初心の趣

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仲代達矢役者七十周年記念ロングラン公演『いのちぼうにふろう物語』を観に行った話

中島町にある祖父母の家の掃除の手伝いに行った時、帰りにロングラン公演中の無名塾による芝居「いのちぼうにふろう物語」を観に行けた。

上演中、撮影はできないので写真はほとんどないが、雰囲気と感想を記したい。

 

 

中島町能登演劇堂へ

祖父母の家がある中島町には能登演劇堂という演劇専用ホールがある。

仲代達矢さん率いる無名塾が1985年より石川県鹿島郡中島町(現在の七尾市中島町)を合宿地として利用していたことが縁で、仲代さん監修のもと、1995年に建てられたところだ。

毎年秋ぐらいに無名塾による公演が行われていて、自分も去年初めて観に行ってきた。

『左の腕』という芝居で、初めて生の仲代さんを目にし、その存在感の「深み」に、体中に電気が走ったのを今でも覚えている。

昨年『左の腕』を観に行ったときの記事はこちら

来年また仲代さんの芝居を観に行きたいと、心から思ったものである。

そして今年(2022年)、仲代さんの役者七十周年を記念したロングラン公演『いのちぼうにふろう物語』が始まった。

期間は9月4日(日)~10月10日(月祝)だ。

9月17日に祖父母の家へ手伝いに行った際、ダメ元で当日券が売られていないか電話で確認したところ、キャンセルした人がいて、なんとか一枚取ることができたので、観に行ってきた。

到着

ここが能登演劇堂だ。

舞台の後方がガバッと開いて野外舞台と繋がるという、日本でも唯一の仕掛けがある劇場だ。

地図ではこちら

車だと、能登中島駅にまず向かうと結構行きやすい。

こちらが今年の演目だ

『いのちぼうにふろう物語』は仲代さんの相棒であった亡き奥さん宮崎恭子(筆名「隆巴」)さんが、1997年にこの能登演劇堂第一回ロングラン公演のために描き下ろした戯曲だ。

原作は山本周五郎の小説『深川安楽亭』で、戯曲化より前の1971年には隆巴さん脚本で映画にもなっている。仲代さんも出演している。

また1982年には『地獄の掟』というタイトルでドラマ化もされている。このドラマにも仲代さんは出演している。

仲代さんの奥さん・宮崎恭子さんが愛して手掛けた作品で、仲代さん自身もこの『いのちぼうにふろう物語』を「役者としてのグランドフィナーレとしたい」と語られていた。

特別なお芝居なのだ。

今年で90歳となり、役者人生も70周年を迎える仲代さんだ。

今年のこの『いのちぼうにふろう物語』で役者として能登演劇堂の舞台に立つのは最後になるかもしれないとの憶測が、石川県民の間で(少なくとも自分の周りでは)広がったものである。

チケットもなかなか手に入らないと聞いている。

それゆえにダメ元で電話して当日券を一枚取れたことは、自分としてはミラクルであった。

 

16時半開演

開演は16時30分であったので、祖父母の家の手伝いも早々に切り上げて16時少し前には到着していた。

開場は1時間前の15時30分からだった。

受付の様子

つい撮影してしまった。

チケットをすでに持っている人はここで半券に名前と連絡先を記す必要がある。

感染症対策だ。

自分はチケットをまだ持っておらず、右に曲がったチケット売り場で受け取って再びここに戻ってきて、半券に記入していた。

去年も同じようなことをしていたので、同じ対策を取られていたんだと思う。

劇場入り口

受付を正面に左に曲がるとこのように劇場が見えてくる。

もぎりは係員の人たちの前でチケットを持っている一人ひとりが自分たちの手で行う必要がある。

これもコロナ対策のようだ。

花も撮影

気分を上げ、雰囲気を伝えるために撮った。

それにしても与兵衛役の進藤健太郎さん、人気だな。

 

観劇の感想

自分の今回の席は会場の真ん中あたりであった。

舞台からはやや遠かったけど、真ん中あたりにいたので全体を見やすかった。

昨年は舞台近くで、仲代さんの顔もよく見れたし、何度か目もあったので、できれば今年も前のほうが良かったという気持ちもあったけれど、当日券を手に入れれただけで幸運なのだから文句は言えない。

