初心の趣

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廃駅の旅12 「七見駅」

廃駅がどこにあるか見つけるならバス停を探すことから始めるとだいたいOK!

その法則がまともにハマった廃駅の旅12回目だ。

今回はのと鉄道の旧能登線にあった「七見駅」に行ってきた。

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バス停を探せというかバス停

のと鉄道廃線を中心に廃駅となった駅を訪れる旅もこれで12回目だ。

今回も旧能登線を辿っている。

能登線の中でも鳳珠郡能登町にあった駅、前回の鵜川駅(能登町)の次のところ「七見駅」である。

七見はこう書いて「しちみ」と読む。

廃駅がどこにあるか見つける時、だいたい近くに北鉄バスの停留所が設けられていることが多く、まずは旧駅と同名の、もしくは同じ町の名の停留所を目指して行くと良かったりするのだけど、今回訪れたところはその法則が今までで一番ハマっているところだと思う。

近くにあるというか、現在バス停として利用されているのである。

地図を見てみよう

同時にバス停「能登七見」 の地図も

わかるだろうか、同じ場所にあるのだ。

穴水の方面から珠洲方面へ向けて国道249号線を走っていると能登町の七見に入ったあたりで左手にそれは現れる。

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こちらが実際の写真

「七見駅」と書かれた待合室がポツンと建っている。

国道249号が結構に山道だったりするので、道路の脇に駅の待合室があるとなかなか目立つ。

すぐに見つけられるだろう。

 

外見をチェック

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しっかりと駅名

駅名が書かれているのだけど、その前にはバスの停留所案内表示板も置かれているのでバス停なのである。

なんでも能登線廃止後、待合室をバス停の待合室として転用したそうなのだ。

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こうしてみるとバス停

この待合室以外、駅らしいものは何も残っていないという。

たしかに線路もなかったしホームもなかった。

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駅っぽいものといったら他にはこの柵くらいだろうか

線路があったと思わせる柵だ。

この角度から見るとわかるように待合室以外本当に何も残っていないのである。

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こちらはおそらく線路跡

見事に跡しかない。どこかに枕木が置かれているといったこともなかった。

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でもこういうのは置かれている

よく駅名なんかが書かれている駅看板だと思うけど、なぜかその中に力士の絵が描かれていた。

六代目横綱阿武松(おうのまつ)だそうだ。

後から知ったことだけど、この阿武松能登国鳳至郡七見村の出身なんだとか。

人並みに相撲も好きな自分であるが、阿武松のことはこの時初めて知った。

なにせ1791年(寛政3年・江戸時代)生まれの人だ、歴史の授業である。

看板によると、碑も同町にあるようだ。

碑への地図はなく、「南へ八00M」とだけ書かれてあった。

南がどこかすら自分にはわからなかった。

こっちが南だろうかと思って振り替えると、民家がいくつも立ち並んでいた。

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南だろうと思って振り返った先の景色

町の中を探してみたい気持ちもあったが、いかんせん自分は迷子常習犯であるから、ドラクエ2ロンダルキアのように迷うイメージしかわかなかったので断念した。

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こういうのも気になる

「電化ショップすざき」にて感謝祭が行われるとの広告が貼ってあった。

地域感が出てて、個人的にこういうの好きである。

駅の名残はあまりないかもしれないけど、いまも使われているところなんだなと思えて安心する。

ちなみにここ、海抜11メートルのところにあるそうだ。

 

中もチェック

待合室は現役のものであるから中に入ることもできる。

入れない廃駅も多いので旅人の自分としては助かる。

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オープン

昼過ぎに行ったこの日の太陽の位置のせいか、それとも立地によるものなのか、中は薄暗かった。

入ってみると木のいい香りがした。

ここで今更のように全体的にウッドハウスみたいな建物だと気づいた。

能登ヒバだろうか?

使われている木材が気になるところである。

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入ってすぐ正面にバスの案内

あくまで現在はバスの待合室である。

左上の注意書きには、犬が入ってきてフンをすることがあるので、戸は開けたら閉めるようにと書かれてあった。

生活感みたいなものが出ているなぁ。

その中であるが、決して広くない。

奥行き1メートルくらいのところにベンチや、タバコの灰を捨てるボックスなんかが置かれていた。

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喫煙可能ということだろうか

自分はタバコを吸わないので関係ないが、能登の冬は寒いので待合室で吸えるのは喫煙者からすると助かるのかもしれない。

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窓から一枚

ここから撮ると停めていた自分の車がより少し映えるような気がした。

自己満足である。

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反対側の様子

壁には鏡が掛けられていて、その下にはチリトリやスコップなんかも置かれていた。

スコップは、雪かき用だろうか。

さらにベンチの端には公衆電話ご利用の案内図とノートが置かれていた。

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こちらがそれ

この公衆電話案内図、線路がかかれているところを見ると、能登線がまだあった頃の、つまりここがまだ駅の待合室であった頃のもののように見受ける。

だとしたら懐かしさを感じられるアイテムだ。

しかもノートには「駅ノート」と書かれてある。

これも能登線があった頃のものなのかは不明だけど、駅がまだそこにあったかのような雰囲気はある。

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中を見て撮ってしまう自分

旅の記念や感謝などが綴られてあった。

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子供の落書きみたいなものもありましたが…

自由だ。子供は自由だ。

こういうのを見ると幅広い世代で開けられているノートなんだなと思う。

これはこれで愛されているというものだろう。

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ノートの下にはこんなものも残っておりました

なにを注意しているのか不明だけど「注意」とある。

これも駅で使われていたものだと思う。

いまでは「落書き注意」にも見えてきそうだけど、子供の自由を奪うようなことはしたくはないものである。

 

まとめ

以上、いまの七見駅の様子である。

待合室のみが残っている状態であるが、バス停の待合室として再利用されていることからいまでも使用され、町の人達の生活に溶け込んでいるところであった。

廃駅がただ廃れていくだけの状態を寂しく思い、何かしらで再利用できないのだろうかと思ってしまう自分としては、この旧七見駅の姿には安堵してしまう。

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脇には掲示板もある

「七見なかよしサロン」の案内とかを見ていると、この町、元気だなと思ってしまう。

なによりこんな掲示板が置かれていると、ここが町の情報の発信地、つまりは町の中心のようにも見えてくる。

バリバリ現役のところなのである。

昨今、SDGs(持続可能な開発目標)なんて言葉も出てきているが、この廃駅の利用もその一つではなかろうか。そう思えてならない。

一つ心残りといえば、阿武松の碑の場所がアバウトすぎて分からないということだ。

実は後日、南の方向(民家が並ぶところ)へ車で入っていったんだけど、結局碑の場所はわからなかったのである。

迷子になりかけたし…

でもまあ、そのわかりづらさが高難度クエストみたいで嫌いじゃないですが。

そのクエストのせいで自分としてはこうしてブログでまとめた後も気になってしまっている。いつかまた足を運びたくなっているのである。

迷子常習犯のくせに迷宮に飛び込みたくなるのだから自分も大概である。

あしからず。