9月4日(土)より始まり、会期延長を経て11月5日(金)で閉幕した奥能登国際芸術祭2020+。
石川県内のまん延防止等重点措置のため限定公開していた9月に2回、まん防も解除されすべての作品が鑑賞可能になった10月に3回と、合わせて5回の鑑賞旅で目にした作品の紹介もこれで最後だ。
第五日目その3である今回は、原広司さんの「Identification - 同一視すること」を取り上げ、締めくくりたい。
木ノ浦ビレッジで9月に見れなかったものを
原広司さんの「Identification - 同一視すること」は木ノ浦海岸にて展開していたインスタレーションだ。
屋外にあるため、まん延防止等重点措置のせいで基本的に外の作品しか鑑賞できなかった9月にも鑑賞可能であった。
自分も9月に一度見にいっている。
その屋外の他に木ノ浦ビレッジでの屋内展示もあるということで、すべての作品が鑑賞可能になってから改めて見に行ってきた。
10月9日(土)のことだ。自分にとっては最後の観賞旅であった。
木ノ浦ビレッジの入口に地図
カフェのある正面の入口から入っていくと前回紹介したNo.5の作品があり、今回の目的であるNo.6は右の通路を渡った別棟にある。
地図があったのでわかりやすかったし、すぐそこだ。
ここだ
この棟の一番左端の部屋が屋内の展示場所になっていた。
緑の案内板もちゃんとある
ただし、ここでスタンプを押すことはできない。
この屋内展示はかなり補助的なものであって、メインはやっぱり海岸にある屋外のものなのだ。
中ではパネル展示
木ノ浦の海に白鯨や人魚姫がいると想像できるかと問いかけるグラフィックスなんだけど、その思考、その想像力がかなり斜め上を行っているので、常人にはなかなか分かりづらい。
こんな模型も
その説明書き
「Identification」の5つの要素だそうで、実際に海岸に設置されているオブジェの縮小模型だ。
これだけ見ても何が何だかといった不可解な感じになるが、実際に現地に行っても同じく意味不明だ。
なんだったら、現地の方がよくわからなくなってくる。
かなり難解な作品なのだ。
これを全46作品のうち最後に見に行ったのは、その難解さ故で、お楽しみとして気が済むまで鑑賞しようと考えたからである。
6番 原広司「Identification - 同一視すること」
木ノ浦ビレッジに貼られてあった「Identification - 同一視すること」の地形図
一番下に描かれてあるのが、これから向かう木ノ浦海岸の地形図だ。
先程の模型で目にした三角柱やらが置かれている場所も示してあり、それらを線で結んでいる。
真北を向くと三角柱が水平に、且つ垂直に結ばれているのがわかる。
この図を頭に入れながら現地に向かってみよう。
木ノ浦海岸こと「木ノ浦海域公園」だ
奥能登国際芸術祭2017でも「海上のさいはて茶屋」や「船首方位と航路」という二つの作品が置かれていたので4年ぶりである。
(2017のときの木ノ浦海岸の作品の記事は→こちら)
6番だ(こちらは9月に撮ったときの写真。以下9月の写真もあり)
作者の原広司さんは梅田スカイビル、JR京都駅ビルや札幌ドームなどの設計で知られる建築家だ。
ガイドブックによると「世界の多様な集落の空間形態を調査し、独自の建築理論を展開」しているとのことで、今回のアート作品もかなり独特だ。
まずは西側
西側の海岸にはこんなデカい三角柱が立てられている。
模型でも目にできた「東西を示す二つの三角柱」のうちの一つだ。
赤白模様のキリンみたいな形をしているので、一見かわいらしくもあるが、アート作品としてみると「何だこれは?」となってしまう。
なにか仕掛けがしてあって、動き出すだとか、色が変わるだとか、そういった変化も特にない。
西側から東を向いてただ立っているだけである。
では、東へ向けて海岸をぐるっとまわろう
歩いていると防波堤の上にも何か白い三角柱が立っているのが見える。
西にあったものと比べると結構低い。
これだ
まだちょっと遠いので分かりづらいかもしれないが、防波堤の上にカメラの三脚みたいな形をした白いものが北を向いて立っているのだ。
もっと近づいてみよう
板が渡されていたので歩いていってOK。
あまり歩いている人はいなかったので、本当に近づいていっていいのか迷ったけど…
ここまで近づいた
さすがに防波堤の上を歩くことは駄目なようで、進めないようになっていた。
模型でも見られた白い三角柱こと「北を示す三角柱」だろう。
これが向いている方向が真北にあたるようだ。
その奥にはもう一つの紅白の三角柱も見える。
そちらが「東西を示す二つの三角柱」のうちのもう一つで、東にいるやつだ。
さらに東の方へと行ける
海岸沿いをこのように歩いていくことで、東の三角柱の方へと向かうことができる。
滑りやすいし、フナムシもたくさんいるしで、歩いている人はかなり少なかったけど、ここを歩いていかなくては「Identification - 同一視すること」のすべてを見ることは出来ない。
そのうち山に入っていくような感じになっていく
