7月、穴水町では「長谷部まつり」というものが行われる。
その祭りでは武者行列もあるというので見に行ってきた。
穴水の長谷部まつり
7月14日に穴水町で「長谷部まつり」が行われていた。
長谷部まつりとは、穴水城主だった長谷部信連(平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した武将)を偲ぶお祭りだそうだ。
自分も最近になってそんな祭りがあることを知った。
前日には前夜祭、当日夜には屋形船も出されるそうだけど、当日昼に行われるという武者行列に興味が湧いたので、このたび見に行ってきた。
子供の頃、KOEIの歴史シミュレーションゲームをよくやっていたせいか個人的に武将というものに惹かれるものがある。
ということで穴水役場に到着
この日は町内いくつかのスポットが臨時駐車場になっていて、町役場の駐車場もその臨時駐車場に数えられていた。
ほかにはメイン会場のある穴水港あすなろ広場や、町役場ちかくの公立穴水総合病院の駐車場にも停めることができた。
自分は総合病院のほうに停めて、歩いて役場の方まで来ている。
写真でいうと右上奥の建物が町役場だ。
そこから続く川沿いのこの道を手前側に進んでいくと神社が見えてくる。
振り返ると幟
幟が立っているのでわかりやすいかと思う。
この道をまっすぐ(湾曲しているが)進むとそのうち左手に…
まつりの雰囲気バンバンな神社が現れる
その名も「長谷部神社」だ。
その名の通り長谷部信連公を祀っている神社だ。
武者行列もここよりスタートするのだ。
武者が待機中
ご覧のようにちゃんと甲冑を来て歩く。
2019年は長谷部信連公役を太神楽曲芸師の翁家勝丸(おきなやかつまる)さんが演じていた。
兜をかぶっていない武者が、そうだと思われる。
ほか、奥方役や若君、姫君、武将数名、女武将数名もいるのだけど、それらは一般の人たちで、穴水町在中(もしくは勤務)の方々が応募しているんだとか。
馬もいます
サラブレッド、かわいい。
長谷部信連公はこちらの馬にまたがって行列に参加する。
信連公がこの馬に跨がらないと行列は始まらない。
でも跨るまで、実はこれから少し時間がかかっている。
信連行列の出発を見る
パンフなんかの予定では、パレードが昼の1時よりスタートと書かれてあった。
それにあわせて自分も1時前に穴水に入り、神社の前で待機していたのだけれど、1時になっても行列は始まらなかった。
1時には川を挟んで対岸にあるあすなろ広場より太鼓の音が聞こえてきたので祭そのものは始まったような様子であったが、神社の方では始まるどころか信連公が馬にも跨っていなかった。
カメラを構えて待っているとき地元の写真館の方が話しかけてくれたのだけど、その方が言うには、なんでも先にパレードがスタートするらしい。
1時スタートというのはあくまでパレードであって行列ではないようなのだ。
長谷部まつりには「賑わいパレード」というものも当日昼に行われる。
有志で参加した複数の団体が町役場より行進するようなのだ。
それを聞いて自分はひとまず町役場の方に戻った。
始まっていた
パレードがすでにスタートしていると聞かされたのは1時をもう過ぎた後であったのでパレードのスタートをものの見事に見逃してしまっている。
橋を渡っていくパレードの方々
メインの武者行列は、行進全体で見ると最後になるようなのだ。
パレードのスタートは見逃してしまったけれど、今回の一番の目的は武者行列を見ることなので、そのスタートだけは見ようと、パレードの団体いくつかを橋のそばで見送ってから、またまた神社の方に戻った。
神社はちょうど神事が済んだ頃だった
神輿もいる。
地元の写真館の方が言うには、この神事が済むといよいよ行列の開始となる。
いよいよ武者らが出てきた
先頭の方が手に持っているのは長家の馬標であった「なあげそうけ」だ。
金色のざるが特徴的だ。
