石川県内のまん延防止等重点措置が解除されてすべての作品が鑑賞できるようになった「奥能登国際芸術祭2020+」へ10月2日に見に行ってきた。
3回目の鑑賞旅である第三日目もこれで最後だ。
今回は終了時間ギリギリに見に行ったカルロス・アモラレス氏の「黒い雲の家」を紹介したい。
終了15分前に吉ヶ池の空き家へ
一つ前に同じ若山エリアにある「チームKAMIKURO」の作品を1時間近くかけて鑑賞してしまっていたものだから、カルロス・アモラレス氏の「黒い雲の家」が展示されている場所へ到着したのは公開時間終了の15分ほど前であった。
「チームKAMIKURO」の作品がある旧上黒丸小中学校から車でどれくらいかかるかもわかっておらず、間に合うか間に合わないか乾坤一擲の気持ちで向かっていた。
道もわかっていないし山道だし路上のマップ案内板は分かりづらいし雨降った後だし焦るしで、正直怖かった。
そうして到着したのが吉ヶ池(よしがいけ)というところ
これ、池の名前かと思ったら地名だった。
若山町吉ケ池というところがあるのだ。
そんな事もわかっていないのだから、そりゃ焦るというものだ。
この看板の奥に目的の空き家がある。
こちら
本当に普通の家だ。
作品を手掛けたメキシコ人のカルロス・アモラレス氏は「黒い雲」というインスタレーション作品を世界各地で展開してきた方のようなのだけど、ギャラリー空間ではないこんな民家で制作したのは今回が初めてのようだ。
44番 カルロス・アモラレス「黒い雲の家」
44番だ
受付は玄関を入ってすぐのところにある。
玄関を入ると受付を済ます前から作品が見えるので入った瞬間から圧倒される。
外側から見たらただの民家なのに、その内側は違和感が際立っているのだ。
このように
家の中あちこちに黒い蝶(蛾もいるらしい)。
床にも柱にも壁にも畳にも神棚にも黒い蝶まみれなのだ。
もちろん紙でできた創作物で本物の蝶ではないが、この侵食ぶり、しかも色が黒だけに一見して禍々しさまで感じ取ってしまう。
日本人の自分にとっては黒って喪服のイメージがあるからか、この部屋の黒蝶が服喪の新しいスタイルなのかと思ったくらいだ。
実際にカルロス・アモラレス氏も自身の祖母がなくなってから「黒い雲」シリーズを各地で展開するようになったということなので、あながち自分のそのファーストインプレッションも間違っていないのかもしれない。
駆け足で撮影
時間があまりなかったのでどんどん撮影。
掛け軸だってこのように群がられている。
御膳にだって
火鉢にだって
神棚にだって
柱にだって
階段にだって
端から端まで
この家に当たり前のように住み着いて、それぞれで羽を休めている。
誰もいなくなった家を黒い蝶が占拠する意味を考えると深く広くなってインスタントに答えは出ない。
家族で来ている小さなお子さんたちもそれら黒い蝶をスマホで何枚も撮影していたけど、彼ら彼女らの世代では何を感じ取っていたのか気になるところだ。
案外、キレイだとか、かわいいだとか、カッコいいなんて感情で鑑賞し、撮っていたのかもしれない。
自分としても、撮影しながら最初に感じた禍々しさや違和感というものはそのうちに薄れていって、逆に妙に愛着が湧いて、いかにキレイに撮ってやろうかとそんな情みたいなものを持ち始めていた。
一匹一匹表情も違ってみえて、撮れば撮るほどそれぞれが可愛く思えてくる。
誰かが亡くなり、いなくなった代わりに、無数の様々な表情をもった蝶を送ってきた…
これで寂しくならないように、との意味なのかはしれないけど、そんなやりとりを亡き人と交わしているようで、家族の絆を垣間見るような心地がするのであった。
感想
公開終了時間の17時ギリギリまで現地にいて(なんだったらちょっと過ぎていたかもしれない)、急いで撮影させてもらった。
本文中にも書いたけど、撮れば撮るほど蝶が可愛く見えたし、そんな蝶を撮っている自分が楽しくなってきて、去り際は後ろ髪を引かれる思いを少しした。
去り際の一枚(玄関の土間より)
一番寂しそうな画になってしまった。
少しじゃなくて、だいぶ後ろ髪を引かれている。
もっとうまく、もっとキレイに撮ってやりたい欲求が働いてしまっているんだから、最初の喪に服したような印象なんてものも忘れてしまっている。
同じ時間に鑑賞していた家族連れの方々も、「あれ、もう時間?」みたいにだいぶくつろいでいたので、この空間、慣れてしまうと案外と居心地が良かったりするのかもしれない。
外から見ると…
間違いなく居心地がよく、和んでしまいそうな田舎の家だ。
この黒い雲の家で半日過ごしたらどんな感情が湧くのだろうか…
やっぱり居心地がいいのか、それとも気が狂い出すのか… 第三日目最後にそんなことまで考えてしまった。