先日、七尾市中島町にある祖父母の家の掃除を手伝いに行ったら、地元の神社である本宮社の神輿が渡御していたので、たまらず写真を撮ってしまった。
中島町へ
9月17日(土)に、中島町にある祖父母の家の修繕、掃除の手伝いにいっていた。
向かう途中、祭会館の近くの交差点で祭の旗が立っていたので、つい足を止めてカメラを向けてしまった。
本宮社(ほんぐうしゃ)の幟旗だ
三日後の9月20日(火)には久麻加夫都阿良加志比古神社で「お熊甲祭」が行われるので、町内の参加する末社の神社もこうして旗を掲げて準備をしているのだろうと思い、記録したのだ。
本当なら20日のお熊甲祭に足を運びたかったのだけど、なにせ平日で、さらには台風が石川県に最接近するのがこの日あたりだとの予報もあったので、有給休暇の申請もしておらず、ほぼ諦めていたところであった。
それだけに、これだけでも撮れて祭りの空気だけでも吸えたかなと満足する自分がいたのであった。
ただ、祖父母の家の手伝いをしながら親族と話していると、なんでもこの日が山戸田区の神社である本宮社の祭りがあるという。
幟旗も、お熊甲祭が近いから掲げていたのではなく、本宮社の神輿渡御が行われるから掲げていたのであると、教えてもらったのだった。
そういえば子供の頃に祖父母の家の前の道を神輿や赤い枠旗(お熊甲祭でも使われる)が練り歩いているのを見たことがあるのを思い出した。自分の父親も当時それに参加していたはずだ。
その父親いわく、でも今日、本当に神輿渡御が行われるかはわからない、とのことであった。
実際、昼を過ぎてもそれらしき行列が現れるわけでもなく、この地区独特の鉦(かね)の音も聞こえてこないので、若手不足や人手不足、はたまたコロナ禍のせいで中止したのかもしれないとの推測もしてしまっていたのであった。
やっていた本宮社の祭
一仕事終え、お昼ごはんも食べ終えてまったりしていた頃、ふと耳に鉦の音のようなものが届いた。
「もしかして…」と父親に確認してみると、
「あ、まつりやっとるわ」との返事。
にわかに興奮してしまって、自分はカメラを手に外へと飛び出していたのであった。
どこを渡御しているのかわかっていないのに、である。
とりあえず耳で鉦の音がどこから聞こえてくるか確認し、その音を頼りに近所をグルっと歩き回った。
台風が近づいているせいで9月だっていうのに真夏日並みの気温の中をである。おまけに水筒も持たずに…
我ながら危ういことをしたが、それくらい一行を確認したくてしかたなかったのだ。
あ、いた
祭はやっていた。
目にするや、このようにシャッターを切っていた。
中島町全体のお熊甲祭は何度か足を運んで撮影し、当ブログでも記事にしている。
(お熊甲祭を初めて撮影しに行ったときの記事は→こちら)
(お熊甲祭の島田崩しを見に行ったときの記事は→こちら)
が、中島町でも、さらに祖父母の家のある地区である山戸田の祭をこうして撮るのは初めてのことなのだ。
目にするのも、自分が子供のとき以来だ。
この法被、なつかしい
この「○」のマークもなつかしい。
ノスタルジックな感情も湧いてくるのだった。
猿田彦もいる
神輿や枠旗を先導する国津神だ。
かつてうちの祖父がこの衣装を寄贈(奉納かな?)したとのことだけど、いまでもそれを使っているのだろうか?
神輿はいる
自分が子供の頃はお熊甲祭でも使われるでっかい枠旗も出していたそうなのだけど、人手が減って、今年は神輿だけが渡御していた。
自分としては、神輿だけでも目にできて良かったと思う
神輿を「担ぐ」となると最低でも12人は必要らしい。
担ぐこともできず車輪に乗せて引いていたが、それでも自分は見れて嬉しい。
こんなところも入っていく
こういった光景も懐かしい。
むかしは奥の山の方にも入って、そこで神事(祝詞をあげるのかな?)もやっていたみたいなのだけど、山の中に入るとなると、それこそ神輿を「担ぐ」必要があるため、今ではできないのだそうだ。
グルっと近所を回ってこんなところにも
子供の頃、祖父母の家に遊びにいっていた時、自転車や一輪車(押すやつ)に乗ったり押したりしてこのあたりで遊びまくっていたなと思い出す。
手前のゆるやかな坂で自転車から転げ落ちて怪我したこともあったけど、今となってはいい思い出だ。
田園風景の中の猿田彦
のどかだ…
そして、これこそ中島町山戸田らしいと思ってしまうのは、昔の思い出のせいだろうか…
背中の「○」がかっこいい
規模が縮小したって関係ない。
こうして続けられていることが素晴らしい。
なにやら幟旗の方へと向かう一行
あとを追いかけてみると、一行はそこで止まり旗の前で神事を執り行い始めた。
このように
こんなところでも祝詞をあげるんだ…
子供の頃にこの光景を目にしていないので、自分には新鮮であった。
大人になって初めて分かることって色々とある。
いい景色だ
電線がちょっと邪魔してるけど、気にしない。
それくらい、自分には気持ち改まる景色だった。
この位置からだけど、自分も一緒になって背筋をあらため、一緒に柏手も打っていた。
なお、「本宮社」と書かれた白い幟旗であるが、これ、今年新調したらしい。
よく見ると神輿もきれい
これも近年、新調したのかな?
すんごくピカピカしていた。
その後、集会所に入っていく一行
幟旗の前で神事を済ませたあと、一行はすぐそばにある集会場に入っていった。
近所の方が言うには、ここで休憩してから、また神社(本宮社)へと戻っていくそうだ。
自分は時間の都合上、これ以上、一行を追いかけられなかったが、お熊甲祭の代わりに、自分の郷愁に触れるいいものを見れたと満足している。
感想
本宮社の地図
自分、本宮社がどこにあるのか、正直よくわかっていなかった。
あとで父親に大体の場所を聞いて、こうしてグーグルマップでも確認して、ぼんやりと思い出していた。
すると自分の記憶の中で、小学生の頃に夏休みに祖父母の家に泊まりに行った際、朝のラジオ体操を神社でしていたような景色が蘇ってきた。
今回の本宮社のお祭りのお陰で、祖父母と過ごしたなつかしい思い出が蘇ってきたのだった。
地元の祭はいいものだ… この記事を書きながらふと目頭が熱くなってもきたものである。
新調令和四年九月吉日と書かれてある
こうしてみると幟旗、でかい。
この今年新調された本宮社の幟旗、クラウドファンディングで資金を募ったのだとか。
現代らしい取り組みだ。祭も進化しているね。
ちゃんと集まったようなのだから、自分のようにこうして祭が続いてほしいと思う人は地元の人が思っている以上に多いのではないのかと思う。
次にまたこのようなことがあれば、微力ながら自分も協力したいものである。