2023年3月11日(土)~3月26日(日)まで、のと鉄道の穴水から能登中島までの4駅で行われていたアートステーションへ最終日に行ってきた。
最初に足を運んだ能登中島駅の次の駅「西岸駅」で目にしたものをまとめたい。
西岸駅へ
無人駅が増えていく「のと鉄道」の駅に新しい風景を創出しようと、穴水駅、能登鹿島駅、西岸駅、能登中島駅の4駅それぞれでアート作品が展開されるアートイベントが行われていた。
「のと鉄道アートステーション -ポッポヤ・イン・レジデンス-」だ。
最終日の3月26日に能登中島駅から足を運び、占いを体験したその続きだ。
次の駅「西岸駅」へ向かった。
電車で行くことも一度は考えたが、車で来ていたので車で向かった。
到着
このように一日雨が降っていたのだけど、自分の他に作品を見に来ていたお客さんが別にいた。
なんか、駅長さんみたいなお子さんも出てきたけど…
駅長体験みたいな、そんなイベントも行われているんだっけ?
と、このときの自分は不思議がった。
事前にHP等で調べたところによると、この西岸駅では小山真徳さんの『電灯句』という、電光掲示板のようなものを使った作品が展示されているはずだからだ。
夜間点灯もあるそうで、どちらかというと夜に見に来たほうがいいような作品なので、日中はまた別のことをしているのかもしれない、とも俄に思った。
まあ、中に入ってみればわかることだ
ということで駅舎の中へと入っていくのだった。
西岸駅といえばアニメ『花咲くいろは』の聖地巡礼スポットになっているところだ。
劇中に登場する架空の駅「湯乃鷺駅」のモデルにはなっているのがこの西岸駅だからだ。
同じく舞台のモデルとなっている金沢市の湯涌温泉で10月頃になると「ぼんぼり祭り」が行われるのだけど、その頃になると祭りに合わせてこの西岸駅が「湯乃鷺駅」に改名しているときもある。
自分もかつて、そのときにこの駅に足を運んだことがある。そういうの、なかなか珍しいし、ちょっとしたミステリーだ。
(西岸駅が湯乃鷺駅に名前が変わっているときに見に行った記事は→こちら)
入ってみると安定の「花咲くいろは」だ
それでも何やらその壁や窓に『花咲くいろは』とは違う、装飾のような展示物のようなものが何枚も貼られている。
説明書きも書かれてあって、貼られているものそれらは住民の方々や旅行者の方たちから預かった「句」なんだとか。
その「句」の中から一日一句、作品の『電灯句』に18時から21時の間、文字を点灯するのだそうだ。
点灯風景の写真も置かれていた
こんな感じで手作業で行うようだ。
ほんと夕方に見に来たほうがいいような作品だ。
ただ、自分にも予定があり、夕方まで待っていられなかったので、点灯前の彫刻作品としての『電灯句』を見ることをこの日のこの駅での目標にしている。
ちなみに最終日の句はこちらだったそうだ
こういうのを見せられると夕方まで残って目にしたいとの思いが強まってくるけど、やはり夜まで待てなかった。
ホームで彫刻作品鑑賞
彫刻作品はホームに置かれている。
駅舎のあるホームとは反対のホームにあるので、出るとすぐ目にできる。
このように
明かりがついていないと、本当に彫刻作品だ。
距離があるので線路を挟んでみると彫られている画もよくわからない。
ということで反対側へ
グルっと回ってきた。
回ってきて目についた…
湯乃鷺駅の看板
久しぶりにこの駅にやって来たけど、「湯乃鷺駅」の駅看板はちゃんと残っているんだね。
待合室にはこんなポスターも
しっかり残っている。
ポスター内に描かれている看板のシミが実物と一緒だ。
このポスターがある待合室のすぐとなりに、『電灯句』が置かれている。
近くで撮影
まだ色白の真新しい木材に鳥の姿が確認できる。
「湯乃鷺駅」の西岸駅だけにサギだろうかと思ったけど、後で確認したら…
朱鷺(トキ)なんだそうだ
たしかに、あらためてこうして見るとトキですわ。
電灯も間近で確認
小さなマス目一つ一つに電灯がはめ込まれている。
どういう仕組で点灯するのか、間近で見ると確認したくなる気持ちが湧いてくる。
翌日も休日だったら夕方まで残っていたのだけどね…
そういえばこれも文字が浮かぶんだよね
電車が来ると、この電光掲示板も作動する。
作品と似ているなぁ、そう思ったのは自分だけだろうか。
駅舎に戻る
『電灯句』は点灯している夕方に見にくるのが一番なのだろう。
昼間ではその魅力の半分くらいしか味わえない。
この電車を通勤や通学で利用されている方々は、それこそこの開催期間中、毎日のように点灯している『電灯句』を目にしているわけで、そう思うと少し羨ましくもあった。
廃駅ではなく現役の駅でアートを展示しているメリットはそこだろう。
開催期間が終わるとこの彫刻作品は撤去されてしまうのかどうなのか気になるところだが、2周間の間とは言え、この西岸駅の風景の一つになってしまっていたのだろうと想像すると、なかなかエモいものである。
そんな事を考えながら駅舎の方に戻ると、その駅舎でもちょっとした作品が展示されていることに気づく。
駅舎の中にも電飾
このように電光掲示板のようなものが設置されていた。
というか駅舎のこの部屋、以前来たときは倉庫のようになっていて、普段は入れないようになっていたように思う。
そこが開放されてベンチやテーブルも設けられ、憩いの場所のようになっていた。
撮りたくなる窓口
置かれてあるものがレトロ。
風車のような、もしくはアンテナのようなものが付いている真ん中のこの機械は何なんだろうか?
