初心の趣

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奥能登国際芸術祭2023を地震に負けず回る第二日目その5(シリン・アベディニラッド「流転」)

能登国際芸術祭2023の鑑賞旅二日目、宝立エリアの最後の作品は春日野の蔵にあるシリン・アベディニラッドさんの「流転」だ。

その感想を記したい。

 

 

駐車場を見逃すと戻ってくるのがまあまあ大変

宝立エリアから回っている鑑賞旅二日目、そのエリアの最後の作品は、前回2020+でも展示場所となっていた春日野の蔵だ。

2年前にも行ったことがあったし、余裕でたどり着けるだろうと思っていたら、いや、実際、その場所になんなく向かえたんだけど、駐車場の看板を見誤ってしまった自分は、曲がる箇所を間違えてしまって、このあたりをグルっと一周してしまうことになってしまった。

そうしてなんとか到着(真ん中に写る蔵が展示場所)

駐車場の看板がね、もう一つ先の曲がり角を左折しろって示しているものだと思っちゃったから、写真でいう所の正面の蔵と、奥の縦長の蔵の間の道路に入っちゃって、狭い道を通ることになって、ここまで戻ってくるのに大きくグルっと町を一周することになってしまったのだ。

このあたり、民家が多く道も狭いので車で通るの大変。明らかに車じゃ入っていけないよねって思う道が何本もあった。

そのために戻ってくるのに少し時間がかかってしまった。

ただ、そう迷ったことでこの近辺の家々を近くで目にすることができた。

5月の大地震によって家屋にダメージを受け、倒壊の危険度を示す張り紙が貼られている家屋があったり、いままさに修理している家屋もあったりと、被災はまだまだ続いているんだなと改めて感じ取った。

そんな中でもよく芸術祭をやってくれたなと、心から思う。

 

38番 シリン・アベディニラッド「流転」

こちらが春日野の蔵

室内展示なので受付もある。

ボランティアの方々が受付をしてくれているんだけど、地元の人達なら被災していたりもしているわけで、それでもこうして芸術祭に参加、協力していることにやはり敬意を抱いてしまう。

38番だ

イラン出身でアメリカで活躍しているシリン・アベディニラッドさんの「流転」という作品だ。

どんな作品なのか、事前にガイドブックを読む限りなんとなくしかイメージできなかったが、この春日野の蔵の中の展示なので、間違いなく室内は暗くて写真泣かせだろうなということは想像できた。

ほらもう、入り口が暗室のようだもの

暗いこと間違いなし。

暗いと何が大変かって、オートフォーカスが働かなくてピントを手動で合わせないといけない点だ。

オートフォーカスに頼りっきりの自分としてはピント調整を手動で行うってかなりの難行なのだ。

納得するくらい上手くあったなと、そう思ったことは一度もない。

さらには、露出が足りなくて暗い写真になってしまうため、露出を上げるためにシャッタースピードを下げなきゃいけないんだけど、三脚を持ってきてないとたくさん下げることもできない。

ということで、以下の写真、ピントが合っていなかったり暗くなっていたりしていてもご容赦いただきたい。

こちらが「流転」だ

やっぱり、暗かった…

この蔵、もともとは漁具倉庫だったところで、大量に保管されていた漁網を使用しているとのことだ。

天井に張られたその網に乗せられているカラフルなガラスのようなものは割れた酒瓶なんだそうだ。

近くで撮ってみると…確かに破片

キレイに作られた小さなガラスではなく、形も不揃いな割れた酒瓶のガラスだ。

そのガラスに光が当たって床にカラフルな影を映す、とのことなんだけど、暗い部屋でもさらに暗い床を写そうとするのってさらに難儀する。

床の主に緑色の影、わかっていただけるだろうか?

もちろんピントは上からの光に当てて合わせているから、床のカラフルな影は、言ってしまうとピンボケしてしまっているので分かりづらいといえば、分かりづらい。

作者のシリンさんは、海岸に落ちているシーグラスに着目し、酒瓶がただのガラスの石になるように、常に変化していくこの世の、はたまた人間という存在の儚さを表現しているそうなんだけど、儚いどころか自分などはピント一つ合わせるのに藻掻(もが)きまくってます

いやぁ、人生でも藻掻きまくっているなぁ。

変わろう、変わろうとしてなかなか変われず、変わることに藻掻き続ける人間もいるものです。

自分はこの作品と向き合って「儚さ」を覚えるより、よりアクティブで積極的な自分というものを再認識しましたよ。

 

感想

儚さを表現した作品に対してアクティブになってしまった自分だが、撮り方、見方を変えると、やっぱりいろんな物が見えてくる。

誰かが見上げていると、あ、やっぱりどこか儚い…

星を見上げているような二人に見える。

元々は酒瓶の、そのガラスの破片が、星だ…

そう思えば、人の死後を「星になった…」と例えることにも重なる。

永遠はないので、やはり儚いといえば儚い。

そのガラスの光と影のシャワーを浴びて、現代に生きる我々は何を受け止め、どう変わっていくのか、試されている気もしてくる。

そんなことを連想する自分の頭の中は… やっぱりもがいている…?

思考が「流転」してしまう…