11月5日で閉幕になったけど、奥能登国際芸術祭2020+で目にした作品の紹介、第四日目その13だ。
10月4日に足を運んだキジマ真紀さんの「ornaments house」を取り上げたい。
道の駅「狼煙」から歩く
今回紹介するキジマ真紀さんの作品は狼煙の船小屋にて展開されていた。
道の駅「狼煙」に近く、車で来るならこの道の駅で停車することになる。
ということで久しぶりに「狼煙」へ
久しく立ち寄っていなかった。
大浜大豆を使った豆腐とか美味しかったなぁと懐かしくなる。
いつの間にこんなプロジェクトが…
「恋する灯台プロジェクト」なるものが発動していた。
日本ロマンチスト協会から禄剛埼灯台が「恋する灯台」に認定されていたのだ。
初耳だよ。
でも、今回の目的は灯台ではないのでこちらはまた別の機会に再び足を運びたい。
目的地は芸術祭のNo.9の作品
道の駅から徒歩2分でたどり着けると描かれてあった。
徒歩2分は、まあそれなりに歩く。
道の駅から海側へ目指す
緑の案内板が立っているので、その矢印に従って歩いていくと、基本、たどり着けるはずだ。
この矢印は左を指しているけど、これはきっと横断歩道を渡れという意味で、渡った後はまたひたすら海の方へと前進した方が良い。
海(港)の方まで行くとやはり矢印があるのだ
この突き当りで左に曲がっても行けるし、むしろこちらのほうが後は直進なのでわかりやすいかと思う。
こんな通りに続く
港に続いている道だ。
真っすぐ行って右に曲がると港なんだけど、その手前で展示場所である小屋が見えてくる。
このように
え? どこ? と普通ならなる。
自分も一度目を疑った。
芸術祭の幟旗が立っていないと気付かずに通り過ぎていたであろう。
ここだ
緑の作品案内板が立っていたからこそ、ここが展示場所だと認識できた。
あまりにも小さな普通の小屋すぎるし、受付とかもなく係の人もおらず、スタンプもセルフなら、他の鑑賞客もこの時いなかったので、案内板がなかったらまずわからなかっただろう。
9番 キジマ真紀「ornaments house」
9番だ
作者のキジマ真紀さんは布やプラスチックといった日用品を使って植物や生き物のように見せる作品を制作している方だ。
奥能登国際芸術祭2017にも参加し、日置ハウス(旧日置小中学校)にて「海と山のスズびらき」という、珠洲で暮らす人達にワークショップで作ってもらったフラッグを展示していた。
今回は珠洲で暮らす人たちに家の中や記憶の中に仕舞われているものたちを思い出してもらい、それらを糸や布で描き起こしてオーナメントに仕上げているそうだ。
オーナメントというと、クリスママスツリーなんかに吊るされている、いわゆる飾りだ。
開いた入り口からもう見えている
というかデカい。
まあ、クリスマスツリーに吊るされているようなものがオーナメントの標準的な大きさというわけではないので、別にデカくても構わないのだけど、ちょっと意外だった。
こういう世の中の基準みたいなものを簡単に裏切ってくれるところがアートだと思う。
作品には手を触れないでくださいとのこと
さらには大きい荷物は持ち込まないでください、とのこと。
奥能登国際芸術祭2020+が開催して間もない頃に作品の一部である古民具が盗難にあった事件があった(犯人は後日捕まり、作品の一部も戻ってきている)ので、その対策として大きな荷物を持ち込めないようになっているのだ。
小屋の中に
こうしてみるとオーナメントは大きなものだけではなく小さなものもある。
人の顔だったり、生き物だったり、食べ物だったり珠洲に住む人達の仕舞い込んだものはそれこそ十人十色だ。
以下、気になったものを羅列したい。
指輪だろうか
大事にしまい込まれたものだろうか。誰に、どんな理由でもらったのか、まつわる物語を知りたいものだ。
柱時計だろうか
自分の祖父の家にもこういった古い柱時計が掛けられていたんだけど、〇〇時00分になったときのボ~ン、ボ~ン、ボ~ンっていうあの音がいまでも耳に残っている。
記憶に残っているものなんだよね。
7時を指しているのも、なにか理由がありそうで、物語を妄想したくなる。
好物なのだろう。わかる。
こういう食欲をストレートにぶつけるの潔くって結構好き。
干し柿だ
これも好物なのだろう。自分も好きだ。
自分は柿は味が苦手で食べれないけど干し柿は大好きである。
これも祖父母が田舎の家で作っていたなと思い出す。
そんなに難しくなく自分の家でも出来たりするので、今年はやってみようかなとこれを見ていて思えてきた。
猫ちゃんだ
「生きて帰ったモモちゃん」とも糸で書かれてあったので、そのストーリーも聞きくたくなった。
市松模様だ
この色使いだけで「鬼滅だ」と、鬼滅の刃を漫画でもアニメでも見たことない自分でもわかってしまうのだから、影響範囲の広さがよくわかる。
後ろ頭だ
いや違う、三編みだろう。
少女時代に一番した髪型がこれなのかもしれない。
自分はツインの三編みを見ると『アダムスファミリー』のウェンズデー・アダムスを思い出してしまう。クリスティーナ・リッチ、可愛かったなぁ。
稲木だ
刈り取った稲を天日干しするやつだ。
これも自分が子供の頃に兼業農家だった祖父が実際にやっていた。
そしてそれを夜遅くまで手伝っていた思い出もある。
ホタルだ
蛍も、最近ほとんど見れなくなったなと思う。
子供の頃は田舎に行くと田んぼの近くの用水とかで普通に見れていたんだけど、珠洲の方はまだ見れるのだろうか?
こちらは、赤ちゃんだろうか
だとしたら玉のような赤ちゃんだ。
可愛い時の記憶はいつまでも残しておきたいものだ。
色温度を変えて改めて全体を撮ってみる
キンキラキンにならないかなと思って試してみた。
それなりにキレイになったかと思うけど、キンキラキンって多分もう死語だと思うので、そっと記憶に閉まっておきたい…
なんか、二階への梯子階段もあった
この小屋、二階もあった。
梯子階段もあったのだけど、危ないので、梯子に登れても二階に上がることはできなかった。
そんなもので梯子から撮影
浮きだろうか、ガラス玉のようなものも転がっていた。
その奥の窓にオーナメントも飾ってある。
あとで外から確認したら…
ちゃんと見れた
でもこれは… ちょっと怖い。
2階の窓に誰かいる!と、ミステリーやホラーと関連付けてしまう。
こういうセンスも、きっと子供の頃に見た映画や小説の記憶のせいだろう。
感想
オーナメント、珠洲市の人たちの家の中や記憶の中に仕舞い込まれたものを形にしているのだけど、自分の記憶と照らしても懐かしくなるものばかりだった。
自分の田舎が能登地方にあるからか、子供の頃に祖父母の家で目にした景色だったり家具だったりが近いのかもしれない。
もしくは人が懐かしいと思うものって、以外とみんな、それこそ世代も超えて似ているのではないかとも思えてきた。
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健康ドリンクだと思うけど自分にはどんなものかまったくわからない。
全くわからないのに、どこか懐かしい感じがするのだから、ノスタルジーとは興味深いものである。
懐かしさって、地域も世代も超えて共有できるものなのかもしれない。