2018年も日本三大火祭の一つに数えられる七尾市能登島「向田の火祭」に足を運んできた。
その日は台風が接近していて強風が吹いていたにもかかわらず実施されていたので、風が吹きつける中の大松明の様子を伝えたい。
台風12号が接近している中でも開催
日本三大火祭の一つでもあり、石川県指定無形民俗文化財でもある能登島向田の火祭は毎年7月の最終土曜日に行われる。
今年(2018年)は7月28日がその日だった。
ところがこの日、東から西に流れるという珍しいルートをたどる台風12号がもっとも石川県に接近する日でもあって、風が強かった。
中止になるんじゃないだろうかと、能登島へと向かっている最中、何度も頭をよぎったものである。
実際、同じ日に行われる予定であった県内の別のキリコ祭りは中止になっていた。
このように
こちらは同じ七尾市の中島町で同日に行われる予定であった「塩津かがり火恋祭り」の中止を知らせる看板だ。
実を言うと、昨年向田の火祭を見に行ったので、今年は同じ日のこちらのキリコ祭りを見に行こうと当初計画していた。
(昨年の向田の火祭の記事は→こちら)
塩津かがり火恋祭りでは切子燈籠を乗せた船が海へと漕ぎ出され、蓮の葉の流し火も流されて光の道を演出するという。
一度見てみたかったし、撮影してみたかったのだが、火を使う以上、また風が強く波が高くなる以上、中止になるのも仕方がない。
いや、本来これが正しい、大人の判断というものなのかもしれない。
先に中島町でこのお知らせを見た後に能登島へと向かったので向田の祭りも中止になっているかもしれないと考えてしまうものだろう。
ところが現地に行ってみると中止の気配はなかった。
七尾市のHP等で確認してもそんなお知らせは出ていなかったのだ。
事実、夜の9時過ぎになると…
なんか始まっていた
大小7基のキリコが高さ30メートルの大松明がある崎山広場に向かっていた。
このときすでに風がビュービューと吹いていたことをまず記しておきたい。
キリコの脇を抜けて大松明の足元へ
夜の8時過ぎくらいにキリコが神社より出発し、そんなに離れていない広場までゆっくり時間をかけてたどり着いて、夜の10時くらいに大松明に点火、というのが当祭りのいつものスケジュールだ。
自分も去年見ていたこともあって、夜の9時くらいに現場にたどり着けば良いと考え、実際そのように行動してみると、9時過ぎには大松明への点火の準備、ならびに儀式が始まろうとしていた。
キリコたちがすでに待機状態
去年見た限りでは大松明の周りを一度練り歩き、そのあとこうして広場近くの通路で全基が待機していたのを覚えている。
まだ夜の9時過ぎなのに早いなと思ったのがその時の自分の素直な感想だ。
やっぱり風が強いから時間を巻いているのかな、とも思った。
本当はもっとキリコを観察して撮影したかったのだけど、そんなもので急いで撮って、急いで大松明のある広場へと向かったのだった。
それにしても向田のキリコの吉祥文字(切子燈籠に書かれた文字)は4文字が多い。
輪島のキリコ会館で目にした切子燈籠はどれも3文字であったので、3文字がスタンダードだと思いこんでいた自分には意外であり新しい発見であった。
広場に到着
まだ火は点けられていなかった。
台風接近で風も強かったのに、お客さんもたくさんいた。
消防車も多かったですけどね
自分が目にした限りでは現場に3台はいただろうか。
風が強いだけに燃え移りやすいことを考えると当然の措置だろう。
点火へ
神事も始まっていた
大松明に点火する前に手松明を持った人たちが大松明の周りを囲むのだけど、昨年はその手松明の火がどこから持ってくるのか不思議であったが、この神事を見ていると神輿の御神燈から移していたようだった。
その火をもって男たちが駆けていく
この火を直接大松明へと点火させるのではなく、まずは周りにある中松明に点火させる。
こちらに点火
30メートルの高さがある柱松明の周り半径数十メートルのところにはギャラリーが入ってこれないようにロープが張られており、そのロープの間近に数箇所、このように地面に置かれた中松明がある。
これに着火されると、地元の祭り参加者の方々(誰でも入れるわけではないようだ)がロープ内側に入っていって手に持った手松明にこの火を着火させるのだ。
ところが風が強いものだから…
炎が横殴り状態
危ないので少し下がってくださいと実行委員の方々は我々ギャラリーを後退させるのだけど、火傷するの恐いのでみんなぞろぞろと下がっていた。
手松明に火をつけるのも大変そうだった
腰が引けている人もいた。
そりゃそうだろう。なにせ風が強かった。
こういう出遅れ方をしていた子もいましたが
風のせいかわからないが藁がすっぽ抜けていた。
微笑ましい。
手松明を持って柱松明の周りをまわる皆さん
いくつもの手松明の灯りが闇夜の中で蠢いて見える様は幻想的で、それもこの祭りの見どころの一つであるのだが、やっぱりこの日は風が強くて、手松明の火の粉が持っている自分たちに舞ってくるようで熱そうだった。
大変だけど点火へ
手松明を持った方々が一斉に柱松明へと駆けていき、その手の火を放り投げて点火させる。
そのさまは去年も記したように城攻めみたいであった。
そして今年は台風で風が強いものだから…
あっという間に火力アップ
点火するとき、祭り参加者の方の一人が「インスタ映えですよー!」と叫んでいたが…
燃える燃える。
