初心の趣

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廃駅の旅29 「飯田駅」

廃駅の旅、29回目だ。

一年以上ぶりだ。

今回はのと鉄道の旧能登線にあった飯田駅に行ってきた。

 

 

一年ぶりの飯田駅

廃線によりいまでは使われなくなった駅を回る個人的な旅、それが「廃駅の旅」だ。

のと鉄道廃線を2019年から少しずつ回って、昨年2021年の8月の時点で残すところ旧能登線の4駅となっていた。

最初が3年前、前回の上戸駅でも1年前…

自分ののんびりっぷりが自分でもよく分かる。

旧上戸駅に行ったときの記事はこちら

今回はその上戸駅の次の駅である飯田駅に向ったのだが、旧能登線飯田駅珠洲市の奥能登国際芸術祭の作品展示場所にもなっていたので実は「~の旅」とは関係なく2、3回足を運んでいる。

なんなら昨年10月の国際芸術祭期間中にもやはり一度足を運んでいる。

そのときのものを廃駅の旅の一つに数えればいいじゃないかとの考えもあったのだけど、芸術祭期間中は祭りって感じで特別感がもりもりなので、あえて「廃駅の旅」には数えなかった。

芸術祭以外でも足を運んであげたかったし、芸術祭以外のときのこの駅がどんな姿なのか知りたくもあったからだ。

ということで奥能登国際芸術祭2020+の一年後に足を運んだのである。

なお、珠洲市では一年以上群発地震が続いていて、今年6月にはこの飯田駅の近くの神社の鳥居が倒壊したというニュースもあった。

廃駅がどうなっているのか、その確認もしに向ったのだった。

まずは地図

幸いにもグーグルマップに地図が載っていた。

地図にも載っている近くの「飯田 春日神社」が鳥居の倒壊のあったところだ。

グーグルマップ無しで飯田駅に向かうならこの春日神社をまず目指すといいし、自分も何度か足を運んでいるので、鳥居倒壊は実に残念なニュースだ。

今回も春日神社より案内

これまた久しぶりの春日神社だ。

今年6月に倒壊しているので、ほんと大きくて立派な石の鳥居がなくなっていた。

過去、倒壊前に春日神社に訪れたときの記事はこちら

参拝もしたかったけど、なんか入れないような雰囲気でもあったので、今回はそれもやめた。

目的の飯田駅へは写真左に見える道路を入っていくことになる。

その道を進んでみると…

境内の隅に鳥居の残骸が

倒壊した石の鳥居が横たわっていた。

これ、今後、アートかなにかに再利用されるのだろうか?

この道を直進

突き当りのY字路を左に入るともう旧駅だ。

春日神社からも余裕で歩いていける。

道中、こんな食事処もある

ただ、コロナ禍のせいでしばらくの間、お休みとなっていた。

群発地震もあるっていうのにいまだ続くコロナ禍…

どう考えても指定感染症の2類から5類に落とせない政府が悪いので、いい加減にして欲しいところだ。

このY字路を左に曲がる

するともうこんな景色が

実はこの旧駅、駅前がそれなりに広く駐車スペースもあるので、車でダイレクトにやってきても問題ない。

芸術祭のときもこの駅前でみんな停めていた。

 

芸術祭時以外の飯田駅

今回やってきたのは11月だ。

能登国際芸術祭以来なので約一年ぶりである。

この駅には何度か足を運んだことがあるけど、そのすべてが芸術祭関連なので、作品展示場所としてしか見ていない。

芸術祭のとき以外の様子はどういったものなのか、それが今回一番気になるところだった。

飯田駅に到着だ

その外観、芸術祭のときと同じだ。

駅舎入口脇には例の看板も

能登国際芸術祭のときの作品番号が書かれた看板も今も残されていた。

河口龍夫さんの「小さい忘れもの美術館」だ。

壁には芸術祭の作品名もそのまま残っている

「小さい忘れもの美術館」の文字もそのまま残っていた。

芸術祭の第一回、そして昨年の第二回でも展示されていた作品なので、ずっと残していくものだと思われる。

来年またありそうな第三回でも作品の一つとして数えられるのではないだろうか?

