初心の趣

カメラ初心者の石川県人が同県を中心に地方の変わった魅力を紹介しています

安宅の関は海と空がキレイなロケーションだった

安宅の関跡にも寄った

前回の記事で記したように、安宅の関に行ったら神社があって、ついつい狛犬を撮ってしまっていた自分だが、ちゃんと「安宅の関」跡にも足を運んだ。

最初、どう行けばわからず、御社殿の前でウロウロとしていたところへ巫女さんがやって来てくれて道を教えてくれた。

それは神社の社務所の右の橋をくぐって、左に折れて真っすぐ行けばあるとの事だった。

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これが橋

社務所と、宴会などを行う「参集殿」とをつなぐ渡り廊下だ。

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くぐると左折の案内がある 

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この道を抜けて行く

写真としてはF値を下げ過ぎた…

上の枝の方がボケすぎて印象派の絵画のようになってしまっている。

マイナスイオンでも出ているのか、それとも木陰になっているからか、通りながら清々しい気持ちになった。

そしてこの道を抜けてすぐに…

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 跡があった

関ということで門のようなものが残っているかと少し期待していたが、跡は跡のようだった。

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石柱がズンッと立っている

正確には「安宅関址」と書くようだ。

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脇の石 

なんと書かれているのかさっぱり読めなかった。

 

改めて記すが、安宅の関勧進帳物語の舞台となったところだ。追われる身となた源義経一行が山伏に扮しながらこの関を通るとき、関守の富樫左衛門に疑われたものの、弁慶が機転を利かせて白紙の勧進帳をさもホンモノのように朗々と読み上げたり、主君の義経を金剛杖で叩いてみせたりして、疑いを晴らしている(本当は富樫も義経とわかっていながら、主君のために主君をも叩いた弁慶に心打たれて通した)。

ちなみに「勧進」とは神社仏閣の修復のために寄付を募ることで、勧進帳とはその旨を記した巻物のことだ。

 

いまはストーンサークルのように石しかないが、数百年前の人情ドラマに思い馳せることができる難関突破のパワースポットだ。

真ん中に立てばいかなる難関も突破できる神通力を獲得できるかもしれない、そう思えた。

蛇足だが、これが羽咋市だったら真ん中に立てば宇宙人と交信できるかもしれないとも思えた。

 

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 近くに東屋のような休憩所もある

松林を抜ける風も涼しく、避暑目的で来るのもアリだなと思えた。

 

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「関乃宮」と呼ばれる二つの小さな社殿も近くにあった

右が源義経、左は関守の富樫左衛門が奉斎(お祀りすること)されているそうだ。

歴史と信仰と情緒がここにはある。

いや、やはり羽咋市と一緒にしちゃいけないですな。

 

ただ、「インパクト」という点で羽咋市にも負けないものもあった。

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銅像

右から関守の富樫左衛門、真ん中が金剛杖を抱える弁慶、そして右がその金剛杖で叩かれる義経だ。

三人で「勇仁智」を示している。義経が「勇」で富樫が「仁」で弁慶が「智」らしい。

銅像の配置と文字の順が微妙に違っていて混乱しそうだが、儒教の「三徳」という徳の話では一般的に「智仁勇」の順番で知られているので、ますます混乱する。

いや、「勇仁智」はそもそも右から読むもので正確には「智仁勇」なのだろう。

頭がこんがらがってきた。我ながら面倒くさい説明をした。

ちなみに『論語』によれば「智の人は惑わず、仁の人は憂えず、勇の人は恐れない」そうだ。

何にせよ、この像が、

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デカい

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 弁慶もデカい

下の台座も入れると5メートル近くあると思う。

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義経は…目がちょっと怖い

富樫像は七代目松本幸四郎が、弁慶像は二代目市川左團次がモデルとなっているそうだ。

そう言われても歌舞伎を知らない自分には誰だかわからない…

ここで写真を撮っている時、60歳くらいの女性の観光客がおそらく娘と思われる方と一緒にこの像を見上げていたが「やっと念願の安宅の関に来れて満足」と口にしていた。

ファンにとってはやはりここは聖地なのだ。

 

ついでに、

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こんなオブジェも近くにあった

 「北前船」だ。

北前船は江戸時代から明治まで日本海の海運で活躍した船だ。安宅港にも寄港していたそうだ。

どうしても七福神の二柱が目立ってしまうが「船」がメインだ。

船がメインとフォローしながら、自分としては、二柱の像から羽咋市と同じニオイを感じてしまった…

 

