8月3日に珠洲市宝立町鵜飼地区で「宝立七夕キリコ祭り」が行われていた。
大きな奉燈が最後、海の中へと入っていくというので見に行ってきた。
見附島ちかくでのキリコ祭り
宝立七夕キリコ祭りは、その名の通り、宝立町で行われる七夕まつりだ。
もともと月遅れの七夕として8月7日に行われていたが、今年から8月の第1土曜日に変更になったそうだ。
正確な場所は珠洲市宝立町鵜飼地区で、軍艦島とも呼ばれる見附島がある見付海岸付近で行われる。
市外や県外から車で見に来る場合はいったん見附島を目指すと良い。
自分もその見附島の駐車場へ
自分が到着したのは17時すぎくらいだろうか。
運良く空いていたのでここに停めた。
他にもすぐ近くの市立宝立小中学校が臨時駐車場として開放されていた。
久しぶりの見附島
いつぶりだろうか?
奥能登国際芸術祭で来て以来だろうか?
あいかわらず軍艦みたいな顔をしている。
夕方に見るのも味わいがある。
祭りはこちらの方角
写真でいうと右手に見附島があって、後方に駐車場がある。
この道を真っ直ぐ行くと鵜飼川の方に出て、その付近の広場が祭りの会場になっている。
切籠が海に入っていく海岸もこの先だ。
目的の海岸の地図
一応、地図だ。
この海岸へと向かっていけば広場も見えてくる。
キリコも見えてきた
歩いていくと、屋根の上からキリコが顔を出して見えるので、それを目印にすすんでいけばよい。
キリコが動き出すメインの祭りは18時30分くらいから始まるので、この頃にはすでに切籠が町中に姿を現しているのだ。
キリコとご対面
なかなかでかい。
約14mくらいあるらしい。
奥能登のキリコとしては最大級なんだとか。
提灯がいっぱい飾られているところが特徴的だ。
川を挟んだ対岸にもいた
この川が鵜飼川だ。
ていうかほかにも数基いた
あわせて6基いるとのこと。
順に写真を撮っていると、そのうち広場にたどり着けるので、この奉燈が道標のようになって見えてくる。
接近して撮れるのでより大きく感じる
まだ担ぐ前で、しかも日が沈む前だから、どんな吉祥絵が描かれているのか、文字が書かれているのか確認しやすい。
令和の文字
ということはその年によって文字等が違ったりするのだろう。
こうやってキリコを順に撮っていると、そのうち…
広場が見えてくる
6基のキリコが並ぶスペースもあれば、その奥にはステージもセットされていた。
MISTYのライブもあると書かれてあった
MISTYは石川県出身のシンガーソングライターだそうだ。
この舞台ではライブの他に地元の子どもたちによる太鼓やヨサコイなども披露されると書かれてあった。
そんなステージのさらに後方に海岸(砂浜)もある。
担ぎ出され動き出すキリコ
広いところで並ぶため、夕方6時半頃になると続々と動き出す。
この宝立町のキリコはどれも車輪がついておらず、人力で担いで動かす必要がある。
大変だ。
中にはこんなオマケもいましたが
この小さいのは6基のうちにはカウントされていない。
ちっちゃいけどしっかり切籠奉燈なところが素敵だ。
日が暮れて水面に映える切子灯籠
集まってくるキリコ
担ぎ上げられるキリコたちが、日が沈むのに合わせて次々と広場にやってくる。
日があるうちは絵や文字の確認ができてそれはそれで撮りやすいものであるものの、灯籠であるので趣という点では、やっぱり夜になってからのほうが映えるものである。
また、6基のほかに地元中学生たちが担いでいるというもう一回り小さなキリコもいた。
それも入れると計7基いることになる。あえて7基と記しているのは、その中学生たちが担ぐものも後で海に入っていくからだ。
同じ頃ステージではキッズたちの太鼓
こんな小さい頃から太鼓を叩ける環境、羨ましい。
ほかにも中学生たちによるヨサコイも
こういうのって部活なのだろうか? それとも有志で集まっているのだろうか?
