初心の趣

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奥能登国際芸術祭2023を地震に負けず回る第一日目その9(弓指寛治「プレイス・ビヨンド」)

能登国際芸術祭2023、大谷エリアから次に入った日置エリアでは弓指寛治さんの「プレイス・ビヨンド」という作品をまず体験してきた。

が、山の中を歩いていくことになるのでなかなか大変だった。

 

 

日置エリア最初の作品は木ノ浦自然歩道にて

開催初日の9月23日に行った珠洲市の奥能登国際芸術祭2023、最初に入った大谷エリアも一通り見終え、次に向かったのは同じく外浦沿いの日置エリアだ。

禄剛埼灯台があるところで知られるエリアだ。

同エリアでまず向かったのは木ノ浦野営場というキャンプ広場だった。

道路を車で走っていって、芸術祭の矢印標識に従って進んでいくと…

ここにたどり着いた

こちらが木ノ浦野営場だ。

このキャンプ場ではNo.9とNo.10の作品が展示されていて、どちらも屋外にあるものだった。

順番に見ていこうと思っていたので、まずはNo.9の作品、弓指寛治さんの「プレイス・ビヨンド」から見ることにした。

作品看板もわかりやすいところに置かれていた

予備知識もなくやってきたから屋外に大きなオブジェでも置かれているものだとばかり思っていたが、その予想は違っていた。

無事、見終えたから言えるが、この作品、かなりハードだった。

 

9番 弓指寛治「プレイス・ビヨンド」

09だ

屋外の展示作品で、案内するボランティの人もいなければ駐車場の監視員もおらず、スタンプもぶら下げられたセルフのものだった。

そういったことはもう慣れているので問題ないが、問題なのはこの作品看板の下側に書かれた注意書きだ。

「作品に触れないでください」…これはわかる。

「足もとにご注意ください」これも、屋外ならまあまああり得る話だ。

それ以下が問題で、

「暗くなってからの鑑賞は危険です」

「猪に出会ったら静かにその場を離れましょう」

なんだ、これは…

はっきりと「危険」と書かれてある上に、イノシシが出るってか?

こんなのは2017でも2020+でもなかったことじゃなかろうか。

どんな作品なんだよと顔をしかめてしまったが、この意味は実際に鑑賞をスタートして半分も見た頃に理解した。

この作品、まずは作品看板後ろの石段を降りていくともう鑑賞開始となる。

これだ

下りていくと、小さな立て札が見えてくる。

そこに書かれた文字を読んでいくことがこの作品の鑑賞になるのだ。

こちらがその立て札

満蒙開拓団の始まりの話だ。

この作品、1922年に西海村で生まれた「南方寳作」(なんぽうほうさく)さんの生前の手記をもとに当時の人達がなぜ満州へ向かったのかを一人の人物の視点から追体験できるものとなっているそうで、このようにその人物の当時の日記のような文章を読まされていくことになる。

