4月30日と5月1日を境に、譲位によって元号が平成から令和に変わった。
御朱印帳を持っている人なら大体考えることかもしれないが、平成最後の日と令和最初の日の日付の入った御朱印を頂きたくなった。
実際もらいに行ってきたので、自己満足ながら一つの記念としてここに記したい。
平成最後に
平成最後の参拝はどこの神社でしようか?
御朱印をもらいたいと思いながらも、どこのものが欲しいという願望がなかったものだから、まずその点にちょっと悩んだ。
石川県や金沢市にはわかりやすいくらい平成というものに縁のある神社ってない。少なくとも自分には思いつかなかった。
そうなると個人的に平成時代によく関わった神社に行けばいいという考えに至ったのだけど、御朱印帳を持つようになって広くいろんな神社に足を運んでいるので、ここでもこれといったところがなかなか浮かばなかった。
遡れば元号が「平成」になったのは自分が小学校の時分で、通っていた小学校の隣に神社があった。個人的に且つ無意識ながら一番身近にあって通っていた神社となるとそこくらいなものであった。
ただ、以前当ブログで「通学路」を撮ったときにも少し写真を載せたように学校隣の神社は小さなところで基本的にいつも誰もいない。御朱印ももらえるようなところではない。
一番御朱印を貰いに行きたいところであるものの、選択肢としては、やはりない。
振り出しに戻ったので、もう一度考えた末に、カメラを始めてから最初に足を運んだ白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)へと考え至った。
確実に御朱印も貰えそうな大きな神社だ。ここしか無いだろうなぁということで…
白山比咩神社に行ってきた
ご覧のように参拝客が列を作っていた。
もちろん御朱印をお願いする人も多く、授与所の前にも列ができていた。
皆さん考えることは同じなようだ。
もちろん並びました
こちらが拝殿になるので皆さんここにばかり並んでいたが、地元の人が言うには本当に大事で参らなければならないのは境内の「白山奥宮」というところにある岩なんだとか。
拝殿前の列に並んでいる途中で右手後ろの方を振り返るとこちらがある
大きな欅の後方、小さな石鳥居があるところが「白山奥宮」だ。
そこに祀られている大きな石こそが神様なんだそうだ。白山の上の方より運び込まれたものらしい。
こちらがそれ
自分も知らなかった。覚えておこう。
こうして参拝して頂いた御朱印が…
こちらだ
平成三十一年四月三十日、白山比咩神社参拝の証だ。
本当に参拝だけを目的に足を運んでいるので、狛犬の写真を撮りまくったりといったことは今回していない。
おかげで並んでいるときも参っているときも気持ちは静かなものであった。
二拝二拍手一拝のさなか、その心で唱えたものも、またここに戻ってこれたことや平成の時代へなんとか生きてこれたことへの感謝ばかりであった。
令和最初の日に
翌日の5月1日、令和最初の日に向かう神社は以前から決めていた。
今もなお使用している御朱印帳をかつて購入した神社である。
自分にとっては最初の御朱印帳である。
御朱印集めのスタートを切った場所で令和の最初の御朱印もスタートさせたかったのだった。
というか、それくらいしか「最初」をキーワードにして個人的なゆかりを探せなかった。
表紙にでかでかと「気」の文字が刺繍された自分の御朱印帳は「気多大社」(羽咋市)のものである。
しかも夜に行ってきた。
正確にはじきに5月1日になる午前0時頃だ。
なんでもこの日にプロジェクションマッピングの演出が行われるとの噂を耳にしていたのと、令和を記念した特別なお守りがこの0時より授与開始されると聞いていたので、この神社で時代を跨ぐつもりでこんな夜中にやってきたのだった。
早くも授与所の前では列ができていたりしていた…
0時ちょっと前、時代を跨ぐ少し前だったのだけど、早くも並んでいた。
令和の特別なお守りと絵馬がそこで授与されるので並んでいるのだけど、自分は先に参拝、しかも令和になってから参りたかったので、ひとまずその前を通り過ぎて先に拝殿の方へと向かった。
ここでも、みなさん考えていることは同じな様だ
数kmの行列ができていたという東京のどこそこの神社と比べると可愛いものだが、こうして0時前から列ができていた。
そうしてちょうど0時になった、時代が令和に変わったっ瞬間に次々と参拝していた。
自分は、また来れたことの報告と、新しい時代でもマイペースにがんばりますとの旨を胸で唱えていた。
参拝も終えると次には授与所の前でも並ぶのであったが、そんなに長くは待たされなかった。東京では10時間待ちのところもあったようだけど、混雑が苦手な自分としてはちょっと考えられない。
ただ、お守りや絵馬の授与はこの時間から始まっていたが、一番の目的であった御朱印は、係の者がまだ来ていないとの理由でこの時間にはもらえなかった。
ついでにいうと、この時間にはプロジェクションマッピングも終了していて見ることはできなかった。
残念であった…
仕方がないので朝方またやってきた
地元石川県人だからできることだ。
朝の8時くらいだろうか、この時間でも参拝客がすでにいて、授与所も開いていた。
御朱印の係の方々(女性2、3人)もいたので、もういちど参拝した後、無事御朱印をいただけた。
令和元年五月一日だ。
列に並びながらもらっている人の様子を観察していると、頼まれたのか御朱印帳を何冊かまとめて書いてもらっている人もいた。
そういった人は平成最後の白山比咩神社でも見られた。
実際に参拝しないとあまり意味はないみたいだけど、みんな記念にほしいようだ。
お守りと絵馬も
万葉集の編纂者である大伴家持って、能登の方にも巡行していたそうだ。少なからず縁があるようなのだ。
一筋縄ではいかないところもあったものの自分としては無事参拝できて、御朱印もお守りもいただくことができて満足している。
小さいながらもこの参ってきたという達成感が今後の、新時代のささやかな励みになりそうである。
余談だけど駐車場にバス「花嫁のれん第二章」がいた
のと鉄道等を走るちょっと豪華な観光列車「花嫁のれん」号のバス版こと「第二章」がいた。
金沢発~和倉温泉行のバスだった。
ニュースでは聞いていたものの実物を見たのはこのときが初めてだ。
これも参拝効果か、ささやかながら運がいいと思った。
さらに余談だけど…
道の駅「のと千里浜」で令和おじさんになりきれる砂像が置かれていた。
顔ハメパネルのように記念撮影が出来るものだ。
朝にもう一度、気多大社に向かう前に立ち寄った。
同じ神社に二度行く…二度手間もこうして変わったものを撮れたことを考えるとただの面倒では終わらなかった。
今後も小さないいことを見つけられそうである。
まとめ
以上、平成最後と令和最初の御朱印をもらいにいった話だ。
こんな自己満足な話を最後まで読んでいただいて感謝しかない。
2つ一緒に(自己満足)
このページの境が時代の境だ。
こうして2つを並べれたこともにも充足感ありだ。
なお、最初の方に記した、平成を迎えたときに通っていた小学校のそばの小さな神社についてであるが、御朱印をもらえないのはわかっていたものの、自分の中の気持ちの整理のような、けじめのようなもので平成最後の日になんだかんだと参拝してきた。
なつかしい神社(十一屋の八幡神社)
日にちの証明はできないものの平成31年4月30日に参拝している。
簡単に行けるところなので本当についで感覚で行ってきた。
これこそが自己満足の極みであると思われるが、一番平成を懐かしめたのもこの瞬間であった。
現在この小学校に通っている児童たちからすると将来、令和を懐かしむ神社になるのかもしれない。そう考えると時代の境目が、少し感慨深い。