初心の趣

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尾山神社の12種類の絵柄がある御朱印を一年かけて集めてみた

以前、スタイリッシュな狛犬がいるとして当ブログでも紹介した金沢市のビジネス街にある尾山神社

そこの御朱印は月ごとに絵柄が異なるというのをご存知だろうか。

12ヶ月12種類の絵柄があるのだ。

そもそも御朱印とは参拝した証だ。

スタンプラリーじゃないのでちょっと不謹慎かもしれないけど、何かご利益があるんじゃないかと思って、月に1回参拝し一年かけて集めていた。

昨年平成28年(2016年)の8月から始めたので、今年平成29年(2017年)の7月に集め終えることになる。先日、その12回目の参拝を済ませてきたので報告したい。

 

目次

 

 

2017年7月1日(土)に12回目の参拝

主に仕事の昼休みを利用して、昼食も食べずに参拝しにいって集めていた尾山神社御朱印。最後の月となる7月は、所用で片町近辺に寄る予定だったのでついでにということで1日土曜日に足を運んだ。

ただ、その日、石川県は警報が出るくらい記録的な大雨だった。

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雨脚が強すぎて靄がかって見える外の様子

何もこんな日に参拝しなくてもいいのにと言われてしまうかもしれないが、来てしまったのだから仕方がない。

自分としては一日も早く12回目の参拝を済ませたいという逸る気持ちもあった。 

12ヶ月目にして時間の都合があわずいけませんでしたとなると、また一年間待たなくてはならないなので、それだけは避けたかったのだ。

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いつもどおり手水舎で手を清めてから

思い起こせば、手がかじかむ冬の日もこの手水舎で手を清めていたものだ。

ハンドタオルを忘れた時の凍える中での自然乾燥は、神社なのに寺の荒行にも思えた。

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境内に輪っかがあった

こちら、前日6月30日に行われていた「夏越の大祓(なごしのおおはらえ) 茅の輪くぐり(ちのわくぐり」の茅(かや)で出来た輪っかだ。

一回くぐって左側から舞い戻り、またくぐって今度は右側から舞い戻りと8の字にくぐった末にもう一度くぐって再び左から出ていくことで罪穢れを祓ってくれるのだとか。

そのくぐっている際は「水無月の夏越の祓いする人は千歳の命のぶというなり」という和歌を唱える必要もある。

傘を差しながらくぐるのは罰当たりだろうかと傘を下ろしてくぐったら、当然全身濡れた。

「何もこんな日にくぐらなくても」とこの時は自分自身で思った。

それでも最後の12ヶ月目にこのような祓いをできたことは、縁起が良かったと前向きに考えたい。

 

それから拝殿に進み、いつもどおり賽銭を投げて二礼二拍手一礼で参拝した。

そのとき、ふと拝殿の中を覗くと珍しい光景を拝むことが出来た。

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巫女さんが儀式の練習をしていた

もう一人の巫女さんと動きを確認しながら舞のような動きを見せていたので練習で間違いないだろう。

以前から、巫女さんや宮司さんたちの神事のあの儀式っていつどこで練習しているんだろうと疑問に思っていたので、その答えを見れてラッキーであった。

奥でやるのではなく意外と見えるところで練習しているようだ。

 

尾山神社12ヶ月分の御朱印とその絵柄

参拝した後、社務所に行って御朱印を頂いた。

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社務所は拝殿の左隣にある

毎月通っていると、御朱印を書いてくれる人が男の神職さんだったり巫女さんだったり、巫女さんでもお姉さんな方だったり若い娘だったりでいつも同じではなかった。

同じ人ではないから字(筆運び)も違う。毎月通いながら、本日はどんな人が書いてくれるのだろうか、それが一つの楽しみでもあった。

また、毎月違う御朱印の絵柄には、この尾山神社の御社紋が描かれている。

御社紋とはその神社を表す紋章だ。

この尾山神社主祭神加賀藩主の前田利家公であることからもわかるように前田家と縁の深い神社で、その社紋も前田家の家紋と同じ「加賀梅鉢」だ。

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加賀梅鉢ってこういうのです

もともと梅鉢はあの学問の神様としても有名な菅原道真公の家紋だ。

菅原道真公が前田家の先祖らしく、その繋がりから前田家の家紋、そしてこの尾山神社の社紋が加賀梅鉢なのだそうだ。

以下に12ヶ月分の御朱印の画像を並べてみることにするが、その絵柄に描かれた御社紋にも注目していただきたい。

なお、その月々の絵柄がその月とどのような関連性を持っているのかわかりづらいものもある。それらに対して、自分なりに時に戯言のように考察してみたのでそちらも合わせて記してみた。間違っているものもあるかもしれないが、あくまで個人の勝手な推測だと思って怒らずに読んでいただきたい。

 

八月

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葉月(8月)

自分にとっては記念すべき最初の尾山神社御朱印

狛犬の写真を撮りに行った縁から御朱印も貰いにいったのが始まりだ。

貰いに行くまで絵柄が毎月違うということは知らなかった。

社務所の窓ガラスにその絵柄の案内が貼られており、巫女さんに、

「毎月違うんですね」と話しかけて「よかったら毎月どうぞ」と言われたことで一年間通うことになったのだ。

8月だけに花火を模した絵柄となっている。

その花火の中央に加賀梅鉢がいるのがわかるだろうか?