下には「1」と書かれてあるように、日記のような文章はまだまだ続き、鑑賞者はそれを追いかけるようにキャンプ場の道を歩いていくことになる。

このように立て札が続く

ちなみに自分、それら立て札を一枚一枚全てカメラで撮影している。

それら全てを載せてしまうとすごい量になってしまうので、当記事では端折って紹介していきたい。

なお、絵もある

立て札の文章だけではなく、道すがら、このように日記に沿った内容が描かれた絵も所々で置かれている。

フィールドワークしながら、紙芝居を読んでいるような、そんな感覚もある作品だ。

もちろん、それらの絵も一枚一枚全て写真に収めたが、それらもまた全て載せると、今後見に行く人にとっては楽しみが無くなりそうなので一部のみ載せることにする。

このように読みながら絵も見ながら進む

絵よりも、圧倒的に日記のような文章が書かれた立て札のほうが多い。

自分は本もよく読むので活字には慣れているから平気だが、読むの苦手な人の中には絵だけ見て、文章はすっ飛ばしてどんどん進んでいく人もいた。

特にお子さんたちにそんな傾向があった。

自分は奇特な人間なのか、それとも元文章屋だからなのか、はたまたただの作品好きなのか何なのか、写真に撮るだけではなく全部現地で読みながら進んでいた。

後から来た人がどんどん先に進んでいく

全部読んでいれば、そりゃ時間もかかる。

自分より後にやってきた人たちが、自分を追い越して先に進んでいっていた。

まあ、こういうのは町中の美術館でもよくあることなので、慣れっこだ。

なにせ、自分は書かれてある説明文も全て見てしまうので、鑑賞時間がいつも長い、長い。

なんやかんやあって日記の主人公が満州の先遣隊に

渡満の際、敦賀湾の岸壁には先遣隊を歓迎する人たちで溢れ、5色のテープ数百条が船上の人と桟橋から見送る人を結んでいたそうだ。

なんか伸びているな…

順路と書かれた矢印の先に、5色の何かが伸びていた。

おお、5色のテープ

それを思わせる5色の布だ。

文章と絵だけではなく、このようにそれ以外のものを使って当時の現場の雰囲気、空気感、または感動を共感させる演出も施されていた。

実際、この下を歩いていると、自分自身が歓迎、見送られたような心持ちになった。

道は続くよ、まだまだと

5色のテープの演出をすぎると、キャンプ広場から明らかに山の方へと入っていく。

木々も生い茂っているので、なるほど確かにイノシシも出てきそうなものである。

「10」では「訓練」の文字も

遊びで満州に渡っているわけじゃないことがその一文字からも感じ取れた。

そうして、自分たちも山の中に入っていくわけで、ドキドキとハラハラと、でも楽しみでもあるものだから、日記に登場する人物の当時の感情と妙にリンクしてくるものがあった。

お子さんたちもハイキング気分

このあたりはまだまだ楽しさがありますわね。

書かれてある文章も「理想郷」

だしね。

満州に渡った頃は、夢と希望で溢れていたんだろうなと、読みながら歩きながら自分も感じた。

でも、先に言っておくと、このあたりまでだ、そんなピクニック気分も。

まだまだ続くよ、山道は

どんどん山を登っていくので、景色はイイけど次第に不安になっていく。

これ、どこまで続くんだろうと…

あ、絵の裏には作者の名前と製作した日にちが書かれてありました

絵は全部、弓指さんが描いたもののようだ。

文章のほうが多いとはいえ、絵だって20枚以上は普通にあったので、それらを全部一人でこの芸術祭のために描いていたとなると、相当忙しかったんじゃないかと思う。

ここも登るのか…

これらの道、木ノ浦自然歩道って言うそうなんだけど、次第と獣道に思えてきた。

天気は良くて、歩いていてまだまだ気持ち良いと感じてはいるんですけどね、このあたりでは。

でも、なんか険しく見えるのだ。

日記の方では主人公が海兵団に入団

水兵となったわけで、軍隊入りだ。

このあたりから、きな臭くもなってきた。

まあ、第二次世界大戦の時代なので、世界中でドンパチやっていたわけだから、そうだろう。

軍艦の絵も

こういう時代です。

キレイで状態良く描かれているが、当時から現代までの歴史も知っているだけに、撃沈フラグのようにも思えてしまった。

そして開戦へ

次の「29」には1941年12月18日に起きたハワイ真珠湾攻撃のことが記されていた。

始まったのだ、大東亜戦争、いわゆる「太平洋戦争」が。

日記の主人公は日本の不敗を固く信じていたようだけど…

「この艦艇のほとんどが数年後には海底の藻屑に」

「なろうとは一体誰が考えられたであろうか…」

怖いわ!

