奥能登国際芸術祭2023の日置エリア最後の作品は、やはりというか狼煙にあった。
小野龍一さんの「アイオロスの広場」はピアノがあるんだけど、自分は楽器が弾けない…
道の駅狼煙から港の方へ
奥能登国際芸術祭2023、日置エリア最後の作品を観るため道の駅狼煙に向かった。
ここには2017のときも2020+のときも来ているので、慣れている。
芸術祭以外でも何度か足を運んでおり、幻の大浜大豆を使った食べ物が美味しくて何気にここのファンになっていたりする。
この狼煙は、禄剛埼灯台が直ぐ側にあることでも知られている。
久しぶりに灯台の方にも行きたくなったが、作品の展示場所が港の方だったので、この日は作品鑑賞を優先した。
港の方に矢印が
No.13の場所を示す矢印が海の方を指している。
前回2020+もこっちの方向だった。
真っすぐ進んで海の手前で左折
そこに漁港がある。
狼煙と言ったら能登半島の最北端があるところなので、その漁港は能登半島最北の港となる。
曲がると芸術祭の幟旗も見えた
小屋の前に幟旗が見えるが、展示場所はその小屋ではない。
今回、狼煙に置かれた作品は野外にあるのだ。
13番 小野龍一「アイオロスの広場」
この小屋は閉じられているので中には入れない
お客さんたちはその隣の広場に集まっていた。
この写真でも写っているように能登町の真脇遺跡のような木製の柱が数本見えている。
13番だ
小野龍一さんの「アイオロスの広場」という作品だ。
アイオロスって、ギリシャ神話に出てくる風の神なんだけど、漫画『聖闘士星矢』の射手座のお兄ちゃんの名前もこれなので、むかし観ていた世代からするとそっちも連想してしまう。
なになに?
ピアノがあって、狼煙漁港にあふれる「音」とのセッションを楽しむ作品のようだ。
うむ、たしかに風の神様のほうだった。
こちらがその姿
風通りの良さそうな場所じゃないか。
晴れていると空が気持ちいい。
そんな港前の広場にピアノがポンッと置かれている。
その前方には木の柱が数本立っている。
この写真では見えづらいが、それらの柱からピアノに向かってワイヤーが伸びていた。
寄ってみるとわかる
前方にワイヤーが伸びて結界を作っているような格好だ。
もしくは蜘蛛の巣のようにこのピアノを捕らえているようにも見える。
さらに寄ってみよう
ここまで寄ると、無数のワイヤーで捕らえているような印象はない。
逆に、このピアノが自らピアノ線を伸ばして周りのものや周りの人たちと交信しているように見えてくる。
ウェブでつながるようなイメージだろうか。
よく考えるとどっちも蜘蛛の巣じゃないか。
実際には鍵盤と繋がっている
それらワイヤー(もしくはピアノ線そのものだろうか)、いずれにせよ鍵盤と繋がっていて、そのワイヤーを引っ張ったりすると、鍵盤が動くようになっているのだ。
つまりは、音が鳴る、ということだ。
自分も指でワイヤーを弾いてみよう
ビンっビンっとッハジいてみたのだが、さて、どうだろう…
ピアノから音があまりしない。
弾き方が悪いのか何なのか、色々とトライしてみたが、自分がイメージしていたしっかりと調律したピアノの音というものがしなかった。
すごく鈍く、なんなら鈍すぎてほとんど聞こえないような、そんな音だった。
ためしに自分の指で直接鍵盤を叩いてみた
すると、やっぱりあまりいい音がしなかった。
全体的に古くて壊れたようなピアノなので、まともな音は出ないのかもしれない。
かすかに音はするものの、想像するようなきれいな音ではない。
もしやそれこそがガイドブックに書かれてあった「珠洲の風の響き」というものだろうか?
いろいろ謎だが、風を感じながらこの場で演奏できたら、さぞかし気持ちいいだろうなぁと、ふと思う。
そうしてこの鈍い音で、しっかりと何か曲を弾いてみたら、いったいどのような旋律でこの空の下に響き、我々の心情風景にどのような風を送るのか、知りたくなった。
だが、あいにく…
自分はピアノが弾けない…
このとき自分の頭の中で西田敏行さんの「もしもピアノが弾けたなら」が流れたのは、内緒だ。
感想
小野龍一さんの「アイオロスの広場」、ロケーションとしての広場という点ではすごくいいところだ。
ただ、「音」に関しては意見が分かれるかと思う。
ピアノの音らしい音がしないので、それを期待していた人からするとなにか違うと思ってしまうだろう。
でもこれは一般的なピアノではなく「アイオロスの広場」というアート作品だ。
この聞き取れないくらいの鈍い音に何を感じるのかが、鑑賞のテーマかと思う。
ちなみに自分は、
風を感じながら『もしもピアノが弾けたなら』を感じた…
この作品、10月21日(土)の17時30分からパフォーマンス(有料)があるそうだ。
どのような形のパフォーマンスかわからないが、もしもこのピアノを誰か上手い人が弾くことがあるなら、その曲を弾いてくれないかなぁ、なんてことを思ってしまった。
ワイヤーだけで弾くなら大人数が必要そう
みんなの力で一曲を完成させるのだ。
これはこれですばらしい世界が作れそうである。
自分のサイズが小指第一関節くらいだったらこの線の上で風の響きを感じたい
ついでに自分は、こんなSF映画のような妄想も膨らませてしまった。
音や響きを追って、いろんな想像を膨らませることは、いくらでも可能だ。