当ブログのサイドバーにはこれまで足を運んで記事にした県内の市町を「カテゴリー」として並べている。その中にまだ中能登町がないことに、ちょっと前に気がついた。
中能登町は、下道を通って七尾を向かう時によく通る。ただ、通過することはあってもそこで観光をするとか食事をするといったことがこれまでなかった。
通過した際に抱いた中能登町のイメージも「田畑の多い田園地区」であった。
中能登町に何があるのか。
以前同じような疑問を持った川北町を調べる際にも使った「石川トランプ」を見てみると、中能登町は「能登上布」というものが有名らしい。
なんでも能登上布会館というものも町内あるということなので、能登上布がどんなものなのか勉強するため、先日足を運んでみた。
目次
能登上布会館へ
鹿西図書館や役場の「カルチャーセンター飛翔」の側にその会館はある。
「鹿西」(ろくせい)、懐かしい名前だ。
中能登町は2005年に3町合併して誕生した町で、かつては鹿西町と鹿島町と鳥屋町に分かれていたのだ。
会館の前には緑地広場も
小さな高台もあり、登ってみると中能登町の山々を遠くに望め、田園風景を見渡せた。
広場そのものは晴れの日に芝の上でのんびりと読書していたくなるところだった。
その広場を前に能登上布会館はある。
会館だ
土曜日に行ったが開いていた。
ここで一つ言っておかなくてはならない。自分はこの会館を能登上布の資料館や博物館のようなものだと思っていた。実際に足を運んでみるとどうやらそういう所ではなかった。
どういうところかと言えば、なんだろうか「能登上布を継承していくための実践工房」といったところだろうか。
一応、見学もできるのだが、鑑賞だとかを目的にしているようなところではなかったようなのだ。
しかも自分が訪れたのはちょうどお昼ごはん時、おまけにアポなし。
変なやつが来たなと思われたに違いない。
それでも、館で作業する方々が親切で、館内を見学&案内してくれたのだった。
いい人たちだ。
館内一階を見学
館内の様子だ
みなさんお昼休憩中だった(申し訳なかったです)ので、作業は止まっていた。
ご覧のように織り機は昔ながらのものばかりだ。
この辺りでは、むかしはあちこちでこういった機織り機などがあったそうで、蔵や倉庫にしまわれていたものを館で貰い受けて使用しているそうだ。
もう何十年も前の年季の入ったものばかりだ。
製造工程図もあった
能登上布は麻糸から出来ている。
工程を見ると、緯糸(横糸)と経糸(縦糸)にパートが別れているようだ。
緯糸、経糸それぞれで整経し染色し、最終的にそれらを織り込んでいくということはアバウトに分かる。詳しいことは、織物の素人である自分にはさっぱりであった。
館にて継承のために作業している方々は全員で15人ほどいるそうで、毎日来ている方もいれば普段は仕事をして週末だけ来ているという方もおり、これら工程の熟練度も人によって違うという。全員が全員、すべてわかっているというわけではなく、すべて理解し身につけるというのもなかなか大変なことらしい。
この日は6人ほど館に詰めていたと言っていた。年齢もバラバラで上は80歳以上の方もおられた。一番上では90歳以上。90歳以上でも現役だ…すごい。
共通点と言えば、自分が見た限りみなさん女性だったことだろうか。
二階も見学
二階も見せてもらえた
二階も作業場だ。これからも展示を目的にした場所ではないことがわかる。
「櫛押捺染」をするところもあった
捺染に使う「サシ」という道具
こんな感じで糸に線をつけていくんだとか
こちらはあくまで作業のイメージ。実際には櫛形の押し器を使って糸を染めていく。
こちらが捺染(なっせん)された糸
ほかにも板〆浸染という染色方法も用いられているそうだ。
織り機にかけられた捺染された糸
点々と染められているのが素人目にもわかる。ただ、素人目にはランダムに染められているように見えてしまう。
織っていくとちゃんと模様になっていく
これが不思議だ。