なんにせよいい思い出づくりになりそう。
日が暮れると川の方ではこんな感じに
川そばの広場に集まっていた理由がこのときわかった。
川面に映える灯籠の明かりがキレイだった。
なお、キリコはこの頃になると再び動き出す。
明るいうちに最初に目にしたキリコがいたあたりへ数基集まって(全てではない)、そこで太鼓等の乱舞をするようなのだ。
追いかけながら
撮る
ただ撮っているだけでも、闇夜に浮かび、川面に灯りが映るだけでキレイに見えてくるから、撮る側としてはありがたい話だ。
橋を渡った先で
再び集結
橋を渡った先はそんなに広くないので、犇めいているような状態に。
近いのでここでも目の前で撮れる
太鼓もバンバン叩いていた
橋の近くで乱舞が始まったと思うと、先程のステージの方からは歌声も聞こえてくる。
すでに夜の8時半くらいになっていて、MISTYのライブも始まっていた。
それも聞きたいので再びステージへ
なかなか忙しい。
とはいえ、橋からステージのある広場の方まで200メートルくらい、長くても300メートルくらいしか離れていないのでそれほど苦なく行ったり来たりできる。
このときMISTYの歌を初めて聞いたけど、ちょっとハスキーがかってて、上手いもんです。
曲はR&B系やJポップ系ながら、「和」な曲もあったので多彩だ。
橋の方に行ってなかった一基のキリコが負けじとステージ近くで太鼓を叩いていて、ハーモニーなのかバトルなのかちょっとわからない様相になっていた。それもまた祭りだなと思わせる光景であった。
ステージに上ってしまう地元の人もいましたが…
…これもまた祭りだなと思われましたよ。
海へと入り花火に照らされるキリコ
再び広場の方へと戻ってくる切籠
MISTYのライブが終わる頃、橋の方で乱舞していたキリコ数基も再び広場の方へと戻ってくる。
この頃にはもう10時近くになっていて、いよいよ海へと入っていくことになるのだ。
一足先に浜辺で待機
自分と同じように砂浜にて場所をとっている人が何人もいた。
波打ち際近くで陣取っている人もいれば、少し離れたところに陣取っている人もいた。
奉燈が海に入っていく様を近くで見たいなら波打ち際で、花火も一緒に見たいと考えている人はちょっと離れたところで待機していたようだ。
切籠も続々と浜辺の方にやってくる
この頃にはもう浜にも見物客がたくさんやってきていて、先に陣取っていた人たちの前に陣取ったりしていたので、先に来てもそんなに意味はないかも知れないと思った次第。
先行していたのは地元中学生たちが担いでいた少し小さめの切籠で、デカイ6基が揃うより前に波打ち際で水掛けをしていた。
楽しそうに水掛けをする中学生たち
でもこれ、遊んでいるわけじゃなくて、体や水着を水になじませているのだそうだ。
まあ、遊んでいるように見えてしまいましたが
青春ですな。
大人も、担ぎ手の人たちは海に入る前に水着のようなものに着替えているようで、その着替えや携帯などの私物を奥さん等、家族が受け取っている姿が印象的であった。
篝火をつけに行っている様子
沖の方に大きな篝火がいくつかあった。それをこうして大人が松明を持ってつけに行っている。
これからも分かるように海はそう深くはないようである。
篝火をめがけ、先行して中学生たちが海の中へ
大人が担ぐ6基の大きな切籠が浜で揃う前に中学生たちのそれが先に海へと入っていった。
6基の方はまだ明かりが消された状態であった。
これも若さというものだろうか?
ちなみに大人の切籠の灯りが灯されると、花火も始まる。
明かりがついたなぁと思っていると花火が急に上がる
あわててシャッターを切っている。
そんなものでどれが花火なのかわかりづらかもしれない。
花火とキリコを一緒に撮りたい!
そう思って撮れたのがこれだ。
打ち上げ花火は弾数も少なく、また一緒に1枚の写真に収めようとすると角度的になかなか難しいものであった。
海も写真に入れたい!
