金沢21世紀美術館では9月16日より一ヶ月間、香取慎吾個展『WHO AM I』が開催されている。
人気のその個展へ、なんとか見に行けたので感じたものをまとめたい。
(写真の撮影は一部区間を除いてできないため、文章多めで構成する)
初日は諦めて後日平日に
2023年9月16日(土)~10月15日(日)
金沢21世紀美術館の市民ギャラリーAとBを使って香取慎吾個展『WHO AM I』が催されている。
あの慎吾ちゃんが絵を描いていたって知らなかったし、子供の頃からテレビでよく観ていたあの慎吾ちゃんだけに、とても興味が湧いた。
開催初日の9月16日(土)は、ちょうど21世紀美術館近辺で「金沢ジャズストリート2023」も行われていて、町中でジャズを聞きに出向いていたので、ついでに21美にも寄って慎吾ちゃんの個展も観に行こうと考えていたんだけど…
甘かった…(初日の様子)
大行列だった。
なんでもこの初日、慎吾ちゃん本人もサプライズで会場に訪れていたそうで、凄いことになっていたらしい。
こりゃ、土日に行くのは無理だなと思えたので、平日に有給を取って(無事取れた)、あらためて見に行くことにした。
到着
やってきたのは開催から1週間以上経った月曜日の午前中で、チケットの当日券もすんなり買えたし、入り口での行列もなかったので待つことなく入場できた。
金沢21世紀美術館で香取慎吾個展『WHO AM I』を鑑賞
場内は、ある一部の区域を除いて動画も静止画も撮影は禁止だ。
この個展は慎吾ちゃんの「光」と「闇」の二面性で構成されていて、最初の1階にある市民ギャラリーAでは「闇」が、地下にある市民ギャラリーBでは「光」の空間が演出されている。
このことは事前にテレビなどで発信されていた。
この金沢での個展、北國新聞創刊130年記念、北陸放送(MRO)テレビ開局65周年記念の事業でもあるようで、MROが何度も特集していた。
チケットを購入できるのが市民ギャラリーAなので、「闇」から観て「光」に続くのが正規のルートかと思う。
自分もその順に従って鑑賞することにした。
撮影は禁止されているので、感じたものを基本的に文章で記したい。
闇
まず入った「闇」のエリアは、やはりというか場内が薄暗く、流れるBGMもおぞましい世界へと続く地下道を進んでいるような異様な印象のものだった。
順路があるようでないような、やや迷路のようにもなっていて、自分が入ってすぐ「出口はどこですか?」と係員の人に聞いている鑑賞客の方がいた。
その瞬間に「迷いの空間」なんだろうかと、想像してしまった。
「闇」エリアで展示されている作品は、当たり前というか、暗いものが多い。
古いものだと2010年の作品があり、ロシアによるウクライナ侵略を想起させる『2022』というタイトルの作品など最近の作品も並んでいた。
そんな中で印象に残るのは「no title」の作品が多いこと。
特に自画像だと思われる画に、「no title」という題名の与えられていない作品が多かった。
その自画像たるものも、泣いていたり、ロボットのようだったり、ピエロのようだったり、自身を皮肉ったようなものが多い。
ブリキのロボットの絵で、その瞳だけは人間的で且つ悲しさに溢れているものを見たときは、その生々しさに背中が震えるものがあった。
他、『NO』(2016)の絵には「NO」という文字が大量に書き殴られていて、思わず数を数えてしまった。
自分が数えた中では160近くあったと思う。
慎吾ちゃんの内面の闇が、これでもかと伝わってくる。
12歳くらいでSMAPとしてデビューして、長年アイドル、俳優、タレントとして活躍し、事務所との騒動も経験していま新しい事務所に移って活躍されているその半生を鑑みると、我々常人にはわからないくらいの「闇」という名の「病み」があっても不思議ではない。
特に慎吾ちゃんは感性が豊かだと、自分のような一般人でもわかる。
慎吾ママのように性別も超えて色んなものに化けていたし、その感受性の高さ、空気を読む上手さ、他人の望むものをすぐに察知して応えてしまう巧みさ、それらがあったからこそ芸能界でずっと活躍してこられたんだとも思う。
でもそれって、小さい頃から自分というものを押し殺しているわけでもあるから、自分自身が何者なのかがわからなくなっても、これまた不思議じゃないだろう。
そんなところに現れる「くろうさぎ」の存在だ。
「闇」エリアに入ってまもなくして、ペンシルで描いた小さな画が何枚も貼られたところがあるんだけど、楽しそうな、愉快そうな、時々悲しそうな、そんな日々の喜怒哀楽をスケッチしたようなペンシル画の一番左上、高くて見づらいところに「くろうさぎ」の鉛筆画を見つけたときにはゾッとした。
いるのだ、慎吾ちゃんの中に「くろうさぎ」が。
さらには、奥に進むと「くろうさぎ」をテーマにした展示場所もある。
大きなスケッチブックに描かれた「くろうさぎ」が何枚も展示されている一角だ。
年月が経つに連れて、慎吾ちゃんの中でかなり具現化して、会話もできるような存在になっていったようだ。
また、闇エリアの出口近くでは仮面を被った「くろうさぎ」の絵も目にすることができたので、ペルソナとして、それが自分自身であることも自覚している節もある。
自分はそれらを目にして、慎吾ちゃんの中で「くろうさぎ」がいつ頃から現れるようになったのか、とても気になった。
光
闇エリアの出口を抜け、その足で地下の市民ギャラリーBへと下りていくと、「光」エリアへと続くことに。