ちゃんと計算して捺染しているからこそ模様になっていくのだろうけれど、どういう理屈なのか素人の自分には理解できない。
図面もあったけど
チンプンカンプンでやっぱり理解できない…
階段には暖簾もあった
二階から降りてくる時、階段の踊場でこの暖簾を目にできる。
能登の方には結婚する時に特別に拵えた暖簾をくぐる「花嫁のれん」という風習がある。その「花嫁のれん」と一緒にこの麻でできた家紋入りの暖簾も拵えるのだそうだ。この麻でできたものは夏用で、夏になると出すのだとか。知らなかった。
触ってみるとさらりとしていた。麻だからもっとザラザラしているかと思ったら滑らかだった。
物販所もある
館内には物販もある
一階の端の方には販売所もあった。
反物や能登上布で作られたネクタイ、しおりやコースターと言った小物、暖簾なんかも売られていた。
この会館は商売を目的としているわけではなく、これらの商品は伝統を継承する過程で作られたものなので値段は低く設定されている。
現在、能登上布を扱うところはこの会館と、能登上布を商いとしている羽咋市の「山崎麻織物工房」さんしかない。
香り袋を一つ購入
防虫剤にもなる香り袋だ。
ディスプレイされたものから選ぼうとすると、引き出しの中から選ばせてくれた。引き出しの中のもののほうが香りが飛んでいない。気を使わせてしまった。
この袋、防虫剤にもなるだけあって開封時の香りはかなり強烈だったけど、一日経つとマイルドになった。田舎の仏壇の香りがする。懐かしい。
体験できる場所もある
機織りを体験ができる場所も
この会館、実はお金を払うと能登上部を織る体験をすることもできる。
要予約だ。お客さんがいなければ飛び入りでもできると言っていた。
人にもよるが1時間ぐらい体験できる。
織る布の長さによって値段が変わり、70cmで3000円。もう少し短いものだと1000円から2000円の値段でできると言っていた。
最後に作業中の様子を
一回り見学し終えた頃、お昼休憩もちょうど終わって作業が再び開始されていたので、その様子を一枚撮らせて頂いた。
機織り機、飾りじゃなくてちゃんと動いている。先に紹介した木製の機器はすべて現役なのだ。
歴史も含め勉強になった
能登上布… 中能登町にこのような伝統芸があったとは知らなかった。
館内にあった歴史表を見ると、およそ2000年前に崇神天皇の皇女「沼名木入比賣命」(ぬなきいりひめのみこと)がこの地域に滞在中に機織りを伝えたという伝説があり、以降、鹿西町から羽咋の地域で織物が生産され続けたのだそうだ。それから江戸時代に入り、近江から技術を取り入れて発展し、その質を認められて「能登上布」(のとじょうふ)と呼ばれるようになっている。「上布」とは質の高い麻の布の称号のようなものだ。要するに麻布の高級品だ。
一時期全国一位の生産量を誇っていたそうだ。後世に継承しようとしているのもわかる。
とても勉強になった。突然(しかもお昼時に)やって来たのに館内を案内してくれた方々に、ほんと感謝だ。
なお、ずっと案内してくれた方が、この能登上布会館の隣には「中能登町織物デザインセンター」というものがあり、そこも見学できると教えてくれた。
そう教えてもらったときには何を見ることができるのかよくわかっていなかったが、織物についてまた少し見識を広げられるかもしれないと思った自分は、そこにも立ち寄ってみることにした。
中能登町織物デザインセンターへ
こちらが中能登町織物デザインセンター
能登上布会館とも繋がっているのでそちらから入ることも出来たが、正面に回ってから入った。
建物には「中能登町商工会鹿西支所」と書かれていた。
それを読むと、自分なんかが入っていいのか少しためらってしまう。まあ、入っていくんですけど。
入っていくと、一階のエントランスで職員の人がいた。「見学させて下さい」との旨を伝えると、その方(男性)が案内してくれることになった。
