今年(2019年)も9月20日に七尾市(旧鹿島郡)中島町でお熊甲祭が行われていた。
2年前に足を運んだ際、途中から降った雨のせいでクライマックスの「島田くずし」を撮影どころか目にすることもできなかったので、これを一番の目的にして見に行ってきた。
リベンジである。
中島町の久麻加夫都阿良加志比古神社へ
中島町のお熊甲祭は久麻加夫都阿良加志比古神社(くまかぶとあらかしひこじんじゃ)の秋祭りだ。
国の重要無形民俗文化財に指定されていて、毎年平日休日問わず9月20日に行われていることから二十日祭とも呼ばれている。
天狗面の猿田彦が先導する「枠旗」で知られるのだけど、高さ20メートルクラスの大きな枠旗を担ぐ祭りは全国でも能登地方の一部でしか見られないという。
枠旗は部落それぞれの神社(末社)を神輿とともに出て、久麻加夫都阿良加志比古神社へと集ってくる。それがだいたい午前10時頃だろうか。
その頃より見物するならまず久麻加夫都阿良加志比古神社を向かうと良いだろう。
自分もそうした
写真は神社のそばにある「能登中島祭り会館」前のものだ。ほんと午前の10時頃に中島町に到着した。
それぞれの末社を立つところから見るというのも考えたけれど、このお祭り、最初から見ようとすると朝の7時くらいからスタートするので相当早起きが必要になる。この日の自分には無理であった。
ここで地図
久麻加夫都阿良加志比古神社がどのあたりにあるのかわからない人は、のと里山海道(旧能登有料道路)の横田ICで降りるとすぐなので、基本はそのICに向かうと良い。
ただ、まつり当日は横田を降りたところで交通規制を行っているので、自分は敬遠して、金沢からだと一つ手前のICである「徳田大津」で降りている。
そうして祭り会館の近くにある祖父母の家に停めている。
以前のお熊甲祭りの記事でも書いたように、この中島町は自分にとっては「田舎」になる。子供の頃から墓参りなどで何度となくやって来ている。
それにしても今年は車の数が多かった。
臨時駐車場になっていた祭り会館も満車
このあたりの道路にも路駐する車が何台もあって、2年前に訪れたときと比べると随分と混雑していた。
今年2019年は9月20日が3連休前の金曜日であったので、自分同様に仕事を休んで足を運んでいた人も多かったのではないだろうか。
なお、シャトルバスもあった
臨時駐車場は中島町内のいくつかの場所に設けられていて、それらより久麻加夫都阿良加志比古神社へと向かうバスが何本か出ていたようだ。
こんなの2年前にあったっけ?
写真でもわかるように、奥の方では「枠旗」が見える。
縦に長い大きな旗がついた神輿のように担げるものが「枠旗」(わくばた)だ。
20メートルくらいあるので天を突き刺すような高さだ。
その枠旗が向かおうとしている写真奥左手に目的の神社がある。
神社に集う枠旗や神輿、猿田彦の様子
やってる、やってる
神輿や枠旗は鳥居の前で持ち上げたり傾けたりと何度かアピールしたのち鳥居の横の狭いところを通って境内に上がっていく。
このとき境内には数基の枠旗と神輿がすでにいたが、まだまだ続々と入っていっていた。
こんなところを入っていく
神輿は鳥居をくぐっていた。
神輿を持ち上げれば
枠旗もリフトアップ
みなさん、すげぇ力だ。
これら神輿や枠旗を先導するのが天狗面をつけた「猿田彦」だ。
今年も軽快に独特のテンポで踊りながら導いていた。
こちらが猿田彦
全体で見ると何人もいるので、鳥居近くや境内で待っていると続々目にすることができる。
主にお年寄りの方が演じているようだが、中にはそのお孫さんであろう小さな猿田彦もいる。それがまたかわいい。
じいじと孫な猿田彦
2年前にも目にした光景だ。
今年もちゃんと継承されているんだと思うと不思議と安堵がある。
ここからはそんな今年のまつりの熱気を伝えるため、境内から撮った神輿や枠旗、猿田彦の写真を以下にいくつか羅列したい。
なんかすげぇ人いた
お酒もグビグビ
見物客の1人である自分にも、どうかとばかりに酒瓶を向けられたりもしたけれど、さすがに運転があるので遠慮してしまった。泊まりだったら一度は飲んでみたいものだ。
猿田彦の行列
一斉に演舞
近い…
顔…
手に持っているのは「メン棒」
子どもたちも猿田彦
