10月2日に三回目の訪問となる珠洲市の「奥能登国際芸術祭2020+」で目にした作品の紹介その12だ。
今回は中島伽耶子さんの「あかるい家 Bright house」を取り上げたい。
スズズカから歩く
今回紹介する作品番号25、中島伽耶子さんの「あかるい家 Bright house」は作品番号24のあるスズズカこと旧飯塚保育所と駐車場を共有することになる。
近くに駐車できるところがないからで、スズズカに停めてそこから歩いていく。
距離はそれなりにある。
看板には徒歩2分とある
確かに2分ぐらいでつけると思うのだけど、歩いていみるとそれなりに遠くに感じた。
案内に従うとこんなところを歩いていく
歩く
さらに歩く
家が見えてきた
まわりに何人か人がいたのでここなんだろう。
ここだ
緑の案内板もあった。間違いない。
ここへ来るまで周りが山や畑、道路ばかりでどこか寂しかった。
遠く感じたのはそのせいかと思う。
25番 中島伽耶子「あかるい家 Bright house」
25番だ
水や光などを主な素材にして制作活動を行っている中島伽耶子さんの作品で、この建物の中にあるというのではなく、この家そのものが作品といった具合だ。
案内板によると屋外からだけど夜間鑑賞もあるようだ。
家そのものもが作品だからこそだろう。
このタイヤが気になる
「あかるい家」というタイトル通り、光を使った作品なんだけど、建物そのものが移動してくれるんじゃないかと思わせてくれるこれらタイヤが光よりもまず気になった。
車に変形、といったトランスフォーム的な空想も膨らんでしまう。
そうなったら… もう「光」ではないな。
光を素材にした作品だ
正面入口にはこのような貼り紙もあった。
扉を閉めて、暗い状態で鑑賞したほうがいいようだ。
貼られた写真からも室内に光をいくつも取り込んでいるのがわかる。
この穴からですな
家の外を見て回すと、このような小さな穴が四方あちこちにあった。
横にも
いっぱいある。
これはこれでタイヤ以上に気になる。
のぞき穴のようでもあり、『鬼太郎』に出てくる目目連(もくもくれん)のような無数の「目」のようでもあるので、いろいろと想像力が膨らんでしまうのだ。
ついでにいうと軒下のスズメバチの巣らしきものも気になりましたけどね。
(スズメバチは一度巣を作った場所には戻ってこないと言うし、古いものならまあいいか)
なにはともあれ入ってみる
扉を閉めずに部屋の中が明るかったり、カメラの光量を上げてこのように明るく撮ると散弾銃か何かで撃ち抜かれて穴だらけになったような家に見える。
でも、これではちょっと明るい。
この作品は暗くして、または暗く撮って趣がある。
はい、光量ダウン
暗くした。
どうだろうか、一気にプラネタリウムみたいになったではないか。
光の一つ一つが星だ。
奥に進むと
天井裏まで光が入っているのがわかる。
はい、光量ダウン(2回め)
密集している光は銀河だ。
キレイじゃないか。
隅っこの方だと光が伸びて見えるものも
星雲にも見えるし、宇宙船がワープしているときの残像にも見えてくる。
なんか落ち着く
暗く撮れば夜空のようで、少し明るく撮ると精神統一ができる禅寺の一室のようでもあり、仮に一人でこの場にいろと言われてもしばらく黙ったままいられそうだ。
作者は、光は人間の希望や豊かさの象徴であると同時に欲望も象徴するものかもしれないと考察しているけど、自分には欲望を消して心穏やかにする要素があるように思う。
でも、心の安寧のためにそれを欲した時点で、やっぱり欲望が働いていると言えるのだろう。
なかなか小難しい、禅問答のような空間である。
夜にまた来た
屋外からのみとはいえ夜間鑑賞ができると言うので、日が沈んでから改めてやって来た。
光に群がる虫のように「夜間も見たい」と行動してしまっているのだから、自分も欲まみれであるのだろう。
光は、やっぱり欲望だ。
夜間撮影
欲に目がくらんだようにまったくピントがあってません。
暗すぎてオートフォーカスが働かんのです。
これが自分の限界だ。
なんとか何か撮りたくて室内を隙間から撮影
なんか、電気のコードが見えたよ。
希望を求めて光を追いかけたら、現実を見せつけられた気分だ。
感想
「あかるい家 Bright house」は昼と夜、両方見れるわけだけど、昼間に室内で見た「入ってくる光」は希望の光、夜間に外から目にした「出ていく光」は欲の光、なんていうふうに自分自身は受け止めてみたが、いかがだろうか。
人によっては逆で、入ってくるものが欲であり、出ていくものが希望と捉えたり、はたまた両方とも欲であり希望であると捉える方もいるかもしれない。
答えがないところが仏教世界の宇宙のようであって、室内のあの光景もまた宇宙(プラネタリウム)のようであったから、宇宙の真理(悟り)を求めるような空間でもあった。
解脱?
家から普通に出るがごとく、これくらいカジュアルに解脱できたらラクだろうなぁ…
そんな解脱装置のような作品がいつか生まれないだろうかと期待もするけど、そんなラクはかえって面白くないか…
また禅問答のようなことを一人で頭の中でしてしまった…