自分は、こここそ資料館や博物館の類だと思っていて、勝手に館内を見て回るものだと想像していたので、この対応にはちょっと驚いた。
能登上布館の人たちといい、いい人たちだ。(単に自分が怪しくって見張っていたかっただけなのかもしれないが)
展示場は二階にあるので、階段を登って向かった。
その入口
なんだかオシャレな洋服が見える。
自分はオシャレやファッションに疎いので場違いなところにやって来てしまったかなとこの時思った。
けれど、職員の方の説明を聞いてみるとオシャレやファッションと言うよりはその服の素材である繊維や生地を紹介する場所であって、それがまたむしろ興味深い内容であった。
まずはデザインサンプルの展示場を見る
20万点あるらしいサンプルデザイン
最初にサンプルデザインの展示スペースを案内してもらった。
美川町(現:白山市)の染色屋さんが不景気で倒産した時に、廃棄されそうになっていたこれらサンプルデザインを中能登町に寄贈したそうだ。
中能登町織物デザインセンターという名前からわかるように、このセンターはこれらサンプルデザインが寄贈されたことがキッカケで立ち上がったようなのだ。
言うなればこのセンターの要となる展示だ。
ファッション業界の流行って5年から10年のサイクルがあるらしく、こういったサンプルは新デザインを開発する上でとても貴重なんだとか。
これらサンプルデザインはデータベース化されていて、ここの検索コーナーで閲覧することもできる。
世の中の変わった繊維も展示されていた
そして興味深いのは、サンプルデザインの他に中能登町繊維研究開発グループが関わる変わった繊維の展示も行われていたことだ。
いろんな変わった繊維が紹介されていた
ここで展示しているのはファッションデザインではなく、織物の素材である「繊維」なのだ。
それらを簡単に紹介していきたい。
こういったドレスは金属でできている
ねずみ色のものがステンレスを、茶色系のものが銅をナイロンと併せた特殊な繊維で出来ていた。
青いものは特殊加工のポリエステルを緯糸に使用
それによって生地に光沢がある。
炭素繊維もあった
軽くて強いと言われている繊維だ。これ、F1のフォーミュラカーにも使われているんだよね。
これを多重織という織り方で立体的にしてプレスすることで鉄の5倍から10倍くらいの強度を誇る素材になる。硬いのに、軽さは鉄の4分の1くらいしかない。
実際に手にしてみた
鉄だったらズシッとくるであろうところ、ヒョイッと持ち上げられた。でもカチコチでむちゃくちゃ硬い。
そして面白いことに、それだけの強度がありながら性質上繊維そのものは簡単に「折る」ことができる。
職員の方が折って見せてくれた
引っ張っても切れない繊維で、織り込んでプレスすると鉄より硬い素材になるのに、指でポキっと折れてしまう。
綿や麻ではなく炭素(カーボン)だからこその性質だ。
炭素繊維は、中能登町の「高幸織物」さんという企業も研究しているようだ。
消防用のホースもあった
織り方が特殊で、丸く形作っているのにずっと縫い目がない。
さらにウレタンで内側を防水加工してあるそうだ。
網目の超細かい網戸もあった
こちらは中能登町の「森本金網製作所」さんが開発したもの。
やろうと思えばここまで出来ますよ、というアピールのために作られたものだ。
極細の特殊金属繊維を緯糸に使っている。
密度が高すぎて風の影響を受けるので実際に網戸商品にはなっていないそうだが、この技術は車のオイルフィルターに使われているという。
なんとか捉えた網目の細かさ
あまりに細かすぎて白い布のようになっているものだから、カメラのオートフォーカスがなかなか働いてくれなかった。
これだけ密度があれば、蚊も入ってこれないだろう。
柄も描けます
金属を染色するメーカーにお願いしたらこのように柄も着けれたそうだ。
変わった繊維を体感できる実験コーナーもあった
今から電気を起こします
炭化させた布と水を使って電球を発光させる実験だ。
光る
