能登半島の七尾湾に浮かぶ能登島の向田町(こうだまち)には石川県の重要無形民俗文化財に指定されている火祭がある。
馬鹿でかい大松明が燃える夏の祭で「日本三大火祭り」の一つに数えられているらしい。
その燃えた大松明が海側に倒れると豊漁、山側に倒れると豊作になると言われている。
そう、燃えさかる巨大な松明が最終的には崩れて倒れるのである。
マジか?!と思うけれど、倒れてくるのだ。
その倒れる瞬間とその迫力をカメラで捉えたかったので、7月29日の夜に能登島の向田に行ってきた。
伊夜比咩神社からキリコ
こちらの火祭りは町内にある伊夜比咩神社のお祭りだ。
毎年7月の最終土曜日に行われている。
もともと、越後の国をつくったと言われる伊夜比古神(男神)が伊夜比咩神(女神)と年に一度の逢瀬を楽しむお祭りだそうだ。
なんか、七夕みたいな話だ。
こちらが伊夜比咩神社
畏れ多くも中を撮ってしまった。
この境内(付近)から大小7基のキリコが発進し、夜の街をキリコの明かりで照らしながら大松明のある崎山広場(干場)まで進んでいく。
キリコたち発進
神社から崎山広場まで細い道路を通っていく。
途中、横断歩道を警官の誘導で渡っている姿が、現代だなと思った。
青になってから渡る
青じゃなくても、警官の人たちがクルマを停車させて道路を横断させていた。
渡っていくキリコたち
キリコそのものは神輿のように担ぐことができるほか、車輪もついているので押して前進させることもできる。
担ぎ手(押し手)がキリコによって社会人の青年たちだったり、中学生くらいの若い子たちだったりしていたので、勢い良く担ぎ上げられるキリコもあれば、持ち上げようとしてやっぱり無理で「押せ!押せ!」と押されていたキリコもあった。
また、キリコによって「ホイサー」だったり「チョイヤサー」だったり掛け声も異なっていて、どれが正解なのか自分にはわからなかった。
キリコによっては鉦もある
ほかにも太鼓があるキリコもあり、笛を吹く女子中学生(もしかしたら高校生)たちが帯同していたりもしていた。
灯籠が並べられた道を進むキリコ
横断歩道を渡ると灯籠に照らされた道を進んでいく。
灯籠には、のとじま保育園の園児たちによる絵が描かれていた。
ちなみに道のすぐ隣は田んぼだ。見とれて写真ばかり撮っていると落ちそうになるので気をつけないといけない。
大松明のある崎山広場へ
灯籠の道の先に崎山広場がある。
地面が少しぬかるんだ広場だ。
その中央付近に火を灯される前の大松明が闇夜の中で佇んでいた。
想像以上に大きく、しかもあたりが暗くて輪郭が薄ぼんやりと見えるだけだった。畏怖の念を抱いてしまうようなおっかない系の迫力がある。
その周りをキリコが練り歩く。
ぼんやりと見える松明
写真下段にギャラリーの影が見えているのは集会所からの明りによるもので、これからもわかるように周囲には見物客がたくさんいた。
そのうち後方より大型の野外ライトが点灯
野外ライトのお陰で松明の全体像が見えてきた。
円錐形をしている。
キリコが大きいもので7、8メートルくらいあるのに、それより大松明のほうがデカい。
なんでもこの大松明、高さ30メートルあるそうだ。
10階建てのビルくらいある。
松に柴を網でくくりつけて、10メートルほどの長い丸太数本で支えているという。
足元がぬかるんでいるのでキリコを担ぐ皆さん
担いで持ち上げたほうが進みやすいようだ。
ただし、かなり重いようで見た目ほどラクではない。
子供たちも頑張る
でもやっぱり重くて、片側に傾いてしまったり危険なので結局押していた。
これを担げるようになるかならないかで、今の自分たちが大人であるか子供であるか自覚できるんじゃないだろうか。
ちょっとした成人の儀式のようなものでもあるのかもしれない。
消灯、からの火
突然、すべての大型ライトの明りが消される
すべてのキリコが大松明の周りを進み終えると、このようにいきなり真っ暗になった。
夜の9時半くらいのことだ。
暗くなった瞬間に、見物客の間から「オォォ!」という歓声が沸き上がった。
いよいよ始まるのである。
火が運ばれてくる
神輿の神燈の火らしい。それを手持ち松明で運んでいるのだ。
これをどうするのかと見ていると、見物客の立ち入りを制限している境界線付近にてこんもりと盛られた柴に点火していた。
まずは篝火をたくのだ。
目の前で焚き火
自分は境界線から見て2、3列目にいてすぐ真ん前だったので、なかなか熱かった。
同じように大松明から見て四方の境界線付近に盛られていた柴にどんどん火が点けられていく。
肝心の大松明はまだそのままだった。
いったい誰が大松明に火を入れるのかとカメラを構えていると、そのうち何かアナウンスがある。よく聞き取れなかったが、自分の目の前にいた見物客二人組がそのアナウンスを聞くなり境界線のロープをくぐって広場の中の方へと駆け出していった。
