんによる作品だ。
地図に従って歩いていくと海辺にこんな工場跡が
能登瓦を製造工場だったところのようだ。
能登瓦といったら能登方面の古い家でよく見られる真っ黒い瓦だろう。
黒い瓦屋根の家が能登方面には多く、自分の祖父母の家もやっぱり瓦は真っ黒だった。
この瓦の工場跡がムン・キョンウォン&チョン・ジュンホさんの作品の展示場所となる。
23番だ
タイトル名は「再会」(公式HPでも「再会」)となっているが、公式ガイドブックでは「雨のラプソディ」となっていた。
2020から2020+になって変わった可能性がある。
まあ、その点はおいていおいて、ラプソディと付けられていただけあって、この作品も写真泣かせの「音」のアートだった。
ここから入る
入る前から「音」は聞こえている。
内部の設備や残されていたものを打楽器のように使って鳴らしているとのことだった。
内部
ほんと、工場跡だ。
バリケードのように柵が設けられているので室内の移動できる範囲はそんなに広くない。
この通路の奥まで
こうして中に入ってみると打楽器のような「音」はさらに大きく聞こえてくる。
どんな音かと言うと、トタン屋根や金桶に落ちる「雨垂れの音」みたいな音だ。
雨垂れのようなコツン、コンッ、コトンッといった単発の音が四方から聞こえてきて、緩やかな曲のように、もしくは癒やしの音のように響くのだ。
なるほど「雨のラプソディ」と付けたくなったのもわかる。
面白いのは、どこでどの様に鳴っているのかわからない点だ。
工場内を可能な限り見回す
コトンッ
瓦の窯跡だろうか?
トンッ
どこで鳴っている?
ココンッ
天井を見上げても…
タンッ
何を鳴らしているのかわからない。
何をどう叩いたらあんな屋根に落ちる「雨音」みたいな音を出せるのか気になって仕方がなかった。
こんな物にまで目を光らせる自分
レタスの段ボール箱であんな音は出せないか…。
そのうちこんな部屋を発見
入れそうなのでこの部屋にも入ってみた。
なんか乱雑
でもそんな部屋の足元に音が鳴りそうなものを発見。
これか?
たしかに可愛らしい形をした打楽器装置のようなものに見えなくもない。
でも、自分が見ている限り、これが動いて音を鳴らしていたということはなかった。
ミステリーだ。
結局わからずに退場
どうトタンを打つ雨垂れのような音が鳴らされているのかわかってしまうと、それはそれで興ざめになるので、わからないことが正義であって正解と思って退室した。
外に出てみて、屋根から斜めに突き出た煙突から出ているんじゃないかとも考えたくらい、最後まで気になってましたけどね。
音の発生源を撮れないと、写真ではこの作品の魅力がちっとも伝わりませんので…
感想
「音」を使ったアートは、写真では伝えきれない。
当たり前だけど、その当たり前を改めて噛み締めた作品であった。
とりあえず雰囲気だけでも伝わればと思う。
諦めきれずに外からも音の出どころを探す自分
この太い管からいい音が響いているような気がしていたので、この管の中に装置が隠されているんじゃないかと外側から写真を撮ってしまっていた。
しかもちょっと興奮しながら。我ながら何をやっていたんだと思う。
伝えきれていないけど、そんなもので、なんだかんだと自分自身は作品を楽しんでいたのであった。