プラスイオンが発生して、マイナスイオンと反応して電気の流れを作るのだとか。
文系の自分には何となくしかわからないが、これ面白い。
当てる場所を変えると…
別のライトが点灯
災害時など電気が止まった時でも水さえあれば電池代わりに使える可能性があるわけだ。
こちらの炭化させた素材、中能登町の「新日本テックス」さんが開発したそうだ。
隣には刃物でも切れにくい布もあった
切れません。
自分でもやってみたが切れなかった。
鋼にも負けないので防弾チョッキなどに使われているそうだ。他にも御嶽山の山小屋の屋根にも使用されているのだとか。飛来物があった場合、鉄板では穴が空くところ、この布だとそういうことが起きないらしい。
さらに隣では電磁波を通さない布の実験もできる
このアイテムは電磁波を感知するもの。パソコンなどに近づけると反応する。
でもこの布にくるむと電磁波シャットアウト
感知器の反応が止まった。
アースのような働きをしてくれるのだ。
エプロンなどに使えば妊婦にもやさしい
携帯やパソコン、電子レンジ等、電磁波に囲まれた生活をする現代の中で少しでもお腹の中の子供を守るために使えるのではないかと言うわけだ。
このようにいろんな繊維があるのだ。
極めつけはむちゃくちゃ軽い布
「天女の羽衣」と呼ばれるむちゃくちゃ軽い繊維も展示されていた。
その繊維で作ったドレスの見本
「天女の羽衣」は、七尾市に会社があるが中能登町繊維研究開発グループメンバーである「天池合繊株式会社」さんが開発した極細の繊維による布だ。
髪の毛の5分の1の細さ(7デニール)だというから驚きだ。
この極細の糸で平織りされたポリエステルオーガンジーが「天女の羽衣」だ。
細すぎて切れやすいのに、それを織り上げてしまえる技術がまたすごい。
実際に触ってみた
なんじゃこりゃって思うくらい、軽い。
なんだろうか、綿菓子が生地になったらこんな感じになるのではないだろうか。いや、それより軽いかも。
世界最軽量、世界一薄いとはよく言ったものだ。
もうすでに市場に流通している
パリコレなんかでも使われたり、パリオペラ座でも使用されているのだとか。
スカーフやショールとして売られていたりもする。
知らなかった。
織物と繊維の町「中能登町」の歴史も聞く
職員の方は中能登町の織物産業の歴史も説明してくれた。
古くは弥生時代、崇神天皇の皇女「沼名木入比賣命」(ぬなきいりひめのみこと)の伝説から織物の生産が始まり、江戸時代に近江から技術者を呼んで発展させ、能登上布の称号を与えられるようになったこと。絹織物へも展開し、さらには時代に合わせて人絹(レーヨン)といった化学繊維の生産へ移行していったこと。最盛期には千を超える機屋(はたや)さんがあったのに繊維業界の不況、最近ではリーマン・ショックなどでどんどん衰退していって数えるくらいしか現在残っていないことも教えてくれた。でも最近は円安の影響もあって海外の受注が増えてフル稼働であるそうだ。
化学繊維のサンプルも展示されていた
また、ここには展示されていなかったが、やはり中能登町の「丸井織物株式会社」さんなどは汗を吸収しない素材なども作っているようで、サッカーのユニホーム等に使用されている(汗を吸わないことで重くならない)と教えてくれた。
そういったスポーツ業界などに特化した繊維や、他には産業用織物といった合成繊維の生産が、現在の中能登町の産業になっているそうだ。
素材は変わっていくが、昔から今も中能登町は織物と繊維の町のようなのだ。
多くは大手メーカー側の「こんな繊維を作って欲しい」という要求に応え卸しているので、織物の町といいながら衣服を作っているわけではないと少々自虐的なことを職員の方は言っていたが、それでも大企業では作れない、ここでしか織れない繊維を提供しているのだから、業界からすると縁の下の力持ちみたいな存在なのだろうと思う。
