ススキに見とれて風を感じる廃駅の旅。
その9回目だ。
行き方
廃駅の旅9回目は前回の沖波駅の次の駅にあたる「前波駅」だ。
沖波駅がまだ立戸ノ浜駅だった時代、夏季にしか営業していなかったので、立戸ノ浜駅周辺の人達は普段は前波駅を利用していたそうだ。
その場所だが、やはり穴水町の前波というところにある。
沖波駅でも通っていた県道34号線(能都穴水線)をさらに進むことになる。
ただ、県道34号線そばにあるわけではないので少し分かりづらい。
ということで、まずはそこまでの行き方を記したいと思う。
最初の目印となるのは「前波集会所前」という北鉄のバス停だ。
県道34号線を走っていると前波あたりで見えてくる。
こんな感じで
小さな橋の手前にバス停を見つけた。
一応、集会所の地図も
地図的にはこんなところにある。
海の近くなので、川のように見えても磯の香りがする。
橋
かみでばし、と書かれてあった。
ほんと、小さな橋だ。
渡った先、左手に神社があるので、それを目印にするのもアリかと思う。
この橋を渡って、次にはその神社のある方へとすぐ左へ曲がる。
曲がったところ
車で通るには少し細いけれど、この道を進むことになる。
一応、車も通れるけど車の行き来には気をつけていただきたい。
ここを進むと…
また小さな橋が見える
名前もないような、緑色の欄干の橋だ。
ここを渡って次は右に曲がる。あとはひたすら真っすぐ進むだけだ。
真っ直ぐ進むとこんな所に出る
民家の間を縫うように進むとそのうち田畑が広がって、町の掲示板が設置されているT字路に出る。
道路の広さから、ここで右に曲がりそうになるけど、まっすぐ農道のような細い道を入っていくのが正解だ。
その先に目的の旧前波駅があるのだ。
農地の中の廃駅
農道みたいな道の先に屋根付きの物置きのようなものが見えてくる。
農業用の倉庫にも見えて駅とは関係ないようにも思えるけど、そこが前波駅だ。
こんな所にたどり着く
周りは広々と田畑だし木々も生えていて、物置みたいなところには農業関係のものが置かれているしで、農協か個人農業従事者の土地に思えてしまう。
トラクターみたいなものもあるし
こんな看板も
後で知ったことだけど、この物置、地元の営農組合が使用しているんだとか。
ああそうなんだ、だからかぁ、なんて今となっては思うけど、現地に着いたときはどうしても駅に見えなかったので少々焦った。
肝心の廃駅はこの物置の裏にある。
道を走っているとそれらしきものが物置に隠れて見えないので分かりづらいのである。
物置の右側に注目
小坂になっていて、なんとなくプラットホームに繋がっているようにも見えた。
その自分の勘は間違っておらず、こうして車を止めて近づいてみるとむかしのプラットホームで見られる木の柵も目に入った。
ホームに違いない
この日は風も強く、周りは田畑ばかりで吹きさらし状態、人の気配もないしで荒野を歩いているような孤独感もあって、ウロウロしているだけでガンマンに撃たれるんじゃないか、もしくは狼か何かに襲われるんじゃないかと変な警戒感を持ってしまっただけにホームらしきものがすぐに見えたときは駆け足になってしまっていた。
小坂を上った先
木も高く覆っているし、右手にはススキがいっぱい生えているし、苔も蒸しているけど、間違いなくプラットホーム跡だ。
ここが旧前波駅なのである。
待合所も残っていた
木々に紛れて待合所もあった。
遠くからだと見分けられないくらい自然と同化している。
それくらい色あせている。
軒下の蛍光灯
蛍光灯カバーのサビ具合がサワラの西京焼きの皮の部分みたいだ。
あまり厨房を掃除しない中華料理屋の換気扇のようでもある。
いい味でている。
中を覗いてみる
中には入らなかったので窓越しにチェック。
木製のベンチがあるのがわかる。
これまた随分と年季が入っている様子。
駅そのものは1959年からあるので、このベンチももしかしたらその頃からあるのかもしれない。
自分より先輩だ。
ほかにはチリトリのようなものも見えた。
定期的にこの待合所を管理している人がいるのかもしれない。
でないと、状態良く残らないだろうしね。
待合所の先
ホームの端まで苔が生えて、周りは草木が茂っている。
松みたいなものが何本も生えているのが印象的だ。
こんだけ茂っていると山の中の駅のようにも見えてくるけど、平地で周りは農地なんだから不思議な景色だ。
記念に一枚
やってきたのが11月で天気はやや曇り、おまけに風の強い日で駅の雰囲気もちょっと物寂しいところがあったけど、陽の光が差してくるとスポットライトをあてた舞台のように刹那の華やかさがあって撮りたくなった。
春や夏だともっと青々として、意外と物悲しさとは逆のみずみずしい景色になっているのかもしれない。
秋は秋でススキがきれいなんですけどね
ここらへん、ススキがたくさん生えていてそれが風に揺れているから、誰もいなくても時間が動いているという感覚がある。
舞台で言うと裏方さんたちでステージに動きをつけているようで、そんな中ホームを歩いているとそれだけで一人芝居をしているような陶酔感もあった。
物寂しいところといえば物寂しいところなのかもしれないが、見方を変えるとそういう自己満足的な楽しみ方もできるところであった。
辺りも広々としてるしね、観客も入れれそうなのよね。
自分は、芝居はできませんが…
感想
以上、旧前波駅の写真だ。
ホームは苔むして年季入っているけど、周りが農地でただっ広く感じるから野外舞台や野外ステージで使えないかなと思えるところだった。
田畑が観客席になりそうな広さ
写っている木、これ桜だろうか?
だとしたら春にはきれいな花も咲くだろうし、祭りの演舞や太鼓の演奏の場所としても映えそうなところだ。
廃駅の可能性が広がってくる気がした(もうそういう利用をすでにしているのかもしれないけど)。
世の中サスティナブルな(持続可能な)社会になりつつあるわけなので、廃駅もただ廃棄され放置されるのが勿体なく感じる今日このごろ。
この旧前波駅にやってきたことで、より「もったいない」という感情が芽生えてきた。
個人的に廃駅に対する見方を変える一つのきっかけになった廃駅のような気がする。
春にまた来たくなった。