初心の趣

カメラ初心者の石川県人が同県を中心に地方の変わった魅力を紹介しています

穴水町には能登長寿大仏がある

七尾市よりもう一つ北上したところにある鳳珠郡穴水町には能登大仏がいるという。

かねてより一度目にしたいと思っていたので参拝してきた。

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能登大仏を見に行く

この日本で「大仏」と言ったら、多くの人は奈良の東大寺のものや鎌倉のものを思いうかべてしまうものだろう。

かくいう自分もその一人である。

そんなメジャーどころの大仏様に引けを取るかもしれないけれど、石川県内、しかも能登地方にも大仏様がいる。

それが穴水町の、能登長寿大仏だ。

安置されているのは穴水町乙ケ崎の真和園というところだ。

以前よりその近くを通ることが何度もありながら、いまだ立ち寄ったことがなかったのだが、正月も過ぎた頃、能登地方に行った帰りに、ふと思い立って立ち寄ってきた。

ひとまず地図

真和園は内浦側の国道249号線を使うと行きやすい。

旧有料道路である「のと里山海道」を使わずに下道を使って穴水町の方へと行き来しようとするときによく使う道路で、電車の「のと七尾線」を追いかけながら海沿いを走る道だ。

その道中、穴水町に入ったところで海側を走っていたのに山の方へと曲がる角があり、そこを入っていくとたどり着くことができる。

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曲がった先にこんな看板が見えてくる

わかりやすくイラスト付きだ。

矢印のとおりに曲がると、すぐ左手に建物が見えてくるけれど、その前はひとまず通り過ぎてさらに奥へと入った先に駐車場が見えてくる。

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駐車場の看板

これによると参拝者はここに車を停めて徒歩で境内をまわれとある。

大仏様はこの駐車場のすぐ近くにいるので、大仏様を見るだけなら徒歩でもほとんど苦ではない。

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駐車場前の小坂をちょっと上がるともう見えてくる

手水舎越しに座するその御足が見える。

これからもわかるように建物の中ではなく外に安置されている。

しかも駐車場の一番近くということで、前置きとか一切なく、いきなり拝める。

f:id:seisyunsanka:20190219231515j:plainこちらがその姿

その座高は8.35メートル、台座とか入れた全体の高さは13.7メートルある、青銅製の大仏だ。

青銅の重さは32トンあるそうだ。

奈良の東大寺のものが18メートルくらいあるのでそれには負けてしまうけれど、鎌倉のものは13.35メートルなので、こちらには勝っていたりする。

北陸で見ると最大級の大きさの大仏なんだとか。

ちょうど他に参拝客がいたので比較してみると、たしかにデカイ。

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自分も正面に立つ

伸びた石畳に立つと、一直線上に吸い寄せられるような感覚がある。

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さらに近づく

少し角度を変えて見上げているのに、ずっとまっすぐ見下されているような感じがした。

なんだろうか、畏怖をおぼえる。

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もっと近づく

真下までやってきたけど、やっぱりその視線をずっと向けられているような気がしてならない。

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ド~ン

目があった…

気のせいではない、やっぱりこちらをしっかり見ている…

どこに飛び回っていても仏の手のひらの上だった孫悟空西遊記)の気持ちがちょっとわかった。

ちなみにこの大仏様、阿弥陀如来だそうだ。

この大仏様を含め真和園を作り上げたのは穴水町で建設会社を起こした堀内秀雄さん(富山県出身)という方だそうで、私財を投じて整備を進め、長い年月をかけて2003年に完成させている。

この堀内さんという方、明治41年(1908年)生まれの方で平成21年で亡くなられている。

100歳生きた方なのだ。

その建立者にちなんで「能登長寿大仏」と呼ばれているのだそうだ。

100歳は、すごい… 自分はそんなに長く生きられる自信はない。

ということで色んな意味でデカイ。孫悟空西遊記)の気分になったのもちょっと納得してしまった。

しっかり参拝したので、ご利益として自分も長生きできるだろうか?