クマとかでないよねと、自分などはそっちの心配をしてしまう。
ここを上っていくと、左手にまたオブジェ、さらに奥へと進むと「東西を示す二つの三角柱」(東側)も見えてくるのだ。
まずは奥へ
案内板と木ノ浦海岸の説明板もあった。
そこから海岸を見下ろすと…
「東西を示す二つの三角柱」(東側)が立っている
こんなところに立っているのだ。
降りるとちょっと危なそうだったのでこんなところから撮影した。
ここから振り替えると…
道中、左手に見えたオブジェを見下ろせる
もっと近づくためにふたたび戻る。
こんなところにも案内板あり
しかも紙のパスポートのスタンプまで押せた。
ここも展示場所なのでちゃんと見に来てくださいよとの意思表示のようなものも感じた。
さらにはコンセプト映像が見られるQRコードも置かれていた。
その先には2つのオブジェが
模型でも見られた2種類のテーブルみたいなやつだ。
実物は東屋みたいな大きさだ。
近づいてみると…
なんかカラフル
こちらはおそらく「Bouque8」(ブーケ8)と書かれてあったものだと思われる。
8色の花びらみたいな形をしている。
それぞれの色が何を示しているのかは不明だ。
もう一つは裏に地図が描かれていた
「Σ8」(シグマ8)と呼ばれているものだと思う(「8人乗りの船」とも呼ぶらしい)。
色のついた穴も空いている。
こちらも8色あるので、ブーケ8と連動しているのだろうかと想像してしまう。
ガイドブックには「きみの、海と地球を巡る想像力を、図形化してあるんだ」とも書かれてあったので、おそらく何々を意味しているとか固定された答えはないのだと思う。
要は、観るものがそれぞれ自由に想像してOKということだ。
作者が自身の作品について解釈を固定化してしまうことほど見る側にとってつまらないものはないので、これは有り難い。
「作品は世に出た瞬間に作者の手を離れるものであって、鑑賞した者それぞれが十人十色の受け取り方、解釈があって然るべきものであり、その自由があるからこそ奥が深い」
との考えで、日頃からジャンル問わず作品に触れている自分としては、この「Identification - 同一視すること」はものすごく共感できる作品であるし、同時にとてつもなく挑戦的な作品に思えて仕方ない。
ええ、自由に想像力を膨らませていただきますよ。
改めて
海と「5つの要素」と
何が見えただろうか?
この木ノ浦の海に人魚姫や白鯨が見えただろうか?
怪鳥ロックによって運ばれてくるシンドバッドが見えただろうか?
自分の目には、また三年後(または二年後)、奥能登国際芸術祭が開催されている未来(を乗せた船)が見えたよ。
コンプリートして
鑑賞パスポート、コンプリートした
ズボンの後ろポットに入れたまま運転座席に座ってしまって紙のパスポートはクシャクシャになってしまったけど、10月9日、すべてのスタンプを押すことが出来た。
自分より先にコンプリートした人は何人もいたみたいだけど、それでもそれなりに早いほうなんじゃないかと思う。
コンプリートしたものを飯田町の「さいはてのきゃばれー」に持っていくと、景品をもらえると言うので再びラポルトすずの駐車場まで戻った。
この日、二回目の「さいはてのきゃばれー」
2つ前の記事でも記したように、この日はここで検温をしているのでまたやって来てしまった格好だ。
ガソリン代が云々とも言っていたけど、自分にとっては大円団みたいなものなので、そんな吝嗇(りんしょく)な感情もこのときにはなくなっていた。
むしろ喜んで舞い戻ってきたものである。
景品は公式グッズの数点から一つチョイスしてもらえた。
自分はクリアファイルをいただくことに
クリアファイルって何かと使うので、あると便利。
景品をもらうとコンプリートの証としてパスポートの裏面に「S」の字のシールを貼ってもらった。
珠洲市の「S」だろうか?
達成感がここでも湧いてくる。
前回に引き続き、今回も無事すべてを鑑賞することが出来て嬉しい。
2020+はコロナ禍のせいでそもそも一年延期しているし、まん防のため一部公開のスタートだったりで、どうなるかと思ったけど、よく開催してくれたし、自分も諦めずによく回ったなと、しみじみ思う。
それだけに充足感は2017のとき以上だ。
アートは十人十色の観方が許されている(と自分は勝手に思っている)ので、観ているだけでひたすら楽しい。その楽しさだけでやって来てきているのに、これだけの充実感も与えてくれた奥能登国際芸術祭には感謝しかない。
たとえ大変でも充実感こそ生きている証だ。
途中、ブログ記事の書き方をエリアごとから作品ごとに切り替えてみたが、これも気持ちがそれだけ高まってしまったからで、より記事数を増やして、少しでも長くこの芸術祭の余韻に浸りたかったからである。
やり方として、こちらのほうが一つ一つの思い入れが強くなってしっくりきたので、次回、第3回目の奥能登国際芸術祭が行われたなら、最初から作品ごとに記事にしていきたいと思った。
第3回が行われたら、もちろん行くということだ。
そのときをまた楽しみにしたい。