炎が渦を作るように下の方から燃えていた。
確かに映える。
生き物みたいに燃える炎
というか燃え過ぎな気がした。
生き物というか怪物ですな。
炎の蛇がとぐろを巻いているようなそんな印象があった。
火の粉の舞いっぷりもすごい
強風に煽られて粒子が流れ出るように火の粉が横方向に舞い散っていた。
見ている分にはキレイだったが、「これ、危ないよな」と思った人は少なくないはずだ。
中松明もすぐに消火していた
早め早めに動いていた気がする。
早めといえば、このときで21時半くらいだっただろうか。
例年のスケジュールより明らかに早い。
さらには、倒壊するのも早かった。
え?と思ったときには
崩れてた
本来なら、山側に倒れれば豊作、海側だと豊漁と言われるように火柱となった大松明はきれいに柱のままバタンっと倒れるものである。
昨年もその様を撮りに行って機会を逃すまいと倒れそうなときにはカメラをしっかりと構えていたものだ。
ところが今年はまだ燃え続けるだろうと思っていた頃に、突然足元から崩れていってしまった。
倒れたのではなく、ぐしゃっと潰れたような格好だ。
風が強くて下のほうがよく燃えていたので、支えきれなくなったのだと思われる。
もちろん突然のことなので崩れる瞬間を連写でまるごと撮るということもできなかった。
町の中学生くらいの子がその様を見て「しょうーもない火祭」と呟いていたのが印象的だった。
台風、恐るべしだ。
本当に恐ろしいことが起きてしまった
台風恐るべしなんて記したけれど、火を扱う現場での強風の恐ろしさはこんなものではない。
今回、この向田の火祭でその恐さを思い知る出来事がこのあと起きた。
鎮火行動に移る男たち
火柱が倒れるとそれを支えていた大きな綱を男たちが掛け声とともに引っ張り抜いていく。
おそらく燃え移らないようにするためだ。
その光景は昨年も目にし、今年もその光景を目にしたことで今年の向田の火祭もフィナーレだと余韻に浸り始めていた。
余韻を楽しむように神輿なんかを改めて撮っていた
そういえば去年はこういうの撮影していなかったな、なんてことを考えながら撮っていた。
ある程度撮れて、大きな綱もほとんど引っ張り抜き終え、近くに待機していたキリコも帰還のため動き出そうとすると、自分もそろそろ帰路につこうとカメラの電源を落とした。
時間にすると21時40分すぎだったろうか。
そんな頃だ。
火柱があったところとは関係ないところがなんだか赤く燃えているように見えたのだった。
なんか燃えてます
火柱からギャラリーを守るためのロープの外の、さらに遠くの方で、燃えていた。
待機していた消防車も無線を使って連絡していたと思うと、燃える方向目指してサイレンを鳴らしながら急発進していた。
「山が燃えとる」
と誰かが言ったのを耳にして、これは山火事が起きたんだなと自分も事態を理解した。
はっきり言って、シャレにならん。
山が、燃えとります
強風で大量に舞った火の粉が引火したのだ。
こちらの写真はさらに近寄ったところで撮っている。
畑の畦道を通ってより山の方へと入っていったところだ。
それでいてこれくらい距離が離れていることからもわかるように、この山火事は人がなかなか入っていかないような、ほんと「山」の方で起きていた。
周りに民家があるわけではない。
民家はないが水源も乏しいので水の確保が少々大変だったようだ。
帰り際、数台の消防車とすれ違った
自分は鎮火を最後まで見届けたわけではない。
近寄れないのと、熱中症になりそうな暑さであったのでひとまず帰ることにしたのだった。
翌日の新聞を確かめてみるとこの山火事がやはりニュースになっていた。
夜の12時には火を消し止めたそうで、けが人もいなかったと書かれてあった。
不幸中の幸いだ。
感想
向田の火祭はこのように台風が接近していてもやっていた。
火の粉が舞うのはキレイだったが、そのおかげで山火事が起きたのだから、結果論としては大変な無茶をしてしまったことになる。
戻っていくキリコについていくように帰った自分
帰りの臨時駐車場までの道中、地元の方が「わしだったら中止にしていた」と話していたのを耳にした。
台風中に10回やって9回なんともなくても、1回でも山火事のような危険が起きるようなら中止にすべきとの意見であった。
なるほど、地元の人でもこれを無茶であったとわかっているのだ。もしかしたら開催前にも中止にするかしないか、そんな議論があったのかもしれない。
仮にそうであったなら、それでもやめられなかったのはなぜだろうか?
これはあくまで自分の推測の話だが、おそらくそれくらい向田の火祭が全国的に、また海外的にも有名に、大きくなってしまったからであろうと思われる。
道中の地元園児たちの手作りキリコも紙が風で破けていた
中は今どきらしく電灯であった。
これがロウソクであったならもっととんでもないことになっていただろう。
それこそ近くの建物が燃え移っていたに違いない。
臨時駐車場の看板も倒れてしまっていたほど強い風だった
今回のことを踏まえ、台風が接近しても祭りをやるのかやらないのか、来年以降の実行委員会の判断が気になるところだ。
もし台風が近づいていることで今後中止になるようなら、今回見に行った自分はある意味で運がよく、貴重なものを見れたのではないかと思えてくる。
もちろん、そう言えるのも山火事でケガ人が0だったからであるが…
火に風は、恐ろしい…