気になる。
テーブルには漂流物のようなゴミのようなものが…
これ、駅内で拾ったもの、落ちていたものだろうか?
ただのゴミのようにも見えるけど、誰かの忘れ物のようにも思う。
棚には狸の置物が
しかも泥鰌(どじょう)掬いをしている狸の像なんだからかなりシュールだ。
これ、剥製だろうか?
かなりリアルなだけに手ぬぐい巻いている姿が愉快すぎる。
かわいい。
その下に置かれているのは炉や竈に空気を送るものだろうか?
なんかジブリ作品で目にしたことがあるような、ないような。
現代ではまず使われないようなものだ。
さらに奥の部屋、台所のような場所に誰かいる。
駅長さんのような格好をしているその人が、『電灯句』の作者である小山真徳(こやままさよし)さんだ。
小山さん、期間中は灯台守(『電灯句』が灯台のような働きをしているので)としてこの駅に滞在しているんだそうだ。
台所あるなら生活できるね。
自分も奥の部屋を覗かせてもらったが…
そこにも電飾
その下の小さな地球儀とライトを組み合わせたようなこの機械は一体何なんだ?
アーティストの奇特なプライベートルームを覗かせてもらっているようで面白い。
小山真徳さんといったら奥能登国際芸術祭2017でも『最涯の漂着神』という作品で参加していた方なので、本人を間近で見れて自分もテンションが上がる。
(奥能登国際芸術祭で小山さんの作品を見たときの記事は→こちら)
小山さんは旅人の視点を軸に作品を制作している方のようで、「よそ者」として訪れた土地で、生活者が普段見出すことのない置き去りにされた者たちに深い共感を寄せるのだそうだ。
テーブルの上に置かれたものも、そう考えると置き去りにされたものなのだろうと想像できるし、なんの機械か分からない物たちもそういったもの、もしくは置き去りにされたものを組み合わせて作ったものなのかもしれない。
奥能登国際芸術祭でも漂着神だったし、今回の『電灯句』の彫刻の鳥が「トキ」なのも、朱鷺が渡り鳥だということで合点がいく。
テーブルで談笑している小山さんともう一人
小山さんと喋っていた竹笠をかぶった方は「仮()-かりかっこ-」というユニットの一人だ。
実はこのアートステーションというイベント、4駅の作品の他に各駅を横断する『仮(交換)』という5つ目の作品も展開されていて、それを創出しているのが「仮()-かりかっこ-」なのだ。
この格好で能登中島駅を歩いている姿も目にしたし、おそらく電車に乗って隣のここ西岸駅にもやって来ていたのだろう。
二人でお茶を飲んでいた。
何なら自分にもお茶を淹れてくれた。
絵を見て楽しそうな二人
二人で子供が描いた絵を見て話していたのだが、それを描いたのがこの駅到着時に目にした駅長の格好をした、あの子供だという。
小山さんはその子のことをはっきりと「駅長」と呼んでいた。
駅長の「ゆうま」くんという子がいたそうなのだ。
そういえば入り口にはこんなものも掲げられていた
キッズたちが駅長… いいね。
無人駅でいるよりも、子どもたちが好きで駅長をしてくれている方がこの場所に活力を感じる。
二人はこの駅で放課後児童クラブのようなことをできないかといったことも話していたが、アーティストが考えることはほんと面白い。
そうなれば確かにこの駅に新しい風景ができますな。
夜に来れず、電灯が光るところは見れなかったけど、いいものを見聞きできた。
感想
西岸駅での『電灯句』、どう考えても点灯する夜に見に来るべき作品だと思うけど、駅舎の中も見、そこに滞在している作者さんの話を聞いていると、その電飾だけが作品ではないとよくよくわかった。
彫刻作品という物体もそうだけど、ここにやってくる人こそが、新しい風景を作るんだなということを理解したのだ。
人々から「句」を預かって毎日選んで掲示していたことも、「人」にフォーカスしているからなのだろう。
西岸駅がある中島町なんてほんと田舎だけど、そこにやって来て、そこに住む人たちにもちゃんと目を向けてくれていることが県民としてうれしい。
ましてや中島町は祖父母の家がある馴染みの町なので、自分としては感謝したくなる。
よくよく考えるとこれも「人」が作った新しい風景か
「花咲くいろは」の聖地巡礼で訪れたファンの方々の交流ノートがいまもこうして残され、更新され続けている。
こういうのもやってくる人たちが作るこの駅の風景なんだよね。
自分としては西岸駅と言ったらこれなので、馴染みの風景になっているよ。
チョークの文字も人が書いたって感じがして自分好み
小学生時代を思い出して懐かしくなる。
スマホとかデジタルなものがどれだけ発達しても、こういうのは残してほしい風景だなとも思う自分である。
『電灯句』作者の小山真徳さんは、今年の秋に珠洲市で行われる奥能登国際芸術祭2023にも作品を出すということなので楽しみだ。
もちろん自分も観に行く。
次回は西岸駅の次の駅「能登鹿島駅」で目にしたものを取り上げたい。