 さらには、

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 「勧進帳ものがたり館」というものもあった

有料だったが迷うことなく入ることにした。

入場券は隣の「安宅ビューテラス」という名の食堂兼おみやげ屋で買う必要がある。

大人一枚300円で購入すると、対応してくれた女性の方(おばちゃん)が館内を案内してくれた。まさかのナビ付きだった。

安宅住吉神社でも巫女さんが説明してくれたし、安宅の関は良心的なところだ。

その案内をしてくれた方に館内の撮影は可能かと尋ねると「大丈夫です」との返事があった。

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こちらが館内だ

この「勧進帳ものがたり館」は一階しかなく、けっして大きな建物ではない。

中には源義経を題材にしたテレビドラマなどの写真パネルや義経や弁慶の関連グッズなどが展示され、シアターゾーンでは歌舞伎「勧進帳」の一幕を映像で観ることもできた。ほかにもこの安宅の地の伝統芸能などを収めたビデオなども見られ、文楽人形なども並んでいた。

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 弁慶の七つ道具もあった

左から「薙刀」「刺股さすまた)」「鉞(まさかり)」「熊手」「木槌」「薙鎌」「鋸(のこ)」だ。

小学生時代、弁慶の七つ道具に憧れていた自分はここでかなり興奮してバシャバシャと連続して写真を撮ってしまっていた。

 

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衣装の展示もあった

平成16年(2004年)3月、小松駅前のこまつ芸術劇場「うらら」で、弁慶:市川團十郎、富樫:坂東三津五郎義経中村芝雀による歌舞伎「勧進帳」の公演があったそうで、そこで使われた衣装のレプリカだ。

 800万円かけて「松竹」に作ってもらったのだとか。

案内の方も「800万円出して」と強調していた。確かにお高い。

また、この場所にスクリーンがあり、当時のダイジェスト映像を流すことも出来たのでしっかりと最初から最後まで視聴した。

ついでに隣にあった「安宅伝統芸能」のビデオもすべて視聴した。

貧乏性なので、しっかり観てしまう。

小松は子供歌舞伎なども盛んで、幼い頃から歌舞伎や勧進帳に親しんでいるようだ。

 

そのように10分以上視聴している間、案内の方はいったん外に出て「安宅ビューテラス」の方に戻っていった。

そして自分が視聴し終える頃、再びやって来てくれたのだが、顔を見ると別の方だった。

先ほどの方と同じ歳くらいの女性の方で、やはり色々と説明してくれた。

 

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こちらは「勧進帳」の文楽人形

富樫、弁慶、義経以外の四人は、いわゆる義経に仕えていた「四天王」という人たちだろう。

左から「片岡八郎」「常陸海尊」「駿河次郎」「伊勢三郎」でした。

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こちらは地元の祭りの獅子頭

勧進帳の他に、この安宅の今昔絵図のパネルもあり、地元の歴史を知ることもできた。

それがまた面白く、案内の方の説明を聞いていて、まるでトリビアの泉くらい「へぇ」を口にしていた。

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昔の町並みをパネルで伝えている

右下の「北村家」はむかしの宮司さんの家だそうだ。

よく見ると藁葺き屋根の家だ。

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これは吉祥庵

もともと銀行で、のちに地元銀行「北國銀行」になったところだ。

庵(お茶室)とあるが、そのなごりで入ってすぐに大きなカウンターがあったらしい。

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こちらはむかしの弁慶・富樫像

先ほど関跡近くで見た銅像以前のもので、「陶器」で出来ていたそうだ。

昭和15年当時は戦時下で銅は貴重であったため陶器で作ったのだ。

やはり陶器では傷みがあったようで、昭和41年に今の銅像に変えられている。

 

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入口近くには巨大な蜂の巣も展示されていた

「弁慶の蜂の巣」と呼ばれている、小松の山の方で見つかった、日本一大きなキイロスズメバチの巣だ。

隣に甲冑などが展示されていたのに、それらを撮り忘れてこういうのはしっかり撮ってしまっているのだから、自分は何か間違っているのかもしれない。これが自分クオリティだ…

 

何はともあれ、勧進帳ものがたり館、実際に入ってみると地元の歴史も学べてかなり楽しめた。改めて、やはり羽咋市とは違いますな。

次回この土地に訪れた際は、今昔絵図にあった吉祥庵などにも足を運んでみたくなった。

 

最後に海岸へ

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入り口の傍には与謝野晶子の歌が刻まれた石碑がある

入口といっても、奥のノボリのある建物が安宅ビューテラスなので、自分はここをくぐって「出てきた」ことになる。

 

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 安宅の海岸だ

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 安宅住吉神社に始まり、安宅の関阯、勧進帳ものがたり館で歴史の風を浴び、難関突破の心得を胸に刻まれた自分だが、最後にあたったこの浜風はそれらの感慨をすぅっと忘れさせた。

それくらい、この海と、そして空がキレイだった。