太鼓を叩くのも子どもたち
地元の中学生や小学生くらいの子が太鼓を叩きながら神輿を追いかけていた。
太鼓を担ぐ人が走り出すと、子供らも走って追いかけながら叩いていたのがかわいかった。
境内での撮影ポイントはいくつかあるけれど、やっぱり鳥居付近が迫力ある写真を撮れたと思われる。
むかし(うちの親が子供の頃)は見物客がいようがかちかまわんと神輿やらが境内へと突っ込んできたようなので、通り道は空けながら極力邪魔にならないように撮ったほうがいいと思われる。
ちなみに鳥居をくぐった直ぐのところで撮っていたら、あとからあとから自分の前に割り込んでくるカメラマンもいたくらいなので、場は結構わちゃわちゃしていた。
祭りの撮影は難しい。もちろん、マナーも守りたいものである。
島田くずしを撮る
枠旗や神輿が境内に集合し終えるのがだいたい昼の12時くらい。
そこから1時間ほど休憩して昼の13時くらいから渡御が再び動き出す。
橋の近くこと加茂原がお旅所になっていて、そこへ向かうのだ。
その加茂原にて、2年前に雨のせいで見ること、撮ることができなかった「島田くずし」が行われる。
何度も言うように今回はこれを一番の目的としているので、気持ちはそっちに集中していた。
そんなもので、13時くらいには渡御を先回りして橋の方へと向かっていた。
2年前にもやってきた橋だ
2年前はここに到着した頃に急に大雨になって、カメラと身を守るために近くの商店の脇の自動販売機置き場の軒下に緊急避難することになった。
そこからではお旅所は見えなかったのだが、そんな雨の中でも、枠旗が島田くずしを行ったと後日新聞で読んで知って、悔しい思いをしたのである。
そもそも「島田くずし」がどんなものかというと、枠旗の旗を地面から見て水平にする力技だ。
あまりに重くて難しい上に、近年では担ぎ手も減って長年見られなくなっていたのだけど、数年前からまた復活している。
ただ、やっぱり天気が悪かったりするとなかなかやれるものでもない。近年ではレアな光景なのである。
だからか自分と同じように先回りしていたカメラマンがすでに何人もいた
まあ、それでも島田崩しが行われる頃には、田んぼや道路脇に人だかりができてしまうのだから、このときはまだ撮影場所をキープしやすい状態であった。
ちなみに自分は田んぼ脇の土手の斜面に陣取ることにした。
こんなところだ
まだ昼の1時過ぎで、神輿や枠旗も神社を出たころであるからお旅所に人はいない。
ゆっくりやって来るので最初の一基が到着するのは昼の2時くらいだったろうか。
やってきた
写真でもわかるようにこの頃にはお客さんの数も増えて、みなさん道路の縁や田んぼの畦なんかで陣取っていた。
こうやって見物
なんか、のどかだ。
真ん中の畦からみて手前の田んぼは、このあと島田くずしがあるので皆さんさすがに陣取っていなかった。
これがどういう意味かはあとの写真でわかっていただけるかと思う。
また、陣取らないにしても田んぼを通過する人はいる。その際、特に手前(写真左側)の田んぼは収穫後とはいえ場所によってはまだぬかるんでいるところがあるので踏み込む場合は注意が必要だ。
足首辺りから泥だらけになります。
神輿や枠旗も続々到着
持ち上げたり、パフォーマンスも忘れない。
この持ち上げるの「さしあげ」という技だそうだ。今更だけど、これだけでもかなりの力技だ。
中には女子大生(と思われる)たちによるちょっと小さめの枠旗も
県内または県外の大学の女子たちだと思われる。
担ぎ手不足の中、毎年こうして担ぎにやってきてくれているようだ。ありがたい話だ。
女子だけでも、ちゃんと持ち上げたりしていたからすごいものだ。
ただ、さすがに「島田くずし」までは無理なようだ。
この技は男衆でも難しく、末社によってはできないところもある。
人も大勢いて、練習もしてないとなかなかできないものらしい。
そんな島田くずしを陣取った場所からちゃんと撮れたので、その写真を以下に並べたい。
枠旗の綱を持った方が手前の田んぼに入ってくると始まる予感
傾き始めると「島田崩し」が始まる
こうなって、
こうなって、
こうなって…
こんなところまど降りてくる
旗を地面スレスレまで傾ける、これが「島田くずし」だ。
