初心の趣

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奥能登国際芸術祭2023を地震に負けず回る第三日目その13(嘉 春佳「祈りのかたち」)

能登国際芸術祭2023の鑑賞旅第三日目にして最後の若山エリアに入った。

今回は前回に引き続き、旧上黒丸小中学校に展示されている3つの作品のうち2つ目を紹介したい。

作品No.は「44」だ。

 

 

3階の図書室へ

能登国際芸術祭2023、若山エリアの旧上黒丸小中学校に展示されているNo.44の作品は、前回の続きで三階奥にある図書室で展開されていた。

No.43のあった家庭室(調理室)を背に逆方向に進んでいくと…

給食用のエレベーターの前を通過

これ、懐かしい。

「絶対さわらない」そんな注意書きまで懐かしく感じる。

危ないから児童たちは触っちゃいけないの、どこも一緒だ。

これも尻目に更に進んでいくと…

奥の方に図書室、視聴覚教室と書かれた部屋に到着するのだ

もう作品の一部が見えていたので、ここで間違いないのだろうけど、作品看板がこの部屋では見当たらなかった。

どこにあるのかと探してみたら、隣の部屋の入口手前にそれを見つけた。

 

44番 嘉 春佳「祈りのかたち」

44番だ

嘉 春佳(よし はるか)さんの「祈りのかたち」という作品だ。

嘉さんは「記録に残らず消えていく時間や記憶を形にしようと、主に古着を用いて制作」している方のようで、今作でも古着を使ったインスタレーションを展開しているという。

この作品看板の隣に「祈りのかたち」の説明書きも貼ってあったのだけど、それによると、珠洲の「あえのこと」などの儀礼から、この土地を象徴するものとして「器」というものを見出したようで、古着で「器」を制作するワークショップも開いたんだとか。

とりあえず図書室を覗いてみよう

するとこのようなインスタレーションが展開していた。

足元にきれいにたたんで並べられているものはきっと古着だ。

まさか新しく購入したものではないだろうから、間違いなく古着だ。

その上、天井より吊り下げられているのは…

器だ

器と言っても陶器でも漆塗りでもない、だ。

古着で出来ているというからその柄はいろいろだ

おんなじ物が一つとしてないんじゃなかろうかと、そんなふうに思えてくるくらい柄が多種多様だった。

あ、本棚にも古着

こういう、本来本しか置かれないであろう本棚に古着も乗せちゃうセンス、自分はかなり好みだ。

家でもこういうことをやってしまう。

本棚に本しか置いちゃいけないなんて、誰が決めた⁉

と、居直りたい。

こちらの図書室での「器」はおそらく嘉さん本人が制作したものだと思われる(勝手にそう思っている)。

この作品はこの部屋のインスタレーションだけじゃなく、隣の教室で展示されていたワークショップの様子も面白い。

かなり自分好みだ。

 

隣の教室へ

図書室をザッと観てから、作品看板があった隣の教室には何があるのだろうかと気になって、もちろんそちらも覗きに行った。

こちらがその隣の教室の様子

ここも器の展示かな?

そう思って入ってみると、確かに「器」、もちろん古着で作られた器の展示なんだけど、嘉さんが作ったものではないものが並んでいた。

テーブルに置かれた器一つ一つにメモのようなものも置かれていた

作った方本人による説明であったり、古着の思い出だったり、作ってみた感想であったりが書かれてある。

顔を上げて黒板を見てみると「ワークショップレポート」の文字

ここに展示されている「器」、ワークショップにて地元・珠洲の方々が持ち寄った古着を使い自分たちで作った「古着の器」だったようだ。

若山地区のお母さんたちを中心に集まってくれていたようだ

制作現場の写真つきだ。

制作風景もわかる。

なんなら作り方も貼ってあった

なるほど、こうやって作るのか。

このとおり作っていけば、自分でも作れそうな気がしてきた。

そんな気がしてくるだけで、実際にワークショップで作った方々の感想を読んでいると、結構難しいらしい。

「あまり上手に出来ませんでした」とあるが、いや上手いと思う

自分が作っていれば間違いなくもっと形が歪になっていたであろう。

それにしても「着地がこわい」という表現、久しぶり聞いた(目にした)。

「こわい」というのは「硬い」という意味だ。おそらく能登方面の方言だと思われる。

自分の祖母もよく使っていた。

ちなみに「かたいねぇ」と言われると「いい子やねぇ」という意味だったりしていたから、子供の頃、結構混乱していた。

最後にこんな感想も見つけた

80才の手習…

80歳の方も参加されていたようだ。

80才の手習の作品

その謙虚な文章と、思い出を懐かしむ文章と、そしてこの完成品を目にして、ふと目頭が熱くなった。

確かに「この地に生きた人々の姿の象徴」だ。

 

感想

作品看板の隣の説明書き

ガイドブックを読んでみると、嘉 春佳さんの「祈りのかたち」は「古着は着ていた人の記憶や生活の痕跡を伝える媒介であり、古着からなる器は、この地に生きた人々の姿の象徴でもある」と断定していた。

作品は鑑賞者がどう受け止め解釈しようが自由であって、十人十色の受け止め方があると思っている自分などは、断定されると拒否反応を起こしてしまうのだけど、80才の手習の作品を、感想文とともに目にしたとき、確かにそのとおりだと納得してしまった。

その方がどのような生き方をしていたのかその全てはわからないので、その器から感じ取るものは、その殆どに自分の想像が入ってしまい、その点において自由な受け止め方をしているのだろう。

自由に受け止めながらも、その人の思い出やら人生の味わいやらが、自分の脳内に一気になだれ込んできた感じがしたものだから、なにかに圧倒された自分はふと泣きたくなってきたのであった。

帰り際に図書室内をもう一度撮影

吊るされた「器」たち、それらがまた大きな器のシルエットを作っているんだね。

いろんな物を託されてきた人たちの象徴が集まってまた器になるか…

これ、次世代にも引き継がれるといいね。

前回のNo.43の作品では地元の子どもたちとのワークショップであったが、このNo.44の作品では地元の老齢のお母さんたちとのワークショップで作られていて、いろんな世代の珠洲の人たちを取り込んでいることに感銘を受ける。

オール珠洲で、この土地の魅力を伝えているわけだ。

そして後世にも伝えているわけだ。

泣けてきた理由がわかった…