と思うと、こんな画になってしまった。
目の前にたくさんの見物客もいて、いい角度で撮れる場所というのがなかなか確保できないため、この程度の構図でしか撮れなかった。
カメラマンの中には自身も海の中に入って撮っている人もいた。それくらいやらないと理想の構図で撮るのは難しいのかもしれない。
花火に見とれている間に中学生たちは篝火の周りにいた
なんだか青春の一幕のように見えて、色んな意味で眩しかった。
大人たちも海の中へ
なにせ14メートル近くある大きなものなので、担ぎながら海に入るというのもラクなものではない。
呼吸をあわせ慎重にかつ大胆に入っていっていた。
大人も負けじと青春
担ぎ手の方々の背中を見ていると、そんな言葉が頭をよぎった。
海の中に巨大な奉燈ごと入るってクレージーと思われる方もいるかも知れないが、なんか格好良く見えてくるのだ。
入ってしまうと幻想的
ほんとキレイだった。
ちなみに左端の小さいのが中学生たちのキリコだ。
遠近法も多少あるものの、大きさの違いがわかるかと思う。
なお、この祭り、ただ奉燈が海の中に入るだけでは終わらない。
花火に続きがあって、海に入ってからも発射されるのだ。
しかも水面ギリギリに
花火を打ち上げるというよりは海面に向かって横に発射すると言ったほうが正確かもしれない。
海面ギリギリのところで花開いてくれるのだ
おかげでさらに幻想的に。
まさかこんな演出があるとは思ってもみなかった。
水面ギリギリ、低く飛ばしすぎて炸裂する前に海にポチャンと落ちてしまう花火も数発あったけど、それはそれで貴重な景色であった。
最後の締めは再び高く打ち上げて
花火とキリコを一緒に撮る場合は波打ち際ギリギリまで来たほうが良いかと思われる。
撮影しようとする人も多いため、少し後方からだとそれらの影が入ってしまうのだ。
もっとも、波打ち際で撮影する見物客たちのスマホの灯りの群れも含めて幻想的だなとも思えたりもする。
現代の祭りの景色として、そういうのも有りかも知れいない、と…
花火も終わり、篝火の周りも回ると、キリコは続々と浜辺へと戻ってくる。
戻ってくる際も妙にキレイだったりする。
水面がキレイ
灯りが近くなるからか、海面の光の反射がこれまたより幻想的になって見えた。
縄を一生懸命引っ張っているのも画になる。
実際、キリコは海水を吸い込んで重くなっているので、相当に力が必要だ。
見物客に向かって「海に入ってもいいという方、一緒に入って引っ張ってもらえませんか」と呼びかけていたくらいだ。
後ろに傾きながら浜に引き上げられる奉燈
いいなぁと思ったのは、引っ張り上げる綱を最後、地域のみなさんが持っていたことだ。
このように
みんなで
引っ張る
老若男女関係なく、みなで引っ張っていた。
地域の人達の使命感と一体感のようなものがそこにはあった。
これもまた祭りだなぁと、そんなことをふと思った。
そう思った自分も、なにか混ざりたくなって、この土地の人間でもないのに一緒に縄を引っ張ってしまっていた。
海水を含んだ縄はベタッとして磯のにおいもしたけれど、いい思い出になった。
感想
以上、宝立七夕キリコ祭りで目にした光景の写真だ。
海にキリコごと入るって奇特なまつりだなぁと、来る前は思っていたけれど、来てみて目にして体験してみたら想像以上に幻想的な祭りであった。
奉燈と海面や水面がこんなにマッチングするものだと改めて思い知った次第だ。
行動範囲は数百メートルの小規模といえば小規模の祭りながら、その美しさは侮れないものだった。
花火があんな角度で水上めがけて打たれるとも思っておらず、そのやんちゃにも似た演出のこだわりは「年に一回のお楽しみ」こと「祭り」だなと思わされた。
終わるのが寂しい
そう思わせるのも「祭り」であろう。
色んな角度から「祭り」を体感できた、そんな宝立七夕キリコ祭りであった。