なお、その上に書かれた「珠洲飯田駅」は飯田駅国鉄時代の名称だ。

ここは「のと鉄道」になる前の国鉄時代からある駅で、その頃は「珠洲飯田駅」だったらしい。

ホームの看板とか、そのあたりにも旧国鉄時代の名残があったらしい。

そういうのもあらためて確認したかったのだけど…

残念ながら入れなかった

入り口に施錠がされていて駅舎内に入れなかったのだ。

作品として真っ黄色に塗られた駅舎内を見ることは叶わないのだ。

横から入れないだろうか?

駅舎の脇からホームの方に行けないだろうかとこちら側に回ってみたのだけど、バリケードのようなものが施されていた。

ちょっと壊れているので、跨いで中に入れなくはないが、「立入禁止」の意思が感じられるのでさすがに自分も遠慮してしまう。

窓から黄色の部屋を確認できないだろうか?

すべて黄色に塗られていた休憩室を窓から覗き込みたかったけど、その一部は黄色を確認できたものの、くもりガラスのせいで中をしっかり見ることは、これまたできなかった。

では駅舎の左側はどうなんだ?

左側から回れないだろうかと思ってこちらにも回ってみると、このような状態だった。

こちら側、そういえば芸術祭のときも回っていないし見ていない。

こんな感じになっていたんだと今更ながら知った。

ゲートは… 開いている。

進めなくもないけど、進みたいと思える雰囲気ではない。

木材や自転車が雑に置かれているし、無理して入ってくるな、そう言われている気がしてならなかった。

中を見たければ芸術祭のときにまた来い…

そういうことなのだろうと感じ取ってしまう。

ベンチでも撮っておくか

駅舎前に古いベンチが残っている。

芸術祭の作品以外の飯田駅の顔はこのベンチなのかなと思われた。

それにしても、傷みも少なく形きれいに残っているベンチだ。

背もたれに書かれた広告文字もまだまだ残っている。

「旅館青木(青木旅館)」、後で調べてみたけど、もうさすがに営業していないのではないだろうか。

調べた住所でそのあたりを見てみても、旅館らしいものはなかった。

道路の拡幅工事で建て替えた家もあったようなのだ。

TEL「16」だけって…

電話番号も記されてあるのだけど、それが「16」しか書かれていない。

経年劣化で前の数文字が消えてしまったのか、それとも初めから「16」しか書かれていなかったのか、当時を知らない者としてはかなり謎だ。

市外局番は書かないって話は昔はよくあったことだけど、下二桁だけって…

どんだけ強気なんだと、あっ晴れをやりたくなってしまう。

中には入れなかったけど、飯田駅、面白いところだった。

 

感想

以上、のと鉄道能登線飯田駅である。

能登国際芸術祭の1回め、2回めともに作品が展示されていた場所で、自分自身その際に足を運んでいるので久しぶり、ただいまのの気持ちでやってきた。

ただ、芸術祭ではないので、その中に入ることはできず、駅舎の正面だけを見るにとどまっているので、なんというか訪れた先の家が留守で門前で引き換えしてきたような心地があった。

駅舎の脇よりホームの方を望む

芸術祭のときは置かれている貨物車両の中に入ることもでき、その中に設置された黒板にメッセージをチョークで残せたもので、一年前に訪れたときは「ただいま」と記している。

一年前の芸術祭で訪れた際の記事はこちら

今回も可能ならまたそれと同じ言葉を残したかったものだけど、そのお楽しみはまたいずれ行われるであろう芸術祭のときにとっておけと言うことなのだろう。

少し寂しい思いもするが、これもまたいまの飯田駅であるのだろう。

そうしてこれが廃駅の旅なのだと、噛みしめるのであった。

また、地震の影響もそれほどなさそうである。

このまま群発地震も少なくなってまた芸術祭が開かれれば、再びやって来るだろう。