 

境内、他のところも見て回る

いきなりメインの大仏様を参拝できてそれで満足して帰ってしまいそうなものだけれど、境内、他の場所も見て廻ってきたので、簡単に紹介したい。

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参拝順路の看板なんかもある

こうしてみると、結構広い。

大仏様から右回りに回るのが順路のようだったので、そのようにしてみたのだけど、途中、冬だからなのか通れないところもあって順路のとおりには回れていないことを予め断っておきたい。

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まずは、鐘あります

「平和の鐘」と刻まれていた。

実際に鳴らしてみたら、柔らかい鐘の音が波紋のように中空へ広がっていった。

この音、好きだ。

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鐘のすぐ目の前に蕎麦屋がある

その名も「そば処 大仏庵」。

いわゆる休憩所で、休憩所としての営業時間は10時から16時、食事処としては11時から15時までだそうだ。

定休日は毎週月曜日なのだけど、自分が足を運んだ1月は冬季休業のようで…

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月曜日じゃないけど閉まっていた

ソバ食べたかった… 残念。

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さらにまわると三重塔もある

これも私財を投じて建立したのだろうか。すげぇな。

開いた入口の奥にはこれまた仏像が安置されていた。

ここからさらに奥の方に進むと観音堂があり、その道中には石灯籠がいくつも並んでいたのでちょっぴり異様で、ある意味神秘的だった。

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ひたすら穴を一直線上に撮る

キレイに並んでいたので、ついこう撮ってしまった。

吸い込まれそうである。

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近くにはこんなものも

屋外にテーブルや椅子も置かれていた。

この真和園はもともと「町民の安らぎの場になれば」という思いからも作られたそうで、こういう憩いの場もそういった考えの一つの現われなのかもしれない。

なお、さらにその先にある橋は…

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このとき通行止めになっていた

真和橋というらしい。

冬だからか通れなかった。

その先に弘法大師堂や親鸞聖人像、阿弥陀堂なんかもあるのだけど、あいにく見て回るのをやめてしまった。

再び駐車場の方に戻り、さらに最初に前を通り過ぎるだけ過ぎて立ち寄らなかった建物(仏心堂)の方へと歩いていくと、そこの大型バスも停まれる駐車場には蓮如像も立っていた。

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さすらい人のような蓮如

空がよく似合う。

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もうちょっと進むと観音菩薩像も発見

松の木に囲まれながら慈悲心を伝えている観音さま。

台座が観音様本体よりデカくて、参拝しようとすると見上げることになる。

角度的に大仏様を見上げていたときより首にきた。

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よく見ると涙を流しているような観音様

これに気づくのに首に負担をかけていた自分は、首コリ、肩こりのため自分としてもちょっぴり涙したくなった。

癒やされたい。

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その観音さまから見える景色

右奥に見えるのは太子堂だ。

左には池も見える。

そうして正面奥にはこの真和園の門が見える。

いきなり大仏様、そこから順路に従うようにグルッと見てまわってきて最後にたどり着いたのが門である。

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入り口である

最後に入り口…

なんだろう、原点回帰を教えられているような気もした。

仏の世界は常人の常識では図りきれないものである。

 

感想

以上、能登長寿大仏への参拝模様だ。

足を運んだ季節も季節だったからか、安置されている真和園も含め、全体的に静かな印象があった。

大仏様も、静寂の中にドデカくそこにいる、といった具合で、そこにいるだけで畏怖であり、かつ安心させてくれる不思議な存在感を放っていた。

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安心させてくれると思わせてくれたアングル

撮影している側としては、撮るアングルによって雰囲気が変わってくるなと思えた。

とくに晴れ間がさしてくると、いい表情を向けられている気になる。

「安らぎの場」は間違っていないだろう。

自分としてはいきなりメインで最後に入り口という順路の設け方にも面白みを覚えた。

逆説だったり、矛盾だったり、それら世の不可解を考えさせられ、包括する心の広さについても考えさられたような気もする。

なかなか意義のある参拝であった。

能登長寿大仏、散歩コースとしても良いので、近くを通った際は立ち寄ってみてはいかがだろうか?