先日、珠洲市のわくわく広場(足湯がある)に立ち寄ったとき、すぐ近くで地元の神社も見つけたのでついでに参拝してきた。
狛犬写真家を自称しようかと目論む自分なので、もちろんいつもどおりそこの狛犬も撮った。
二対いた狛犬のうち一対の足というか手が大きかったので、報告したい。
そこは春日神社
郷社の春日神社だ
珠洲市飯田町にある。
わくわく広場が珠洲市役所の前にあるので、行くとしたらそれらを目印にすると良い。
珠洲市役所前という信号を春日山へ向かって(北方面)進むとすぐ春日神社だ。
石造りの鳥居
境内が広い。
なんだか緑地公園のように広い。
むかし学生時代に草野球をやっていたせいか、キャッチボールが出来そうだなと思えた。
拝殿も奥の石段を登った先に鎮座しているので、ただの郷社とは一味違ってみえた。
実際、この春日神社では市指定文化財である飯田燈籠山祭りというお祭りも行われる。約16メートルの灯籠で飾られた山車数基が町の中を曳かれていくちょっと大きな祭りだ。
「急ぐとも拝んで通る宮の前」
こんな句(川柳だろうか?)もあった。
春日神社はこの飯田町では特別な所なのだろう。
一対目の狛犬
石段の先に拝殿
こうしてみると山の中にある神社だ。
もうすでにその姿が見えているように、社の前に狛犬がいる。
吽形の狛犬
阿形の獅子
鳩胸のように胸板が厚いこの作りは、どことなく金沢市の石浦神社の狛犬と似ているところがある。
同じ時代に作られた狛犬だろうかと思って台座を見てみると「平成十六年十二月」の文字が彫られていた。
このときに出来たというなら随分と若い狛犬だ。
石浦神社のあの狛犬もそんなに若いのか?と疑問に思ってしまうところであったが、石工の名前の隣に「古代狛犬石彫」とも彫られていたので、むかし風の狛犬を現代の人が彫ったということなのだろう。
石工の名前は「川元 純」とあった。現代風の氏名だ。
胴回り
胴体を見ると、金沢市の尾山神社で見られるスタイリッシュ系の狛犬や、白山市の白山比咩神社で見られる格闘家系の狛犬のような細さと厳つさが覗える。
それらのルーツは同じなんじゃないかと思う。
顔アップ
作られて10年くらいしか経っていないが、この吽形の顔には風化が見られる。
特に口周りが潰れて鼻や唇の境目、牙の区別がしづらい。
カビもところどころ見かけるし、山にあるだけに日当たりがそんなに良くないのかもしれない。
木漏れ日と一緒に
樹の下にあって、日当たりが仮によくないとしても、こう撮ると爽やかだ。
本当はもっとアングルを工夫したかったけど… 自分にはこれが限界であった。
阿形のお顔
潰れているところも特になく、吽形と比べると造形の細かなところまで視認できる。
阿吽でこの差はいったい何なのか、不思議だ。
爪の様子
爪の先が少し変わった形をしていた。どこまでが肉でどこから爪なのかわかりづらく、爪だと思われる部位にさらに四角い発射スイッチのような小さな突起物が付いている。
風化して形が変わったようにも見られるが、おそらく最初からそんな造形なのだろう。
ゴリゴリッとしたコブで形成されたイカつい手(足)だ。
二対目の狛犬
この境内にはもう一対、狛犬がいる。
実は、拝殿の傍にいた一対目よりも石段に近い位置にいる。
目の前を通っていながら日陰にいるため、まっすぐ正面ばかり見て石段を登っていると見落としやすい。
自分などは、参拝が終わって振り返ったときに「あれ? いる」と気づいたくらいだ。
こちらがその狛犬(吽形)
そして阿形
形が一対目とかなり違う。さらには年季も入っている。
台座を確認してみると「大正」の文字が見えた。
「大正」と彫られている
苔のせいで確認しづらかったが「大正十一年」だろうか。
昭和前の狛犬はなかなかレアだ。
寄ってみるとさらに経年変化を感じさせる
明らかに元の石の色とは違う色があちこちに見られる。
白いのは白カビだろうか。緑色のは、苔が乾燥して枯れたところに白カビが付着したものだろうか。
おそらく苔だろう
尻尾にも苔
苔が生えるだけでなく、その苔がカビに侵されているんだから若い一対目とは年季のレベルが違う。
それでも笑っているような顔
カビが生えようが、苔が生えようが、枯れ草が頭に乗ろうが、蜘蛛の巣を張られようが、意に介さないようなのほほんとしたスマイルだ。
懐が深いというか器が大きいというか、優しいというのか…
少しも怖さを感じさせない狛犬だ。
怖さを感じさせないと言えば、この狛犬、手もなかなかデカい。
手のアップ
像のように大きいのだ。
後ろ足も
厚みがある。
普通、手が大きいと力が強そうでジャイアンみたいに恐れられそうなものであるが、この狛犬の手のデカさ、太さはむしろ愛嬌に見えるのだ。
参考のため一対目と並べてみた
右の一対目がガンダムで例えると主人公機のようなスマートな手首(足首)をしているのに対して、左の二対目はゴッグのような敵キャラ(しかも水陸両用)のような野暮ったさがある。
ゴッグはストーリー上、敵機かもしれないけど、その意匠は愛嬌に溢れている。
(個人的にかわいくって好みなのだ。かわいくないという異論は、今回受け付けません。あしからず)
例えがわかりやすいようにガンプラの写真も
自分の目にはこれくらいの差があるように見え、大正の方の太さやデカさや野暮ったさにはゴッグと似た可愛らしさがあったのだ。
そういえば女子の間で行われる性格診断では「手の大きな男は心優しい」なんてことも言われるようだ。
この狛犬の手の厚みとのほほんスマイルを見ているとその因果関係が迷信ではないような気もしてきた。
まとめ
いかがだっただろうか?
大正生まれの象足のような手をした狛犬が優しそうであると写真から伝われば、自分としては幸いだ。
ただ、平成生まれの一対目の狛犬もよく見ると、いやよく見ないでも顔が笑っている。
威嚇することなく、参拝者は誰でもウェルカムな表情をしているので、手首(足首)が細くても優しくはないという理屈にはならないだろう。
思い出すと、飯田町の足湯に寄った時も地元の人たちが気さくで市外から来た自分にもウェルカムに話しかけてくれていた。
この町の大きな祭りが執り行われる神社の狛犬だけあって、その土地の人たちの人柄のようなものが狛犬にも出ているのかもしれない。
もしくは逆に、あの狛犬たちのいる神社を日頃から参拝しているから、気さくな人柄が形成されているのかもしれない。
どちらにしても、スマイルがステキ