初心の趣

カメラ初心者の石川県人が同県を中心に地方の変わった魅力を紹介しています

廃駅の旅15 「藤波駅」

テニスを一度やってみたくなった…

廃駅の旅、15回目だ。

今回は旧能登線の藤波駅に行ってきた。

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テニスコートの近くにある廃駅

のと鉄道の奥能登方面を中心に廃駅を訪れる個人的な旅15回めの今回は、前回の旧能登線にあった波並駅の次にあたる「藤波駅」へ向かった。

能登町にある廃駅だ。

こちら、前回、前々回と違い、ちょっと探すのに手こずった。

国道249号線の近くにあり、はっきりと目印になる施設もあるので行きやすいはずなのだけど、国道沿いにあるわけではないのでわかっていないと迷ってしまう。

目印となる施設というのは「県立能都健民テニスコート」がある「藤波運動公園」だ。

地図を見てみる

助かることに旧藤波駅もグーグルマップに載っていた。

その地図によればすぐ側に「藤波運動公園」というものがあって、その施設が国道249号線沿いにあるのだ。

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ということで249号線を走った

前回の波並駅からさらに珠洲方面へ車を走らせていると写真のように右手海側に海中の絵が描かれている大きなモニュメントが見えてくる。道路を挟んでその左手台地側には縦に長い公園の看板も立てられている。

目印が2つもあってどれも目立つものなので運動公園へは迷子にならずに行けるだろう。

縦長看板のところで左折し坂道を登っていけばもうテニスコートのある公園に到着する。

駐車場も広いので車でも行きやすい。

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坂を登ると左に曲がれの案内

小坂になったところを左に曲がっていくと運動公園の広い駐車場に出る。

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駐車場より

ここでキャッチボールをしている親子がいたくらい、なかなか広い駐車場だ。

目の前にはテニスコートの他にドーム状の施設も見える。

これ、屋内テニスコート場で、名前は「WAVEのと」というようだ。

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近寄ってみた

能登にこんなテニス施設があるとは…

石川県は元テニスプレイヤーの神和住純さんを輩出しているんだけど、神和住の先祖一族が住んでいた集落がこの能登町にあるようで、それが縁で能登町って「テニスの町」を宣言しているんだとか。

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壁にはテニスのモザイク画も

壁の足元の歩道の脇にはここでプレイした選手(学生)たち(?)の記念か何かの足形が並んでいたりもした。

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屋外コートの側にはこんな銅像

宇出津高校でソフトテニスを指導し、宇出津高校の黄金期を作っていた山田良平先生の像だそうだ。

県内の大会で団体10連覇とかしていたというからすごい。

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運動公園、結構広い

「WAVEのと」は4面のコートがあり、屋外には16面の砂入り人工芝のテニスコートがある。

それ以外にもサッカーなんかもできる多目的広場なんかもあってかなり広い。

写真のように車道があって車でグルグルと回れるくらいだ。

地図から、この敷地内のどこかから小道に入っていけば今回の目的地(テニスで忘れそうになっていたが…)である藤波駅に行けるはずなのであるが、その小道がどこなのか迷子常習犯の自分はわからなくなってしまって、このあたりを本当にグルグルと車で回ってしまっていた。

そんな自分のような地理に疎いの人のためにも、ちゃんと旧藤波駅への行き方を記したい。

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さて、もう一度ここまで戻ろう

国道249号線から高台の坂を登ってきて最初の分岐点である。

左に曲がれば藤波運動公園と書かれた看板があり、目的の廃駅が公園の近くにあるはずだからとここで左折してしまったが、それが間違いであった。

目的の廃駅へと向かうには左折ではなく、この分岐点を直進するのが正解であった。

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直進した先にはこんな下り坂が現れる

少し狭いものの車で通ることは可能だ。

次にはこの少しくねくねした坂をまっすぐ進んでいく。

くねくねしているのでまっすぐという表現は正しくないかもしれないが、左折も右折もせずに民家の脇を進んでいくとまた坂が現れる。

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再び上り坂

登って下りてまた登るわけだから山2つ分登ったような心境だ。

地図上ではテニスコートの近くにあるように見えたけど、こうも起伏を繰り返すようだとそりゃすぐには見つからない。

そうしてこの坂も登っていくと…

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すぐに待合室跡が見えた

ここが旧能登線の「藤波駅」跡である。

 

廃駅をチェック

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奥の方から撮影

藤波駅付近、駐車できるスペースというものはあまりないが、道幅は車1台分以上はあるので車でも来れるところだ。

自分より先にバイクで来ている人がいた。Uターンとか考えるとバイクで来るほうがラクだ。自分はバイクもバイクの免許も持っていませんが…

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能登町に入ってよく目にするこの看板

坂を登っていくと最初に目にするこの看板。

廃駅の旅として旧能登線を巡っている中で、能登町に入ってよく目にするようになった。穴水町の方にはたしかなかったはずだ。

これがあると、ここが廃駅なんだなとの確信がこの頃には持てるようになった。

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ホームへ

旧藤波駅はこのようにホームと待合室が残っていた。

山の方にあるからか忘れられている感がある。

柵には草も無造作に絡みついているし待合室も劣化している。

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線路は残っているようだ

ホームから見下ろすとレールは残っているようだった。

でも周りの木々の枝が垂れかかっていて、やはり手入れしてあるふうには見えない。

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待合室もチェック

戸が開いて中に入れた。

能登町に入って七見駅あたりから、こうして待合室に入れる廃駅が続いている。

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時計

いつ頃からかなのか、7時44分28秒で止まっていた。

こういうのを目にするとこの場所の時間そのものが廃駅になってから進んでいないように思えてならない。

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ゴミ箱発見

いつ頃からのものだろうか?