ただ、「光」エリアに入ってすぐの通路は「闇」エリアの延長のように、暗い演出が施されていた。
床には「くろうさぎ」のプロジェクションマッピングも当てられていたので、この兎のことを嫌でも意識させられる。
「闇」エリアのすべてをその兎に集約させているような感覚すらあった。
ただ、暗いからといってすべてが重々しいかといえばそうでもなく、プロジェクションマッピングのおかげでどこかポップな印象も受ける。
そうしてその通路の突き当りには『くろうさぎ』(2019)というタイトルの一枚の大きな絵が置かれていた。
もちろん描かれているのは「くろうさぎ」だ。
その絵を目にして、
「あ、この子の存在を受け入れたんだな」
との共感のようなものが胸を抜けていった。
「くろうさぎ」がいつ頃から慎吾ちゃんの中で発現していたのか、結局わからないが、2019年には一枚の大きな絵にできるくらい認識し、許容し、グッズにできるくらい一緒に歩むことを選んだようである。
その絵の隣のカーテンをくぐると、そこはもうそれまでの「闇」エリアの暗さが嘘のように、光にあふれて明るい、開放的で立体的な空間になっていた。
展示されている作品も明るくポップで、そしてユニークなものばかりで、子供の頃にテレビで見ていた楽しそうな慎吾ちゃんの印象と重なるような世界が広がっていた。
『i enjoy : の再構築』(2018)というタイトルの作品が個人的に印象的で、2017年にSMAPが解散することになり、同年に事務所も退所して新しい事務所で「新しい地図」として活動を再開した頃とも重なることを考えると、なにか感慨深いものがあった。
「光」エリアにはお客さんも参加させるかのような面白い作品も多いので、それまでの自問の作品から、他人やお客さんと触れ合うような作品へと移った、そんな転換期のようなものも想像できた。
それでいて、「光」エリアで展示されている作品は別に2018年以降のものばかりではない。
自問を繰り返していたであろう頃に描いたものもある。
自身を振り返ると、苦しんでいたあの頃であっても、見方を変えると楽しい思い出や作品もあるんだと再発見できたのではなかろうか?
そんなことを勝手ながら想像して観ていると、作品一つ一つに慎吾ちゃんの楽しそうな笑顔が浮かんでくるようでもあった。
「光」エリアの奥には撮影OKな一室がある
いくつか作品も展示されているのでもちろん撮った。
その数枚を撮影
街の絵だ。
以前は慎吾ちゃん自身の内面を描いたものが多かったのに、「闇」エリアのときと描いているものが全然ちがう。
自分自身としてはネガティブなものよりこういう絵のほうが好みだ。
『in 金沢』(2023)
という作品。
こちらはこの金沢での個展に合わせて描かれた金沢だけで観られる作品。
金沢市民としてはほんと嬉しい作品だ。
こちらはMROテレビの番組「絶好調W」の特番で製作していた九谷焼の絵付けだ。
もちろん自分も番組を見た。
『自在』(2023)
『ワンストローク』(2023)
これらも同じく「絶好調W」内で製作していた絵画たち。
「絶好調W」という番組を開始当時から(前身番組から)観続けている自分としては、こんなローカル番組に慎吾ちゃんが出演しているだけで驚きだ。
それだけに、こうしてその作品を生で目にできて、「ありがたや~」とへんな感動があった。
くろうさぎの
オブジェも
おったよ~
こちら、台座がゆっくりと回転してます。
ここで記念撮影している人が多かったけど、ちょうど正面にくるまで待つ人も多く、その瞬間を逃すとまた待たなければならない。
慎吾ちゃんに遊ばれてるなぁ、と思ったのは自分だけでしょうか?
遊び心といえば
このモニター付きのマネキン型オブジェ、ときどき慎吾ちゃん本人がリモートでやり取りすることがあるらしい(モニターにリモート画面が映る)。
お客さんと触れ合う感じがここでも現れてて、観ていて楽しい。
このポジティブな楽しさが「光」だね。
まとめ
これ、その日の日にちなんだね
以上、金沢21世紀美術館で鑑賞した香取慎吾個展『WHO AM I』の感想である。
「くろうさぎ」が発言した「闇」の時期、そしてそれを受け入れてからの「光」の今と未来、そんな印象を勝手に受け取った。
お金を払っているんだから、どう受け止めようが鑑賞者の勝手であろう。
実際、2000円という入場料は普通の美術展より高い。けど、それに見合う慎吾ちゃんの心理世界の冒険を勝手に味わうことができたので、満足だ。
ちなみに自分はすべて鑑賞するのに2時間半かかった。
我ながらじっくり見すぎ、楽しみ過ぎかと思う(いつもこんな感じですが)。
個人的な見解をもう一つ付け加えるとすると、この個展そのものを演出したのも慎吾ちゃんだとすると、全て計算して描いて構成しているわけで、そのしたたかさみたいなものにゾッすると同時に、そのように魅せれるアーティスとしての才能の高さに「さすがだな」と改めて感心してしまう自分もいた。
それに関連して、「闇」エリアにあった『MEKKEMON』(2021)という作品が個人的に気になる。
コロナ禍で何を見つけて喜んでいるのか、慎吾ちゃんの新たな「闇」が気になって背中が寒くなるし、その闇を使ってどう「光」に変えていくのか楽しみでもある。
その「ゾッ」と「感心と楽しさへの期待」がこの個展に触れて抱いた自分自身の「闇」と「光」である。
いや、もしかしたら「光」と「闇」かもしれない。