ナッパを洗う「菜上げそうけ」というザルを長家の殿様が「名上げそうけ」と縁起のいいものに聞き間違えたことからザルに金箔をはって馬標にしたらしい。
いさましく出てきた
こうしてみるとかなりの厚着だ。
7月の中旬で普通に半袖じゃないと過ごしづらいくらい暑かったので、ひとえに大変そうである。
名乗りを上げていざ出陣(出発)
この方、長谷部信連ではない。
名乗っていたけど、詳しくない自分としては誰なのかよくわからなかった。
多分、配下の者である。
それでいて一番良く喋っていたと思う。
なんにせよ、この方の一声により行列はスタートするのだった。
あとに続く男武将、女武将
皆さん若い。
自分は鎧とか着た経験が一度もないので、若いうちにこういう体験をできている彼ら彼女らが羨ましい。
奥方、若君、姫君もあとに続く
この季節ではちょっと暑そうだけど、行列に参加したって相当な思い出になると思う。
この車が行列を先導している
出発の合図もされると、専用の音楽もこの車より流され行列は行進していた。
デカール系が派手というよりなかなかかわいらしい。
音といったら法螺貝も鳴らしていた
この役、おいしいなぁと思う自分であるが、音楽に嗜みのない自分はもちろん法螺貝もふけない。
いいなぁ、うらやましいなぁと思うことばかりである。
ところで、肝心の長谷部信連公の姿が見えない。
どこにいるんだと思っていたら…
ちょっと遅れて登場
重役出勤みたいなものだろうか。
さすが殿様。
武将たちは先に行ってしまっているけど、まあ、馬なのですぐに追いついていた。
こちらが殿様
太神楽曲芸師の翁家勝丸さん、凛々しい。
写真としては電線が入ってしまっているのが我ながら失敗だ。
行列の最後は神輿が数基付いてきていた
神社のお祭だなと思える風景の一つ。
こうしてみると本当に町の中を歩いているので電線が入って当然だ。
むしろこれも日本の風景だと思えば、電線が入ってもそれもまた日本のお祭りの風景だ、と自己弁護のように主張したい。
パレードを追いかけて商店街っぽい通りへ
武者行列を正面より
こんな感じで武者行列は町中を進んでいた。
武者行列の出発の時も見れたので、先行していたい賑わいパレードの方も追いかけてみた。
どのような団体が参加していたのか興味が湧いたからだ。
太鼓パレード発見
一つ前を行進していた石川県太鼓連盟の方々。
見ていたら途中の脇道からパレードコースに合流していた。
祭りと言ったらやっぱり太鼓。
大きな太鼓に跨りながら叩くって姿が斬新だった。
ちなみに太鼓はもう一団体、輪島の「和太鼓 虎之介」もいた。
さらに前には何やら航空自衛隊の車がいた
ちょうど神社の前の交差点(大町交差点)で町民の皆さんにお披露目のパフォーマンスをするところだった。
神社というのは穴水大宮だ。
かつて自分も参拝して当ブログでも記事にして報告している。
体育会系のような顔をした狛犬がいたところだ。
(穴水大宮の記事は→こちら)
自衛隊の人たちこんな格好で…
踊って
ました
「学園天国」の曲に乗って踊ってました。
普段はまず見られないであろうおちゃめな一面を見せてくれていた。
敬礼で〆る
なんか、ずるいって思えるくらいかっこいい。変な格好をしているのに。
「和太鼓 虎之介」の演奏も同じ場所でやっていた
叩いているの子供だと思うんだけど、この格好良さはなんなんだろうね。
自分は大人なんだけどそのバチさばきに惹かれて、楽しそうなリズムに魅了されてしまってたんだよね。
ソロでのパートがもう魅せあいのようだった
和太鼓って、毎度見るたび、耳にするたびにやってみたくなる(リズム感無いんでまったく自信はないですが)。
あそこまで楽しそうに叩ける彼ら彼女たちがうらやましい。
武者行列ももちろん同じ場所でお披露目
この十字路のちょっと手前の沿道では距離が近くなるからか写真も撮りやすかったので、動くのが苦手な人はこのあたりで陣取って待ちながらパレードを撮るというのもありかと思われる。
近くを通ってくれるので
カメラ目線にもなりやすい
