初心の趣

カメラ初心者の石川県人が同県を中心に地方の変わった魅力を紹介しています

志賀町の富来八朔祭礼の海岸渡御は海と太陽と神輿がきれい

8月25日の昼、志賀町の富来地区で行われていた富来八朔祭礼の本祭りを見に行ってきた。

主な目的は増穂浦海岸を神輿が渡御する様を目にすることだ。

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住吉神社で神輿と太鼓

富来八朔祭りは八幡神社男神住吉神社の女神の逢瀬のためのお祭りだ。

旧暦の八月朔日に行われていたことから八朔祭りというそうだ。

今年2019年は8月24日(お旅まつり)と25日(本祭り)にかけて行われていた。

奉燈も見られる、能登キリコ祭りの一つだ。

夜の奉燈を見るなら24日の「お旅まつり」に足を運ばなくてはならないが、自分は時間の都合があわず、25日昼の「本祭り」のほうへ行くことにした。

とはいえ、これまた時間の都合で祭りのすべてを見ることはできそうになかったので、神輿の海岸渡御の風景をターゲットに向かった。

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ということで住吉神社に到着

本祭りは昼の14時から、この住吉神社にて神事を執り行ってスタートするので、その少し前に到着した。

すでに何基か神輿が境内に入っていて担ぎ手たちで賑わっていた。

住吉神社は海岸からも近く、あの辺りで駐車していた者からすると行きやすい。

ちなみに初日のお旅まつりは八幡神社より始まるのだけど、八幡神社は海岸からはそれなりに離れていて、臨時駐車場からも距離があるのでちょっとばかし苦労するかもしれない。

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続々と神輿がやってくる

計11基だ。

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太鼓もいた
菅原神社とあるように地区内のいろんな神社が集まっているのがわかる。

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技の披露も忘れない

高く掲げたりとそれぞれで魅せてくれていた。

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拝殿のこんなところまで入っていく

すごいことするなぁと思うけれど、これも奉納。

このあと境内の端々に神輿を並べて11基すべてが揃うと、太鼓のイベントも始まった。

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地元の子供たちによる

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太鼓の演舞

増穂子供太鼓と富来子供太鼓の子たちだ。

子供といっても叩き方に大きな動きもあって見応え、聴き応え十分。かっこいいものだ。

これら演奏が終わると神事に入る。

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代表者の皆さん、拝殿の前に集合

祝詞を上げ、お神酒も頂いて神事を済ます。

こうして見ると拝殿の周りに見物客がいっぱいだ。おそらく地元の方々だろう。

上がっている人たちもいるし、この近い距離の地元感がいいですな。

 

海岸渡御で海と太陽と神輿と

住吉神社で神事を済ますと、神輿の渡御が始まる。

これから増穂浦海岸へ向かい地区内を回って初日のスタートである八幡神社へと帰っていくことになる。

先程も書いたが、自分は増穂浦海岸を渡御するところまでしか時間の都合で見れなかったので、以降、その様子を中心に写真をまとめたい。

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最初の神輿が神社より出立

この日は天気が良くて、風もそれなりにあって気持ちの良い日だった。

撮影するにはうってつけの日だったと思う。

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おかげで海がすごくきれいに見えた

神輿より先回りして増穂浦海岸へ向かっている最中だ。

時間にして14時半くらいだろうか。

海に照りつける太陽の光が、ただ撮るだけでキレイに写ってくれる。

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ちなみにこんな交差点を渡っている

当ブログでも以前紹介している「世界一長いベンチ」があるところだ。

世界一長いベンチの記事はこちら

写真でいうと神輿は右手よりやって来る。

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警察の人たち

交差点なので車も普通に通る。

こうして警察官の人たちが交通整理をして神輿を通していた。

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通るときは常に青信号

これ、信号をコントロールしていたのではないだろうか。

渡る時、見事にずっと青だった気がする。

安全第一ですな。

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海岸へ下ってくる

ここを下るともう増穂浦海岸だ。

この海沿いを11基の神輿が進んでいく。

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こんな感じで

海の中に入っていくわけではないので、やんちゃなものではない。

やんちゃではない分、ちょっとキレイな画を撮りたいなと思った次第だ。

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海をバックに

増穂浦海岸は夕日が美しいことで有名なだけあって、海に照る太陽光がよく映える。

これだけ天気がいいと光量も十分すぎるくらいあるし、ただシャッターを切るだけでキラキラした画になってくれた。

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こんな角度からでも

海を真後ろにしなくても、横から差さる夕日のような太陽光のおかげで人物が際立ってくれる。

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ちなみに神輿はこんな感じで並んでいく

到着した順に神輿を下ろして海沿いに並んでいく。

ここでしばらく休憩になるのだ。

その休憩の間に子どもたちが太鼓を叩いていたりしていた。

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太鼓少女も思い出深く

夕日ではないのだけど、夕日っぽい海岸の光のキラキラをバックにすると、哀愁だったり青春っぽいイメージになってくれるのは何故だろうか。

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休憩する姿も思い出深く
こちらは逆に太陽光を背に受けながら撮影。

こっちから撮っても太陽光がいい具合にあたって、いい具合な画になってくれる。

このあと11基がそろい、ひととおり休憩も終わると再び動き出す。

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神輿

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渡御…

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再開

再び動き出すのが15時過ぎ。ここに到着した頃よりも日が若干傾いて、より夕日に近いような気がしたので、そのときもまたシャッターを切りたくなった。

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厳密には夕日ではない(かなり太陽は高い)けれど

海と太陽と神輿のセットで撮りたくなったのだった。

このとき、どこにピントを当てていいのか、いまだ初心者の自分にはよくわからなかったけれど…

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よくわからなくても撮る

太陽を正面にカメラを構えていると、神輿が目の前を通る時間なんてそう長くはない。

あれこれ考えて、シャッターを切る機会を逃すくらいならバシャバシャ撮っていたほうが、ナマモノっぽくって自分にはいいような気がした。

実際、担ぐ人たちの動きのある画が撮れたと思う。

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これも…担ぐ人

こういうのも祭りの一風景。

撮らずにはいられなかった。

 

感想

時間の都合で海岸渡御しか撮れていないものの、以上が今年、自分が目にした富来八朔祭礼の風景だ。

この前の週に同じ志賀町の西海祭りで夜のキリコを見に行っているので、昼ではパンチが弱いかなとも思ったけれど、想像以上に海と太陽がキレイで、それをバックに運行される祭りというのも被写体として全然アリだと思い知らされた。

夜に撮った西海祭りとも結果的にいい対比になって自分の中ではかなり満足だ。

海と太陽って画になる。

その両方がある増穂浦海岸の魅力も再確認したよ。

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ゴミをちゃんと拾っていたのも印象的

そんな増穂浦海岸を、たとえ高揚する祭りとはいえゴミを残さずキレイに保とうとする光景も印象的であった。

そういった姿もこうして思い出の1ページのように撮りたくなった。

裏方かも知れないけど、これからも長く祭りを続けていくうえでは欠かせない役目だと思われる。

こういった光景を目にすると、こちらとしても来年以降、また祭りを見に来たいと思った。

次は夜のキリコの方も撮りに来たいものである。