月によってはこのようにさり気なく社紋が描かれているので、ちょっとウォーリーを探しているような感覚があった。

 

九月

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長月(9月)

この字は覚えている。

大学生くらいの若い娘だった。

字に迫力はないもののすんごく丁寧に書いてくれていた。

女子らしい字だなと書いているところを見ていたら、目があってしまった。

本当は書いている所をじっと見ていたりしないほうがいいらしいので、その時から自分は社務所に背を向けて待つようになった。

絵柄は九月ということで菊だ。9月9日が重陽節句で菊の節句とも呼ばれている。

これ、本当に偶然なのだけど、御朱印を貰いに行ったのがその9月9日だった。

天気予報を見て晴れの日の狙って参拝していたら、ちょうど重陽節句だったのだ。

加賀梅鉢は菊の中央にいる。

 

十月

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神無月(10月)

絵柄が蔓のようなものに鈴だ。加賀梅鉢はその鈴の上部にいる。

こちらは社紋を見つけるのは簡単なのだが、なぜ十月に鈴の絵柄なのか謎だ。

これはあくまで自分の勝手な想像なのだが、じゃがいも、別名「馬鈴薯」(ばれいしょ)を鈴で描いているのかもしれない。

じゃがいもは初秋の季語だ。初秋は現在で言うと立秋(陽暦で8月8日ごろ)から白露の前日(9月5日ごろ)なので10月からはズレているものの、現代の感覚では10月こそ秋のイメージがある。実際、じゃがいもの旬は、地域によって異なるものの10月から11月と言われている。

実は神無月の神事に鈴が使用されているんですといった理由だった場合は、ご容赦いただきたい。

 

十一月

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霜月(11月)

こちらは9月のときとは別の巫女さんが書いてくれた。

「尾」の字の崩し方、崩したように書きながらも全体的に上手いと思わせるその筆運びは、左利きで字が下手な自分にはまず書けない字だ。

こういうの、習字教室とかに通うと書けるようになるのだろうか?

11月は霜月の名前らしく氷の結晶こと氷晶をモチーフにした絵柄だ。

加賀梅鉢も中央にいる。絵柄に社紋が隠れていると意識して見ていないと、それが加賀梅鉢であるとはなかなか気づきにくいのではないだろうか。

それくらい違和感なく、氷晶の中に梅鉢が溶け込んでいる。

 

十二月

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師走(12月)

絵柄が扇子だ。加賀梅鉢は扇面に大きく描かれている。一つじゃ足りず二つもあるのですぐわかる。

それにしても、どうして冬の12月に扇子の絵柄なのだろうか?

扇子と言ったら夏のイメージがあるから、その真逆の冬に持ってくるとは、夏炉冬扇そのもので謎だ。

これが季節が逆転している南半球なら合点がいく。

毎年12月31日に行われる年越しの大祓のような神事に扇が使用されるからだろうかと勝手な推測もしてみる。

12月が一年の最後なので、末広がりの意味も持つ扇子を描くことで縁起を担いでいるのかも、とも想像してしまった。

 

一月

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睦月(1月)

「山」の字が全体のバランスで見ると極端に小さいのに、それでも自分が書く字より上手いことは確かだろう。

このように書く人によって個性が出、またその日の体調によっても出来が異なるから面白い。

絵柄はステンドグラスや避雷針でも有名な尾山神社の神門だ。

わかりづらいけどステンドグラスの上の二つの小窓が梅鉢になっている。

雪も降っているし、初詣のときを思い出してしまう。

だいたい元旦未明すぐに同神社に参拝しようとすると、この神門の前で長い列が出来ていて、ステンドグラスを見上げながら待つことになるのだ。

 

二月

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如月(2月)

流れるような筆さばきだ。一度でいいからこういうカッコイイ字を書いてみたいものだ。

絵柄はドーンと加賀梅鉢一つで勝負だ。

2月は梅の花の季節なので、梅鉢のみで訴えている。

この潔さはクールだ。

 

三月

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弥生(3月)