でも、すっかりとこの日記に描かれる物語に、世界観に引き込まれている自分もいた。

追体験とはまさにそれで、こうして山を登ってフィールドワークさせられ、適度に体も火照っているからか興奮もひとしおで、日記の人物との共感も強まれば、没入感も普通じゃないくらい味わっていることに気付いた。

この散策させながら日記を読ませて時々絵画で視覚的に訴える手法、かなり効果的だと思う。

アメリカ軍による本土空襲も始まる

「戦勝ムードの国民に大きな衝撃」とあるように、どんどんと空気が重くなってくる。

描かれる絵も儚く感じてくる

これ、ボルネオ島でのワンシーンのようなんだけど、山の中を自分も一人で歩いているからか、ものすごくこの日記の登場人物と気持ちがリンクする瞬間だった。

幼い頃から夢であった「空を飛ぶ」をついに叶える主人公

搭乗発動機整備員(操縦する訳では無いが、一緒に飛行機に乗って空を飛ぶ整備員)に採用されたそうだ。

戦時下でも若者たちにはそれぞれ夢があってたくましく生きているんだから、戦争をしていると言っても、日本国全体が修羅のようだと、そういうことではないということがそれとなくうかがえる。

それでいて現実の厳しさをすぐに教えてくる立て札の日記

ここもまた日本軍にとっちゃターニングポイントだよね。

山本五十六が生きていたら、あの戦争ってどうなっていたか…

原爆を落とされる前に和平交渉に入っていたんじゃなかろうか?

飛行機乗りとしての日記が続く

搭乗発動機整備員として採用されてからは飛行機に乗って活躍する日記が並ぶが、そのうち神風特攻隊を編成していく日本の歴史を知っているだけに死亡フラグのようにも感じ取ってしまう。

弟が18歳で戦死したことを示唆する日記も

空を飛べて夢叶っても、死がすぐ近くに寄り添っているような毎日だ。

ここまで歩いてきていることもあろうけど、読んでいて内容の重さから疲弊感も感じられた。

数少ない同期が撃墜される描写も

悲惨なものだが、これが戦争というやつなんだよなぁ、と受け入れて、慣れていくしかないとの考えが、自分の中にもよぎる。

考え方が、死生観が、当時の人達のようなものになっている自分がいた。

う~む、おそろしい。

おそろしいインスタレーション、という名のおそろしい装置だと、この作品のことを思うようになった。

そして飛行中にみたという富士山

それに続く日記

もし画家なれば、もし写真家なれば、どんな名画や写真を残せたか…

現代の戦争もしていない平和な日本で生きている者としては、今ある生活がどれほど尊いものなのかがわかってくる。

我々は恵まれている、と。

それもこれも戦ってくれた先人たちのおかげなのだろう。

これまたすぐに続くドクロのオブジェ

ここから終戦間近の、多くの犠牲者を出した悲惨な日本の記録が記されていることが容易に想像できる。

残っているものといえば東京大空襲、米軍による沖縄上陸、そして…

広島、長崎への原爆投下だ

さらにはソ連が日本との不可侵条約を破って満州へ侵攻したのもこの年、この月だ。

ドクロのオブジェからここまで日記のテキストばかりで絵画はない。

さすがに作者も描ききれないものがあったのだろうと推測する。

代わりに分岐路が現れる

1945年8月15日の玉音放送で日本の敗戦を知ってからの分岐である。

左に曲がると「南方ルート」。

右に曲がると「開拓団ルート」とあった。

ゲームのサウンドノベルとかだと、明らかにどっちかはバッドエンドだよね。

とりあえず全部観てみたいと考える自分は、バッドエンドそうな「開拓団ルート」をまず選んで右に進んだ。

 

開拓団ルート

開拓団ルート、マジ険しい…

ジャングルみたいじゃないかとすら思った。

獣道すぎて、グッドエンドに終わりそうな気配もない。

う… 日記も新しい「1」がスタート

しかも赤い字で。

満州に開拓団として残っていた人たちの話なんだろうけど、先程も記したソ連の侵攻があることも考えると、バッドエンド感がますます高まっていく。

なんか、海が見えてきた

この短い距離の間に赤い字で書かれた日記の立て札がボンボンと続く。

怒涛だ。

悲惨が怒涛のごとく迫ってくる。

シベリアか… やっぱりそうだよね

ソ連軍の捕虜になっていくのだ。

行き止まりに

終戦から2年後には300名くらいが日本に帰国もできているようだ。

最後に見えた大きな看板に書かれてあったものは満州の恵陽開拓団の団員及び死没者の名簿だった。

合計351名。

行き止まりだったのでバッドエンドのようだけど、生き残って帰国できた人の数を思えば、本当にバッドだったのかどうか、考えさせられる。

見渡せた海はきれいだった。

 