むかし、女の人がよくしていた髪型である島田髷を枠旗の先端でかすめて崩してしまったことからこんな技名になったそうだ。
見物客の頭をかすめるわけで、真の「島田くずし」は地面スレスレに傾けながら横に移動までしてしまう。
キレイに横移動まで見せてくれるところはさらにレアになってくる。
担いでいる人たちはむっちゃ大変だ
この状態をキープするだけでも重すぎてきつい。
上で引っ張っている人も相当にヘビーだ。
耐えきれずに潰れてしまいそうになっていたところも
このあと、なんとか持ちこたえていたけど、気の緩みを許されないハードな技だ。
なお、写真でもわかるように傾けた旗の下を猿田彦が通過したりする。
猿田彦だけではなく神輿や太鼓も走って通過してみせていた。
神輿、通りま~す
太鼓、通りま~す
通過できるくらい傾きをキープしないといけないようだ。
ちなみに、自分は島田くずしが始まると一箇所にとどまらずあっちこっち移動していた。
畦の後方の田んぼは足元が固かったので靴でも移動しやすかった。もちろん見物の邪魔にならないようしゃがみながら移動した。
すぐ近くから撮りたかったもので
危ないかなと思ったけど、畦でずらっと見物客が腰を下ろして見ていたら平気そうに思えた。実際、畦の方までは届きそうで届かない。
だいたい先端が田んぼの上
こんな低いところまで下ろしてくるけど、ここなら見物客には届かない。
この地面につくかつかないかのところでキープすると歓声が起こる。
地面についちゃうと見物客の皆さんからため息が漏れる
その反応がわかりやすくて面白い。
長いものは頭の上あたりでキープ
たとえ畦まで届く長い枠旗でも引っ張っていた人たちがちゃんとコントロールしてくれていた。
すごい芸当だ。
こっち側から引っ張る人ももちろん大変
ここも複数人で引っ張るものだと思っていたら、結構1人で引っ張っているところが多かった。
信頼の名のもとに真下から撮影
畦のまわりでしゃがみながら撮っているとちょうど真上に降りてきたので逃げずに撮った。
コントロールされているのを見て、大丈夫だろうと勝手に信頼しての撮影だ。
もちろん危険だと思ったら避けてましたが…
担ぎ手の人も引っ張る人もあえてこちらのギリギリを狙っているようにも思えた。
見事ギリギリでキープされたときには自分はむちゃくちゃ拍手していた。
祖父母の地元、山戸田の枠旗も頑張ってた
砂埃が上がるくらいの勢い。
余談だけど、この山戸田地区の旗だけは猿の血で染めているのだとか。本当かよ…
最後に真の「島田くずし」
中島町出身のものが「ここまでやらないと本当じゃない」と言っていた横移動の様子を撮れたのでGIFにしてみた。
この地区の枠旗は見事なくらいキレイに端から端まで地面ギリギリのところを水平に横移動させていたからたまげた。
しかも最後の最後の方で。
さらにはもう一つ別の地区でも同じくらい横移動させていたところがあり、そこは先行する山戸田の島田くずしを追いかけながら島田くずしをするという追走まで魅せてくれて凄かった。
なんだこりゃという迫力
なんだろう、パラレルドリフト(2台の車でドリフトしていくやつ)を思い浮かべてしまった。
この追走を何と呼ぶのかわからないが、自分は勝手に「パラレル島田くずし」と呼ぶことにした。
この頃には帰ってしまっている見物客も多くいたけど、いやはや、いいものを見れた。
感想
島田くずし、やっと見れた。
毎年、平日だろうと9月20日に行われ、それだけでも見に行きづらい上に、雨が降るとなかなか撮影もしづらい「お熊甲祭」の「島田くずし」を目にすることができて、また写真に撮る事ができて満足だ。
2年前は雨に泣かされ(昨年は休めなかった)、自分の中では見事リベンジを果たせたと思う。
いや、もはやリベンジだとか、そういった気負いも完全に忘れてしまっていた。
大人になって改めて目にした島田くずし。頭の上ギリギリのところまで下ろすコントロール、さらには横移動には、ただ感動してしまったからだ。
自分の「田舎」の祭りって、決して大きくはないけれど、すごいことやっていたんだなとも知れた。
これを知れたことで、なにか自信のようなものを持てたのだから「故郷」というものには不思議な力がある。
お旅所での祝詞も見届けて帰る
またここに帰ってきたい。