絵柄の「弥生」の文字の一部が見事に「社」の字の尻尾で隠れてしまっている。

こういうこともある。

絵柄そのものは蝶々だ。

蝶は夏にもよく見かけるけど季語で言うと「三春」だそうで春のイメージが有るわけだ。

ちなみに唱歌「ちょうちょう」に「菜の葉に止まれと」あるけど、菜の花は晩春の季語で、晩春は旧暦では3月だそうだ。

その羽に溶け込んだ梅鉢のデザインがオシャレだ。

 

四月

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卯月(4月)

絵柄は花見の季節らしくサクラだ。

9月の菊の時もそうだったように、桜の真ん中に梅の花がいるという炭水化物オン炭水化物みたいなデザインであるが、うまく溶け込んでいるから上手い。

 

五月

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皐月(5月)

自分はあまり植物に詳しくないのでこの絵柄の花が何なのか断言はできないのであるが、おそらく鈴蘭(スズラン)であると思われる。

なんでもフランスでは5月1日は「スズランの日」と呼ばれているらしく、幸運が訪れるというスズランを愛する人愛人/ラマンではない)に送るのだとか。

 

六月

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水無月(6月)

絵柄を見ると真ん中に加賀梅鉢がいるのがわかる。

ただ、この円形の図が何を示しているのかわかりづらい。

車輪にも見えるが水無月との関係が思いつかない。

水無月(6月)で考えると、30日に行われていた夏越の大祓の茅の輪くぐりの輪っかを連想する。そうして、輪っかとしてみると無理があることにすぐ気づく。

では何かと考えた末に思い浮かんだのが「マンホールの蓋」だった。

六月の頭には水道週間というのもあるし、水道の日というものもある。

水道にまつわる丸いものということでマンホールの蓋だ。

一度こう思い浮かぶともうそれにしか見えなくなってしまった。

 

七月

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文月(7月)

最後の御朱印だ。

字が太くて力強い。書いてくれたのは男の神職の方だった。

字にもジェンダーがあるなと思った。

梅鉢がわかりやすく描かれている絵柄の小槌は、なぜ小槌なのかこれまた謎だ。

今までの中で一番その月との関係性がわからない。

最後にきて一番の難問だ。学校の期末テストなんかでも一番難しい問題が一番最後に来ていたものだけど、そんな学生の頃の苦悶を思い出した。

調べてみても、7月には「小槌の日」みたいな記念日はない。季語を調べても「小槌」が7月や夏を示しているといった話はなかった。

ほとんどお手上げ状態で、小槌を持っている七福神の大黒天と関係があるのか、一寸法師と関係があるのかなんてことまで考える始末であった。

結局わからないので、最終的にこんな推測をした。

七月の季語に「雷」(いかずち)がある。実際雷のシーズンはいかずちの「ずち」の響きをかけて小槌で表現したのではないかと。

そして「あれ?北欧神話のトールって雷起こせる槌を持ってたな」なんてことまで空想を連鎖させると、絵柄の小槌がトールの槌「ミョルニル」に思えてならなくなるのであった。

「七月=雷のシーズン=トールの槌」という構図だ。

まあ、ミョルニルは金鎚であって木槌じゃないし、石川県の雷のシーズンは鰤起こしなんていわれるだけあって夏じゃなくて冬だしで、多分に間違っていることだろう。

 

まとめ

以上が尾山神社の12ヶ月分の御朱印だ。

月々の絵柄に対する自分なりの考察もあくまで個人の想像によるものなので正解ではないものもあると思う。

本来、社務所にて神職の方に訊ねてしまえば、その答えを教えてもらえたかもしれないだろうが、聞くのを忘れていたので今回あえて自分で考えることにした。

自分で想像したほうが樂しいし、何より自分で考えたほうが記憶に残りやすいだろう。

参拝はそもそも神への感謝だ。

その証である御朱印のことを記憶していられるということは少なくともその間は謙虚に生きていられることになるだろう。(我ながら前向きな考えだ)

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社務所の窓に貼られている絵柄一覧

一年間通わなくてもこれを見せれば一発で済む、なんてことも考えたこともあったけど、やっぱりそれも参拝の意味も御朱印の意味もわかっていないことになるので、やらなくてよかったと今では思う。

もっとも、月々の絵柄の本当の理由を知りたくもあるので、いつか社務所に訊ねに行きたいものでもある。

教えてもらうことが出来たら、また何かで報告したい。

 

 

一年集めて、それによって何かご利益があるかはいまのところ不明だ。

おそらく今後の自分の謙虚さ次第だろうと思われる。

もしかしたらその「謙虚さの再確認」こそがご利益かもしれない…。

なんだか寺で問答しているような結論になったけど、なんにせよ、一年かけて貰いに行くことが出来、そして無事一年で集め終えることができて自分としては満足している。

御朱印目的で尾山神社に参拝することはもうないと思うが、寄った時は今後も間違いなく参拝するだろう。