見上げると249号線へのプチワインディングロード…
廃駅の旅、25回めだ。
地図にもうない
のと鉄道の旧能登線を中心に使われなくなった駅をめぐる個人的な旅、廃駅の旅もこれで25回めだ。
前回の恋路駅が旧能登線の中でも能登町最後の駅にあたり、その次となる今回の鵜島駅は珠洲市にある。
この旅としてはいよいよ珠洲市に入ったというところだ。
ただ、珠洲市編一発目ながら、鵜島(うしま)駅をグーグルマップで探そうとしても見つからなかった。
一応このあたり
調べに調べて鵜島駅があったあたりの場所は突き止めたが、そこに建物も駅跡もなにもなかった。
道だけがそこにある、といった具合だ。
一応、その場所への到達方法を以下に記してみる。
恋路駅に行った際に使った内浦街道を珠洲市方面へ北上していくとそのうち鵜島郵便局が見えてくる。
その二つ手前の路地を左折すると到達できる。
こんなところ
内浦街道がそもそも細い道だし、周りが民家ばかりだから正直わかりづらい。
ミラーが目印だろうか?
曲がるとこんな道になっている
町の掲示板が角にあるのも目印になるだろうか?
車も通れるこの道を真っすぐ進んで突き当ったところが、鵜島駅があったと思われる場所だ。
行ってみるとなんにもないですが
駅舎やプラットホーム、線路跡といった廃駅を示すものが一切ない。
お墓が並んでいて、その背後では、つづら折れた道が伸びている。
どうやら鵜島駅って廃駅になってから道路工事によって完全に撤去されてしまったらしい。
あたりを歩く
鵜島駅、廃駅が完全撤去されたということだけど、その周りが今どうなっているかだけでも伝えたく、あたりを歩いてみた。
もしかしたら駅の名残のようなものが見つからないだろうかと、そんな淡い期待もしながらだ。
線路跡かなと思われる盛土あり
定かではないが、線路跡かと思わせる、土が盛られた所があった。
線路とかはもちろんないのだけど、方角的にそのあたりなので、なんとなくイメージが作られていく。
結構高い
昔の写真なんか見ると、鵜島駅ってなんでも築堤の上にあったそうで結構高いところにあったみたいなので、ますます線路跡かという期待が強まっていく。
でも、これくらいしかない。
高いといえばこのプチワインディングロードも
見上げるところにある。
築堤等、駅があったところをどこまで利用してこの道路を作ったのかは地元民ではない自分にはよくわかっていない。
なお、この道路の右側には神社もあった。
鳥居がある
その奥に社があるんだけど、鳥居と社の間くらいに、線路が走っていたのではないかと思わせる跨道橋あとのような、築堤の名残のようなものが見えた。
この先(右方向)にはトンネルもあったようなので、このあたりまで駅だったのではないかと、そんな想像もする。
参拝してみた
拝殿だけで、狛犬なんかもいない小さな神社であったが、参って来た。
鵜島劔神社というところだそうだ。
ここ、駅があった頃から鎮座していたのだろうか?
だとしたら、ずっと日陰になっていたんじゃないかと、どうでもいい心配をしてしまう。
再びプチワインディングロードへ
写真奥の盛土、神社の前の築堤跡(?)、それらが一直線に続いていたとなると、このプチワインディングロードも、もとは駅や線路跡ではなかったのかとの思いが強くなってくる。
駅があったであろうところに立つ意味でも…
その道路も上って歩いてみた
廃駅を撤去して新たに作られた道だ。
そんなに広くないけど、車道だ。
歩いている人は、自分以外にはいなかった。
どこに出るかといえば…
国道249号線に出る
細い内浦街道と大きな249号線をこのあたりで繋ぎたかったようだ。
確かに、このあたり住んでいる人からすると、遠回りせずすぐに249号線に出られるのは便利だ。
下って戻ろうとすると海が見える
こうしてみると高低差がなかなかあるとわかる。
クネッているし、小さな峠道のようだ。
子供の頃だったら自転車でかっ飛ばして下って、大人に怒られていただろう。
途中で立ち止まると結構いい景色(写真はちょっと斜めってますが)
7月の下旬で天気が良かったので、海と空がきれいだった。
正直、暑くて熱中症になるかもとも思ったけど、気まぐれで歩いて上ってみて、こういう景色に巡り合うと、得した気持ちになる。
廃駅はなかったけど、いいところだ。
まとめ
以上、旧能登線、鵜島駅の今の姿だ。
道路工事が行われて、完全撤去されていたので廃駅が残っていないところであった。
少なくとも2010年くらいまではホームや待合室はまだ存在していたみたいなので、訪れるのが10年遅かった。
廃駅の旅で駅が完全撤去されていたのは旧輪島線の能登市ノ瀬駅以来だ。
多くの廃駅はいずれ取り壊され、周りの住人にとってより便利な別の何かがその場所に設けられることになるだろう。
それが遅いか早いかの違いであって、廃駅の旅を30年後くらいにまたおこなったら、ほとんどの駅がこの鵜島駅のようになっているのではないかと、そんな景色が去来した。
道の駅やバス停、喫茶店などとして再利用されているケースは稀有で、どの廃駅そんな具合に再利用できないかと旅をしながら考えたものであるが、人の営みのサイクルを突き詰めると、案外こうしてさっぱりなくしたほうが自然であるのかも知れないとも思える。
都会なら、もっと早くにどんどん別のなにかに置き換えられているのではなかろうか?
能登線が配線になって15年以上経つが、まだこうしてあちこちで廃駅が残っているのは、ひとえに田舎だからだろうかとも考える。
まあ、何が正解かわからないけど、すべて完全撤去されたときに少なくとも思い出せるくらいはできるように、とりあえず自分はこうして今の廃駅を写真で残しておこうと思う。
旧能登線もあと7つ。
7つか… 結構多いな…
奥能登国際芸術祭が始まる前には… 終わるかなぁ?