奥能登国際芸術祭2023、鑑賞旅第三日目の最後だ。
若山エリアの旧上黒丸小中学校では3つの作品が展示されており、前回、前々回に引き続き残り一つNo.45の作品を紹介したい。
音か…
再び2階に戻って
若山エリアの旧上黒丸小中学校の続きだ。
3階にある図書室でNo.44の作品を鑑賞したのち、地図に従って再び2階に戻った。
地図の写真、ふたたび
このようにNo.45の作品は2階にある。
3階に上がるときに使った階段を降りると、壁に矢印も見えた。
これだ
しかもすでに作品看板まである。
進んでわかったのだが、廊下の途中から作品(インスタレーション)が始まるのだ。
45番 鈴木泰人「音蔵庫」
45番だ
鈴木泰人さんの「音蔵庫」という作品だ。
下の方に「サウンドデザイン=伊藤豊(イトウ音楽社)」と書かれてあるように、場内で音が流れている、音で聞かせるインスタレーションだ。
珠洲市内の多様な風景にマイクを向けて音を収集したそうだ。
写真では写しきれない領域だ。
なお、この作品看板の写真、ピントが上手くあっていない。
ピントを合わせづらいくらい、この廊下、かなり暗かった。
オートフォーカスも働かせづらく、カメラ泣かせな作品であったことを、あらかじめ伝えておきたい。
どれくらい暗いって、これくらい暗い
照明器具が展示されていたからこうしてオートフォーカスを働かせて撮れたけど、それがなければピント合わせから始め、三脚が欲しくなり、ないから手ブレしないようにひたすら体を硬直させてシャッタースピードを下げた状態で撮っていたに違いない。
もしくは諦めていたであろう。
で、この暗い廊下の突き当りを右に曲がると…
また廊下
こちらは大きな照明があったのでまだ明るい方だ。
壁に細長いものがいくつも吊り下げられているのが見えると思うが、これらは昔の地図だった。
その地図にもっと寄って写真を撮ればいいんだろうけど、試みたものの、暗すぎてオートフォーカスが働きませんでした。
ちなみにこれら廊下を渡っていると、音が聞こえてくる。
鈴虫のような虫の音だったり、機械を動かしている時のドオォォォォォといった音量そんなに大きくないのに耳にうるさい音だったりがしていた。
何度も記すが、この作品、サウンドインスタレーションなので、その音こそがメインなのだが、写真ではその音を伝えようがない。
う~む。
さ、この突き当りを、今度は左に曲がると…
「からまつ教室」と書かれた部屋が見える
ご覧のように、ここも暗い。
音に集中させるため視覚的な情報を極力抑えようとしているのか、そんな事を考えてしまうくらい暗かった。
音の呼応するようにぼんやりと点滅する明かり
暗い中でも動きがある。
なにやら胎動しているような、そんな響きが視覚的に感じられた。
それにしても、暗すぎて展示物をまともに撮れない。
あ、隣の教室は明るい
廊下を伝って隣の教室に入ってみると、こちらは窓から光が差し込んでいて物が目視できるくらい明るかった。
どんな物が置かれてあるのか、これでわかるだろう。
多くは2020+のときに行われた「大蔵ざらえ」で集められた民具であったり、この旧上黒丸小中学校に残されていたものなんだとか。
懐かしい学校のイスも見えるし、古くて大きなブラウン管のテレビなんかも見える。
お、これ、懐かしい
赤いボックスからホースが伸び、黄色の大きな寝袋のようなものに挿入されている、これ、布団の中を温めるときに使っていたものだ。
自分の実家や田舎にもあった。
石川県、特に能登の方は冬になるとほんと寒くて、寝るとき布団を温めたくなるのだ。
いやぁ、懐かしいなぁ。
と思っていたら…
なんか急に膨らみ始めた
この教室内も、ただモノが置かれていて音が流れているというわけではなく、このように動きがある。
演出だ。
動きがあるとはいえ、誰もいない教室で勝手に膨らみ始めたら驚いててしまう。
赤いボックスの方から熱風がでて、このように膨らんでいく。
ぺしゃんこの状態で布団の中に入れてこのように熱風で膨らませると、布団の中が温かくなるのだ。
子供の頃、冬に何度も使ったなぁ~
この頃にはひぐらしの音やら、なにか作業をしている音やら、小豆を洗っているような音やら、いろんな音が耳に届いていることに気づく。
珠洲の音の記憶をこうして聞いていると、それだけでこの土地の優しさを享受できたようで、そうして懐かしいあの頃へタイムスリップしたような心地もした。
感想
気持ちをその場、その時代へと連れ出すのに「音」というものがどれくらい重要で、かつ力があるか、この鈴木泰人さんのサウンドインスタレーション「音蔵庫」を鑑賞して思い知らされた。
その「音」の凄さを写真では伝えきれない点が口惜しい。
ちなみにここ、別の日だけどMROラジオのラジオカー中継でもやって来ていて、そちらは音だけでこの作品を伝えていたから、自分としては「そうだよね、そっちが正解だよね」と、なんだか口惜しさから可笑しくなった。
ただ、視覚的に入ってくるものはすぐに認知、理解されやすいから、補助的な役割として写真も役に立つんじゃないかと、カメラを使うものとしては、自己を慰めるように思うのであった。
帰り際、時計がこの時刻で止まっていることに気づく
校舎の中でこのような時計をいくつか見かけたのだけど、そのどれもがこの「4時3分」のところで停まっていた。
受付の方に聞いてみると、その時刻で廃校になったんだとか。
この校舎自体、時が止まっていたのだ。
タイムスリップしたのではなく、あの頃のまま時が止まった校舎の中に迷い込んでいたんだと、最後で気づくのだった。