奥能登国際芸術祭2023、三崎エリアの次のスポットは内方地区だった。
この辺に来ることあまりなかったので迷いそうになったが、No.16の作品をなんとか見つけ出した。
駐車場から少し歩く
奥能登国際芸術祭2023の三崎エリア3つ目の作品がある場所は内方地区の倉庫ということなんだけど、内方地区にあまり行ったことがなかったので案内看板を見ながらでも迷いそうになった。
ようやく駐車場を見つけたんだけど…
作品の展示場所がどの倉庫なのか、このあたりでウロウロとして迷ってしまった。
振り返っても倉庫のような工場のような所あり
自分より先に駐車場に停めていた親子連れが、こっちの方に歩いていったので、自分もつられてこっちの方へと進んでしまったのだけど、間違っていた。
振り返らずに来た道をさらに奥に歩いていくのが正解
先には幟旗も見える。
駐車場から少し距離が離れているので見落としがちである。
近づいてみると矢印も発見
そこの小道を曲がればいいんだな。
このあたりまで来ると、すでにやって来ていた人たちの往来も見えたので迷わずにすんだ。
小道を曲がると…
なんか工場の敷地内に入っていくような道を通らされる
地元の養鶏場とかこんな雰囲気あったなぁ、なんてことを思い出しながら歩いた。
で、肝心の倉庫とやらはどれなんだ?と当たりをキョロキョロとしてしまっていた。
倉庫っぽいものがいっぱいあるのだ。
こっちか
左を示す矢印付きの作品看板も置かれていたので、どうやら左手に見える建物がお目当ての「倉庫」のようだ。
工場の機械音とはまた違うテンポの変わった機械音がその倉庫から聞こえていたりもしたので、ここが展示場所なのだろうとの確信がこのときにはあった。
実際、この左手の建物で間違いなかった。
倉庫とあるが、もともとは養蚕飼育所だったところらしい。
16番 梅田哲也「遠のく」
左に曲がって歩いていくと入り口と受付が見えた
倉庫にはちゃんと受付も設けられていて、受付を中央にして、入って左、入って右にそれぞれ展示スペースがあるという。
特に入って左は「音」を楽しむものだと教えてくれた。
「音」か…
静止画では捉えにくいじゃないですか。
あらためて、16番だ
梅田哲也さんの「遠のく」という作品だ。
左側は「音」を楽しむと聞いて、急に作品が遠くに感じてしまったよ。
ともあれ、ひとまず…
左に入った
こんな薄暗いところだ。
道具を生かした展示物が点在していて、それぞれが自然のもののような、人工物のような独特のリズムの音を立てていた。
音は写真で捉えられないが、それらオブジェは捉えられるので、それらを撮ることにした。
入ってみて全体を撮るとこんな感じ
棚のようなものは、養蚕で使われていたものだろうか?
なんでもこのインスタレーションでは建物内でかつて使われていた道具なんかを使ってオブジェに変えているそうだ。
ではまずはガラス玉
このガラス玉も使われていたものの一つなんだろうけど、窓との位置関係がいいのか、光の入り方がきれいだった。
こういうの撮り甲斐がある。
バケツの束
拡声器やスピーカーのようにそこにいるが、そのような役割を持っている訳ではない。
もちろん、ここから大砲の弾が飛び出したりするわけでも、メガ粒子のレーザーが発射されるわけでもない。
ガンダム世代なので、そういう空想をどうしてもしてしまう。
こんなところに扇風機
回っていないけど、ときどき回る。
どれも電気が走っていて、定期的に照明も明るくなったりする。
音だけではなく光でも奏でてくるようなイメージだ。
水滴ポタポタ装置
そう勝手に呼んでいた代物だ。
機械によって上の方から水滴がタライに張った水の上に落ちて、波紋を作るような音がするのだ。
寄ってみよう
個人的にこれが好き。
チョポンッといい音する。
そして波紋がね、呼吸法のように余韻を残すんですよ。
静寂の中に見つける動きのある音は、この倉庫の息遣いのようでもあって、養蚕飼育所の在りし日の姿がぼんやり脳裏に浮かんでくるような、そんな気がしてくる。
この明かりがあたたかい
入ったときは暗く冷たそうな部屋に思えたものの、こうして一つの明かりで温まれる。
ちなみに養蚕は、直射日光の当たらない、寒くもなく暑くもない25℃くらいの環境で育てるそうなんだけど、25℃って夏日と同じだから、まあまあ温かいのよね。
右側の一室にも行ってみよう
受付を正面に右側の倉庫にも行ってみよう
左側の一室から見る限り、なにやら大きなガラス玉がドンッと見える。
先客が集中してそちらにシャッターを切っていたので、それがこの部屋でのメインなんだと思われる。
順番が回ってきたところで自分も入ってみる。
なんか…
倉庫って感じの物の置かれ方だ
板や角材もあればイスやハシゴもあって、入場の道をあけて傍観している見物客のようにも思えてくる。
見られているのは、もちろん入ってくる自分たちだ。
これを見に入ってくる自分たちだ!
(なんとか水平に撮れたんじゃないか!?)
部屋の中心(これ重心だろうか?)に吊るされたガラス玉。
その下には苔で作らえた足場のようなもの。
さらに奥には絵画のように切り抜かれた外の景色。
天井の鉄筋と、床の木材の幾何学的な並びも、一つの風景を作るのに一役買っている。
すんごくシュールだ。
使われなくなった日用品たちの視線を抜けて目にしたものは小さな地球のような、小さな宇宙のような、日常とは随分とかけ離れた、ときに神々しささえ感じさせる何か、だったんだから、ちょっとビビる。
ちなみにこのガラス玉、奥の景色が映り込んでいるんだけど、覗き込んでみると、裸眼だとすんごくぼやけて見えた。
カメラで言うとフォーカスが全然合っていないようなイメージだ。
ガラス玉を通して見ようとすると、外の景色がすんごく遠のいて見えるのだ。
自分、さらに目が悪くなったのかなぁ、なんてことを思ってしまったよ。
色んな物を懐かしんでいたはずなのに、最後の最後で遠のくって、ちょっと怖い。
でもカメラのオートフォーカスを働かせてファインダー越しに見ると
くっきりと見えてくる。
遠のいたものが普通に見えちゃったりしたものだから、裏ワザだ!と思ったよ。
オートフォーカスの扱いに慣れてくるとさらにくっきり見える
すごくよく見える。
メガネ屋さんで自分にあった度のメガネを作ってもらったような感激が、あったよ。
感想
梅田哲也さんの「遠のく」、音を楽しみながら、在りし日の倉庫の姿を思い起こされつつ、最後に大きな水晶で、それら見て感じ取っていたものがすべて遠のいていくという、無情のようなものを味わわせる、ある意味でちょっと怖い作品だった。
それでもね、現代の叡智が詰まった機器を通せば、遠のいたと思った景色も、スッキリくっきり見えちゃったりするんだから、この世はそんなに儚いものじゃなかったと、そう思えたりもした。
ちなみにこのあたりでも新米が売っていた
養鶏所かと思った最初の倉庫で売っていた。
これ、無人販売なのかな?
お米は前回の旧保育所で購入したのでこのときは買わなかったけど、気になった。
とまあ、作品世界から、食欲という名の現実世界にすぐに舞い戻ってくるんだから、どんなに「遠のく」体験をしても、自分の軸はブレそうにないなと思ってしまいましたよ。
お腹空いてきた…