南方ルート

行き止まりになったので分岐点に戻っていく

この戻ってくることがまた一苦労だった。

勾配のきついところを上って戻ってきたのだ。

これだけでバッドな気がした現代人の自分。

さて、あらためて「南方ルート」の方に進んでみると…

「80」の日記の立て札

こちらが順路のようで、日記の主人公の続きを読めた。

敗戦を知らされると、現場の兵士たちも混乱していったようだ。

読んでいるとカオス

順路のはずなのにバッドエンド感が出ていたよ。

ちなみに道はまあまあ広い

歩いていると「岬自然歩道」の看板も見つけたし、自分自身も帰れる(ゴールに向かっている)予感がしてきた。

そんな中で見つけた「最後の飛行」の文字

マッカーサーが厚木に現れているので歴史の教科書で読んだ終戦のあの頃だ。

それぞれ故郷に帰還していったようで、日記の主人公も小松基地に降り立っている。

終わったのである。飛行機乗りとしての地位が。

「もう戻ることはあるまいと思っていた我が家へ」

絵画としては最後の一枚だ。

敗戦で生還したことが生き恥であるというのだから、当時の価値観や軍人の価値観は、現代の日本に暮らすものとは随分と違う。

自分としても理解はできるが、共感はできない。

そして最後の日記

「87」だ。

読んでいて、ものすごい虚無感を覚えた。

ただ、これも理解はできても共感は難しいものがあった。

こんな山の中を長い時間、歩かされて、それなりに充足感があったよ、自分は。

あ、道路に出た

日記の追体験を終えて、現代に戻ってきたのだ。

ってか、ここはどこだ?

そう迷って左手を見てみると…

最初の駐車場が見えた

グルっと山の中を一周してきたようだ。

ホッと胸をなでおろす自分。安堵感が半端なかった。

 

感想

ゴール後、時計を確認してみると、自分、どうやら一時間以上、山の中にいたようだった。

いやぁ、奥能登国際芸術祭で過去一にハードな作品だった。

ただ、その分、見終わったときの達成感も大きかった。

本文にも書いたが、フィールドワークをさせられながら体が火照っているところに日記の文章や絵画を目にしていくと、その追体験の没入感がものすごく高いことがよくわかった。

この装置、このインスタレーションの手法は発見だった。

山に登って宝を発見した気分である。

たいそうした甲斐があった。

一時間以上も山の中にいたので蚊に刺されまくりましたが

山の藪の中を入っているので、イノシシもそうだけど蚊にも気をつけなくてはならない。

これも事前にわかっていたら、虫除けスプレーするなり対策していただろう。

少なくとも長袖くらいは持っていったはずだ。

っていうか、なんか注意書き付きのマップがあったし

駐車場に戻ってみたら、最初の小屋の前にこんなマップがあったことに、今更のように気づいた。

来たときはキャンプ場の案内か何かだと思っていたけど、よく見たらこの弓指寛治さんの「プレイス・ビヨンド」という作品のマップだったのだ。

その下の方には長袖、長ズボン、虫除けスプレーの推奨も書かれてあった。

皆さん、これ重要です。

サンダルなんかで入っていったら、怪我をする可能性もありです。

ちなみにマップの一番下にも書かれてあるように、弓指さんは1時間かけてじっくり鑑賞してほしいようだ。

自分はそうしたよ、結果的に!

本当にこのインスタレーションの装置としての醍醐味を味わうなら、じっくり観ることを自分もオススメします。

すんごく疲れるけどね。

でも、いい思い出になった。