初心の趣

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奥能登国際芸術祭2023を地震に負けず回る第二日目その10(吉野央子「回遊の果て」)

能登国際芸術祭2023の鑑賞旅、内浦側から回っている第二日目、上戸エリア最後の作品だ。

吉野央子さんの「回遊の果て」を紹介したい。

 

 

駐車場から回遊?

能登国際芸術祭2023、上戸エリア最後となる作品は上戸の民家にある。

こう書いても位置が具体的ではないのでどこだよ?ってなってしまいそうだけど、芸術祭開催中でありながら、この作品、すでにグーグルマップに載っていた。

このように

上戸エリアなんだけど、飯田町の直ぐ側で、最寄りの駐車場も飯田エリアの「ラポルトすず」だった。

そんなもので目的の民家までそれなりに歩くことに

まっ平らな道なので歩きやすいが、これまで鑑賞してきた作品と最寄りの駐車場の距離感と比較するとやっぱり長く感じる。

今回の作品のタイトルが「回遊の果て」なのだけど、鑑賞者自身が向かうまでに回遊させられているような、そんな錯覚(愚痴です)すらあった。

ウォーキングシューズ、持ってきておいてよかった

こんな時のためにホールド感の高い靴を用意しておいた。

長い距離を歩くときは靴擦れなんかを回避したいので、このように歩き専用の靴も持ち込んでいる。

こういうところも、過去2回、奥能登国際芸術祭をコンプリートした経験によるものだ。

矢印あった

これが見えるともうすぐそこだ。

この道は歩道が狭く、車の通行がちょっと怖いので気をつけていただきたい。

幟旗が見えた

ここだ。

鑑賞パスポートを持った人たちも出入りしていたので間違いない。

ホント民家だ

作品展示場所というより人が生活していそうなところだ。

作品看板がなければきっとスルーしている。

 

33番 吉野央子「回遊の果て」

33番だ

吉野央子さんの「回遊の果て」という作品だ。

吉野央子さんはこう書いて「よしのおうじ」と読む。

自分、最初、その名前の漢字からこの方を女性だと思っていたが、男性だった。

受付は玄関で

受付を済ますと靴を脱いで上がっていくことになるんだけど、靴を脱ぐ前から作品はある程度目にすることができてしまう。

ご覧のように

部屋の中を魚たちが泳いでいる。

魚たちはもちろん本物ではなく木彫りの彫刻だ。

それらが糸で吊るされている。

この雰囲気、どこかで見たことあるなぁ、と、上がる前から妙な懐かしさがあった。

それもそのはずで、吉野央子さん、2017のときにも作品を出している方だ。

2017のときは「JUEN 光陰」というタイトルでやはり彫刻による魚の展示が行われていた。

あのときは大きなカニがドォーンと部屋に鎮座していたものだ。

ともかく上がろう

上がってみると、すぐ廊下がある。

縁側と言ったほうが正解だろうか。

この突き当りを右に曲がっても縁側が続くので、庭が広い家だと思う。

縁側って今ではあまり見かけないけど昔の家にはこのように普通にあった。

縁側、ちょっと憧れる。

この縁側をグルっと回遊するように一階の座敷を巡ることになる。

縁側から部屋を望む

和室が美しい。

作品と関係のない感想かもしれないけど、それも含めてのこの場所での展示なのかと思う。

なんかいるなぁ

奥の座敷には怪しく目を光らせるこの家の主のような奴がいる。

2017のときの巨大蟹のようなものだと思うが、醸す雰囲気が「ジャパニーズお化け」だ。

うしろの障子の影絵もその雰囲気をより高めてくる。

その頭部だけを見ると「ぬらりひょん」なんてものも想像してしまうが…

タコでした

青い胴体のタコだ。

なぜ?と思う方もいられるかもしれないが、珠洲市は夏にタコもとれる。

タコを使った郷土料理ももちろんある。

さらに言うと今芸術祭に合わせて各参加飲食店で提供される「スズ定食」もタコをふんだんに使った料理だった。

2023ではタコを食べろ!ということか?

桶からも蛸の足が

これを見て「あ、美味しそう」と思った自分は、すっかり「蛸を食べたい脳」になっていたんだと思う。

これも彫刻なんだけど、曲線がね、本物っぽく、且つ柔らかそうなんですよね。

食欲がそそられるんです。

縁側を曲がってみると海藻が…

ぽつんといる。

ワカメか何かだろうか。

能登のワカメが美味しいことは何度も食べて知っているので、蛸に続いてこちらも美味しそうに見えてきた。

もしかして、このインスタレーションは食欲をそそる作品なのか?

イカもいた

スミを放つだけじゃなく、妖気の様なものも放つイカもいた。

妖しさがあるけど、イカ墨を使った料理を食べたくなったのは自分だけだろうか?

ヒラメもいた!

キラキラした中で這っている。

砂の中に隠れる気なんてさらさらない、自己顕示欲の強いヒラメがそこにいる。

木でできているのになんかリアル

これまたヒラメを食べたくなるじゃないか!

もしかして、最初の座敷にいた青魚も、近くで見ると美味しそうに見えるのか?

戻ろう。

うおっ、こう見ると活きが良さそう

海の中を泳いでいる感じをより強く出せる角度で撮ってみると、回遊しているたくましさが出てきた。

この活きの良さならきっと美味しいはず!

釣り上げてこれまた食べたくなるじゃないか!

そうか、ここは海鮮を食べたくなる空間だったんだな…

 

感想

吉野央子さんの「回遊の果て」、本来はコロナ禍でずっと閉じ込められていた我々人間たちが、コロナ禍も終わって自由に動き回れることを示唆した作品のようなのだけど、元気に回遊しているその方向性の先に自分が目にしたものは、食欲でした。

活きが良さそうだから、海鮮が美味しそう!

これだ!

さらに深読みすると、閉じこもってばかりでは食欲もあまりわかなかったが、元気に外に出られるようになるとお腹もすけば、美味しいものもより美味しくいただけるものだ!

と、そんな教訓のようなものも感じ取れましたよ。

でもそれって、平和に生活する上では普通のことだったんだと思う。

コロナ禍ってどれだけ日常を壊したのかと改めて思う。

ちなみにこの部屋の座布団に座ると…

障子戸で影絵も見れる

これを見ていると、より回遊の流れに身を任せ、より「ああ、海鮮食べたい…」の暗示にかかってきた気がした。

そういえば、駐車場からここに来るまでまあまあ歩かされたし、お腹が空いていたのかも。

もしかしてそれも計算してあんな離れところに駐車場を設けたとか…

だとしたら、吉野央子さんの手のひらの上で泳がされている気がしてきた…