確かに、この町で作られた繊維を使った衣服や製品を使用することがあっても、それら中能登町の企業の名前を知ることはなかなかない。名前が出るのは衣服や製品を作るメーカー企業ばかりだ。中能登町織物デザインセンターさんのこうした発信は、石川県人としては地元を知るという点でありがたい。織物素人ながら変わったもの好きの自分などは、次にどんな面白い繊維が開発されるのか、単純に楽しみだ。
(これまで関わりがなかった他業種のメーカーさんからしてもイマジネーションが膨らむのではないだろうか)
キッズドレスのレンタルもしている
最後に、こういうのも紹介したい。
展示ホールを出て左手にキッズドレスのレンタルをしているスペースもあった。
その名も「レインボーキャンディ」
サービス名なのか店名なのかはわからないが、レインボーキャンディと言う名だ。
中能登町では町のイベントとしてファッションショーをよく行っていて、その時の子供ドレスをこのようにレンタルしているのだ。
キッズ用しか取り扱っていないものの、2週間借りれて1着2000円なのだからかなり安い。
最後に折り紙をもらう
見学をしてくれた人には折り紙をプレゼントしているのだそうだ。
自分は業者の人間ではなくほとんど観光できていたので、もらっていいのか戸惑ってしまったけど、頂いた。
カラフルな折り紙
データベース化された20万点を超えるサンプルデザインをインクジェットで転写した折り紙だ。
繊維にばかり注目してしまったけど、改めていうがここは「デザインセンター」だ。
サンプルデザインがこういうことにも使えるのかと思うと、かなり面白い。
また、自分は今回利用していなかったのだが、1階ではインクジェットプリンターと熱転写機を使ってデータベースから選んだ柄をいろんなグッズにプリントできる体験コーナーもあるようだ。
メガネクロスなら無料で提供してくれるらしい。(それ以外のグッズは有料)
何にプリントするか、そう考えるだけでも楽しそうだ。
まとめ
いかがだっただろうか。
能登上布会館では伝統織物を、中能登町織物デザインセンターでは現在の織物繊維産業の姿を目にした訳だが、「中能登町=田園地区」とのイメージしか持っていなかった自分としてはどちらも目からウロコであった。
一方では伝統を継承しようとし、もう一方では新しい織物産業を開拓しているという差異もまた面白い。しかも相反するようで、ちゃんと根っこで繋がっている。時代に合わせて変わりつつ、残せるものは残せる限り残す中能登町の取り組みには「伝統」というものについて改めて考えさせられた。
こうした「革新」と「保守」のバランスが(精神的に)保てているから、結果として生き残って行くのかもしれない。
そういう点でも、大変勉強になった。
最後に、こんな話も添えておきたい。
以前、中能登町に立ち寄った(通過した)際に、新しく誕生していた道の駅を見つけて、その駐車場で少し休憩したことがある。
その新しい道の駅の名前が「織姫の里なかのと」だった。
そのとき、どうして中能登町で「織姫」なのか、何の関係があるのか疑問に思っていたのだが、今回こうして二つの施設に立ち寄って、この町が古くは弥生時代からそして現在まで織物と繊維の町であることを知って、納得した。
こちらが新しい道の駅「織姫の里なかのと」
国道159号にある。2014年にできた道の駅なのでかなり新しい。
さすがに写真は撮れなかったがトイレがすごくキレイだ。日本庭園を眺めながら用をたせるようなトイレだった。
こんな顔はめパネルも
この道の駅マスコットキャラクターの「なかのとおりひめ」(左)。右は町の鳥の「うぐいす」。
中能登町能登部下区にある能登比咩神社の社伝には「二人の祭神」こと二人の織姫の伝説もあるそうだ。その一人があの「沼名木入比賣命」。もう一人は「能登比咩の神」だ。
ここまで知ったら、なぜ織姫の里なのかさらに納得だ。
そして、やっぱり根っこでは繋がっていることがよくわかった。
二つの施設、それぞれ「機織り体験」と「プリント体験」をやり残しているので、次はそれらをしにまた足を運びたい。