分別も「もやせるごみ」と「もやせないごみ」(缶・ペットボトル)と2つのみ。

能登線廃線になったのは2005年の4月1日。いまでは分別ももうちょっと厳しいと思うからやっぱり廃線になった頃のものだろうか。

チリトリも置いてあるけどベンチや床も最近掃かれた様子は見えない。

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雑誌の切れ端発見

ニュースのやつは週刊文春だと思われる。

記事の内容から2012年8月頃のものだろう。

9年くらい前じゃないか…

長らく放置されているのがわかる。

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待合室の窓から

遠くに停止位置目標と思われる「2」の数字が見える。

この黄色の目標物だけ妙にきれいに見える。

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近寄ってみる

蔦は絡まっているものの鮮やかに黄色だ。

ちなみにこちらの方向の先には最初に立ち寄った健民テニスコートのある運動公園がある。

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ホームにも蔦に隠れて案内が

健民テニスコートの案内板が残っていた。

ここにこれがあるということはここが廃駅になる前からテニスコートはあったということだ。

部活や健康維持でテニスコートを使う人たちがこの駅を利用していた情景が目に浮かぶ。

 

テニスコート敷地内にNT100系

当時、この藤波駅が健民テニスコートとリンクしていたのがわかる。

そのつながりからなのかはわからないが、健民テニスコート敷地内にはのと鉄道で2006年まで使われていたNT100系気動車が保存されているという。

事前に調べてその事も知っていたのでそちらも探してみた。

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ふたたび藤波運動公園へ

こちらは敷地内の多目的広場「ピアッツァ」の前だ。

このあたりの橋の下にあるというのでひとまずこの前までやって来た。

この辺の橋といえば…

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これだろうか

橋の欄干にしゃもじのようなラケットのような形が彫られている橋だ。

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ラケットだ…

「能都スポーツ橋」と書かれてある。

この欄干から下を覗いてみると…

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線路が見えた

レールが残っていた。

一気にこの橋の下であるとの予感が強くなる。

でも、どうやってそこへ下りていくのか、ここでもちょっと迷った。

迷子常習犯は車だろうと歩きだろうとよく迷う。

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少し迷った末にこの道を見つける

サッカーなんかもできる多目的広場ピアッツァの隣にテニスコートがあるのだけど、その2つの間に下の方へと下りていける道があった。

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下りていくとこんなところに出る

橋の下から見下ろしたレールがあった。

近寄ってみると一部、枕木も残っていた。

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いた

古い気動車が雨風を避けるように橋の下で佇んでいる。

このオレンジ色が配された電車がNT100系気動車だ。

1988年に国鉄から第三セクターの「のと鉄道」になったときに導入され始めたそうだ。

現在はNT200系やNT300系が使われていて、100系は2006年までにすべて廃車になっているとのことだ。

100系の一部はミャンマーに譲渡されてもいるらしい。

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接近

こちらの静態保存されたものももちろん使われていない。

正面に数字が書かれているように正確にはNT123の一車両らしい。

左上には「ワンマン」、右上に「宇出津」と書かれてある。

廃線&廃車になった後、もともと宇出津駅に置かれていたものなのだそうだが、レールのあるこちら藤波駅付近に移されたそうだ。

この廃駅の旅で次に行くであろう宇出津駅は、先に言っておくとホーム等が取り壊されて残っていない。

そういったものだから、この一両が壊されずここに移して今も残してあることを嬉しく思うし、実際目にしてちょっと興奮した(自分もすっかり廃駅好きになったものである)。

これ、保存だけではなく、何かのイベント等で使えないだろうかと思ってしまったくらいだ。

 

感想

以上、旧藤波駅を訪れた話だ。

健民テニスコートが近くにあることから、それを利用するラケットを持った学生なんかがよく使っていた駅なんだろうなとの想像を勝手にできる駅だった。

その健民テニスコートの敷地内にこの旧能登線で使われていた気動車が静態保存されているんだから、まだまだテニスコートとこの廃駅の縁が切れていない気もする。

待合室はだいぶ放置されている感があって劣化もしているけど、かつてこの土地でテニスの練習をしていた人たちの思い出を刺激する場所としてまだまだ残っていてほしいものである。

そんなことを想っていると自分もテニスなんてものをやってみたくなったものである。

でも自分はむかし一度だけテニスというものを体験したとき、野球と同じ感覚で打って打つたびにボールを場外にすっ飛ばしてしまっていた経験があるので、はっきり言ってテニスの才能はない。

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ホーム跡近くで目にした「止まれ 見よ」の板(テニスコート方向にあり)

君にテニスはまだ無理だ、一旦待て、自分自身を見よ、と言われている気になった…。

いつか、あの運動公園のコートでテニスを体験してみたいものである。