観れるだけでどこでも良かったのだ。

16時半になるといよいよ開演。

『いのちぼうにふろう物語』は、舞台が江戸時代の時代劇だ。

江戸の深川の外れの島に立つ「深川安楽亭」という表向きは一膳飯屋をしながら、裏では闇で荷物の運搬(いまでいうところの密輸の手助けのようなこと)をやっているお店が舞台の中心になっていて、実際に舞台上に回転したり移動もする大きな小屋が設けられていた。

小屋が回転することで、お店の中の様子や外の様子と、視点を切り替えながら見せていた。

仲代さんが演じるのはその深川安楽亭の亭主・幾造だ。

幾造が、お天道様に顔向けできないようなならずものの若者たちをどうにか安楽亭の事業(もちろん裏の方)で生かしていたのだけど、ある日そこに一人の商人の青年がやって来たことから物語は動いていく。

その青年が恋人関係で抜き差しならない状況になっていて、ならずものの安楽亭の若者たちも初めはその青年のことを馬鹿にしていたのだけど、お金が必要だとわかると危ない仕事を受けおうことで青年を助けることになっていくのだが…

そこに安楽亭を潰したいと考えているお役人の人たちも絡んできて、誰かのために戦い死んでいく人間讃歌へと続いていくことになる。

もうね、安楽亭の若者たちがどうしようもない奴らなので、どんなに強がりを言っていても社会から外れた息苦しさや閉塞感のようなものを感じてしまうのだけど、後半誰かのために危ない橋を渡り、騙され、最後まで戦って誰かを生かそうとする姿にはこころ動かされるものがある。

この能登演劇堂は舞台の後方が開閉式になっていて野外舞台と繋がるんだけど、最後お役人たちと一戦交えるときに、そこが開いて「御用」と書かれた提灯が舞台奥の野外でいくつも浮かび上がったときには芝居だと思えないくらいの臨場感とリアルさがあり、そこで殺陣を繰り広げられるとカタルシスのようなものを感じてしまった。

それでも追い込まれていく幾造たち…

幾造を演じる仲代さんの最後のセリフに、自分の体はシビレましたよ。ほんとまたしても電気が走った。

年齢を感じさせないくらい声が太いのに儚い、矛盾するようなその最後の一声を聞いて、これで仲代さんの演技をこの能登で見るのも最後になるかもしれないという思いも去来すると、泣けてきたのだった。

幕が下りるや拍手喝采

スタンディングオベーションしている人も何人もいて、自分も思わず立って拍手を送っていました。

ほんと、いいものを見れた。

 

帰り際に

劇場入り口脇に置かれていた提灯

来たときはなんでこんなところに「御用」の提灯が置かれているのかよくわからなかったが、いま思うととても印象的なアイテムだったのだ。

幾造たちからしたら敵の象徴なんだけど、劇中でこれらが一斉に灯された、あの野外舞台へと続く扉が開いた瞬間というのは、自分にはカタルシスの瞬間でもあった。

あんな演出ができるのは舞台後方が開閉式になっている能登演劇堂ならではだろう。

仲代さん、ほんといい舞台を監修してくれたと思う。

今年の公演で仲代さんもここでの出演は最後になるのかもしれないとの憶測は、散っていく幾造たちとも重なり、大きな寂しさを覚えるのであった。

それでも他の役者さんたちの、昔の良質な映画を見ているような演技力の高さ、雰囲気づくりを見ていると、塾生の方々の今後の活躍も楽しみになったりもした。

帰り際にこれ買いました

受付周りに出店もいくつかあって、そのうちの一つで売られていた「能登パイぱい(中島菜)」だ。

一つ間違えるとR指定になりそうなこの中島町産のお菓子の名前、付けたのは仲代さんだ。

仲代さんづくしだ。

ダメ元で電話して、運良くチケットを手に入れれて、心から良かったと思う。

三連休の土曜日なのに意外と取れるものでした。