遠くをぼやけさせるくらい近くに
これ、別に自分自身が道路に出ているわけではない。それでもこの距離で撮れる。
多くの人が道路脇で腰掛けていたけど、その意味がよくわかった。
神社の前を過ぎると商店街っぽい道に入ってくる行列
先行していた賑わいパレードの一行も同じ道を通っている。
こんな道を通ったの、自分としては初めてであったので行列やパレードを追いかけながらその町並みにも目が移ってしまっていた。
民家とともにお店も並んでいた
ファッションプラザ「バル・こばやし」
虎之介が演奏するのは「七海屋」の前
村田時計店の前を通る石川県太鼓連盟
こちらは水口荒物店
さらに先の方に進むと…
西尾写真館の前では穴水音頭踊り一行の姿も
この踊り流しも長谷部まつりの名物になっているらしい。
やっと追いつくことができてその踊りを眺めさせてもらったけど、踊りもいいですな。
全くやったこと無いのに見ていると参加したくなる。
ちなみに長谷部神社前で話しかけてくれた地元写真館の方というのは、この西尾写真館の方だ。
このように地元の人達の生活の支えになっていそうなローカルなお店をいくつも目にできた。
都会のチェーン店では味わえないそれらのノスタルジックな雰囲気に惹かれるものがあるんですよね。
そんな町並みにとけこむ「としぼう」
「としぼう」は自衛隊石川地方協力本部のマスコットキャラクターだ。
手を振ってくれるアイアンマンマスクのアカレンジャー
なんか、心があったかくなる。
この通りの店々だって後継者問題等で決してこれから先どうなるかわからないというところも少なくないはず。
それでもこうして地域のみんなで祭りに参加して町を盛り上げていこうとする心意気が伝わってきて、ちょっぴりじ~んとくる。
通りの家々の軒下には「なあげそうけ」も吊るしてあった
こういう風習もちゃんと今に伝えている。
通りを通る武者行列もこの笑顔
現代の町並みを武者たちが歩くってなかなかシュールな光景だけど、このほっこりとさせる一体感のようなものはなんなんだろうかね。
殿様も町中でこの笑顔
町の支柱(殿様)が現代でも活きて(生きて)いると思えれば、町はまだまだ守られてこれからも繁栄していきそうな、そんな予感までさせる。
地元警察署でゴール
このあと、パレードや武者行列はゴールである輪島警察署穴水庁舎へと向かう。
この通りを過ぎて橋を渡った先を右に曲がるともうすぐその庁舎だ。
橋というのは「栄橋」
橋の先の栄町交差点を右に曲がるともうすぐゴール
奇遇なことに「栄」と名のつく土地だった。
そしてゴールの警察署
続々と入っていっていた
敷地内に入ると皆さん記念撮影などをしていた
その達成感、安堵感や多幸感は、参加したものだけが味わえるものではないかと思われる。
けれど、こうして追いかけた自分もまたそれらの感動を少しばかりお裾分けしてもらったような気になれた。
まとめ
以上、長谷部まつりで目にした賑わいパレードならびに武者行列の光景だ。
信連公たちが出発したのが昼の2時くらいでゴールしたのが3時くらいであったので、追いかけたのは約1時間くらいである。
人間たちを追いかけながら、気がつけば町並みが目に入り、町並みとパレードをあわせて眺めながら、こうした祭りをする意味のようなものをふと考えさせられた。
考えて、やっぱりこうした祭りはなくしてはいけないんだろうなと、そんな結論が去来したものである。
この町にはちゃんと歴史があり、風習があって、それらが町の一体感を創出して今後の繁栄へと繋げていく。祭りはそのツールなのではないかと。
終わってしまうのがちょっと寂しかった
自分は予定の都合で行列だけ見て帰ったから、そう思ったのかもしれない。
このあと夜までイベントが続いていたので、町の人たちはさらなる高揚感や一体感を獲得していたのではないかと思われる。
前日には前夜祭もあるようだし、パレードではほかにも目にしていない団体もあったようだし来年以降はそれらも見たくなった。
また撮りに行きたい。