よく見ると、あちこちで同じように見物客が広場の中へと入っていく。
彼ら彼女たちも手持ち松明を装備すると、法被姿の地元の人達と同じように先端に火を点けて大松明の周りを一斉に歩き始めるのだった。
地元の人も見物客も男も女もおじいちゃんもお孫さんも関係ない
これ、祭りの恒例行事のようなのだ。
初めて見物にやって来た自分はまったくわかっていなかったから完全に乗り遅れてカメラのシャッターを切ることばかりしていた。
先着順なのだろうか? 自分もやってみたかった。
かなりの人数が松明を手にしていた
松明を回すようにして歩き、手持ち松明の火が消えると篝火にかざして再び点火。
闇の中をいくつもの灯火がグルグルと回遊しているさまは神秘的であった。
そして合図をキッカケに松明を持った人たちが一点に向かって動き出す。
合図とともに
一斉に
大松明へ
火を投げ込むのだ。
まるで焼き討ちだ。
大松明、当然燃えだす
あっという間に巨大な火柱に
まるで巨大なキャッスルを攻め落としているときのような燃え方だ。
引いて撮ると改めて馬鹿でかい
人間がとても小さく見える。
こっそり合うという意味のある「逢瀬」でこの燃えっぷりだ、神さまってデカい存在なんだなと否応にも思えてくる。
激しすぎな逢瀬だ。
倒れる大松明を撮る
冒頭にも記したように、大松明は燃えた末に倒れてしまう。
改めていうが、今回の撮影の目的はその倒れていくさまをしっかり写真に収めることだ。
ただ、根柴も燃えて支えていた柱も支えきれなくなって倒れるわけで、大松明の燃え方がその日の風に影響されるため、どこから燃えていてどこから崩れるのかなかなか読めるものではなかった。
いつ倒れるかわからないので、少しでも油断しているとカメラを構える前に倒れてしまうということもありうる。
いまだから言うが、自分も正直撮り損ねるところであった。
その時は、やはりというか突然やってくるのだ。
「すげぇ燃えてんなぁ」(心の声を代弁してみました)
目の前の法被を着た人たちがそう言っていたわけではないが、そう代弁したくなるくらい自分も呑気に見上げていた。
(まだまだ数十分は燃えているだろうと思っていた)
と思ったらいきなり倒れてくる
倒れ始めると歓声が一斉に沸き上がる。
それを耳にして慌ててファインダーを覗いてシャッターを切っていた。
倒れるさまを撮ろうとしていたのに、随分な油断だった訳だ。
しかも自分たちの方に倒れてくるし
巨大な炎の剣が自分たち目掛けて振り下ろされたかと思った。
フレイムタンで一刀両断!
ではないが、それくらいの迫力があった。
自分はほとんどヤケクソにシャッターを切っていた。
それでもこうしてちゃんと撮れていたのだから運が良い。
せっかくなのでそのときの心情をGIFアニメにもしてみた。
崩れ始めると倒れるまであっという間だ
つくづく撮れてて良かったと思う。
ところで集会所側にいた自分たちの方に倒れてきたということは、これは山側に倒れてきたと考えていいのだろうか?
だとすれば、今年は豊作だ。
まとめ
いかがだっただろうか?
大松明が崩壊し始めたときには随分と慌てたけど、倒れる様をなんとか写真に収めることが出来たのではないだろうか。
慌てすぎてすべて横撮りであったため、迫力に欠けると言えば欠けるものの、自分としても目的を果たせてひとまずは満足している。
なお、この大松明の先端には旗(御幣)が立てられており、それを手にしたものは延命息災をもたらされるという。大松明が倒壊した後はそれを目掛けてみんな群がるのだ。
自分のすぐ側にいた地元の小学生達が観光客のおばあちゃんたちに説明していた話によると「願い事が叶う」とも言われているらしい。
知らない人たちでも祭りの楽しみを共有しようと教えてあげる地元の子たち、気さくで優しいじゃないか。
また、大松明そのものにお願い事をするとそれもまた叶えられるということで、燃え始めたころ、自分の周りで声に出して願い事を口にする人たちが何人もいた。
その中に「やっぱり世界平和」という声もあった。
我欲を願っていた自分は、それを耳にして自分のことが少し恥ずかしくなった。
最後は大松明を支えていた柱を大きなロープを使って抜き取っていく
この作業がなにげに大変。下手すると大火傷で命にかかわる。
怒号が飛び交う中、法被を着た町の男たちが丸太を次々引っ張っていた。
そしてすべて抜き取ると、
「今年もありがとうございましたー!」だ。
倒壊する燃える大松明の迫力もすごかったけど、祭りに参加して景気良くキリコで盛り上げ、命がけで後始末をしている地元の人たちのたくましさと爽快さがそれを上回っていたのではないだろうか。
それくらい皆さんカッコ良かった。
ただ、その人間たちのカッコよさの上で神様たちは「逢瀬」を楽しんでいるんだよなぁと思い出すと、やっぱり「神さまたちがナンバーワン」となってしまうのだった…。
あしからず。