七尾市の田鶴浜にはこの季節、灯火で町を照らす「あかりまつり」というものが行われる。
お盆で田舎へ墓参りにいった際、その祭りにも立ち寄ってきたので紹介したい。
田鶴浜へ
中島町ともそんなに離れておらず「のと鉄道」だと中島駅の次の次が田鶴浜駅だ。
地図
決して大きな町ではなく、どこにあるのか場所のイメージもつきにくいという県民も少なくない。
だいたい旧鹿島郡の真ん中辺りだ。海もすぐ傍だ。
どこにあるか正確にわからなくても「みそまんじゅう」の所というと県民はだいたいピンとくる。
同町は昔より「建具の町」とも呼ばれていて、障子など木製建具などがよく作られているところだ。
今回の祭りは駅より南の方で行われていた。
その中心は「東嶺寺」「さつき苑」「住吉神社」であった。
これら3つの施設はほぼ隣接しているようなものなので移動範囲は広くなくて済む。
以下、それら3施設で照らされた灯火のあかりの写真を順に並べたい。
東嶺寺にて照らされる
駅の方から「田鶴浜交差点」を渡りそのまま南下してくると北國銀行がある。
そこの駐車場がこの催事にあわせて無料駐車場として開放されていた。
ただ狭いので、少し離れているものの同じく無料で一部を開放していた消防団の駐車場を利用すると良いかもしれない(自分はそこを利用した)。
北國銀行の角でさらに南下していくとすぐ東嶺寺がある。
駐車場からもその姿が見え、特別に明かりが灯されているのもすぐにわかる。
このようになんか明るい
当まつりは、「灯りが人と地域を照らし、つなぐ!」がテーマとなっている。
その明かりはプロジェクションマッピングのような派手なものではなく、キャンドルセラピーのように静かに灯されるものだ。
ただ、あとで記すが、隣の住吉神社の境内ではステージや模擬店も設置されていて、人々の声は賑やかであった。
東嶺寺前
ステージや模擬店を含め祭りそのものは昼の1時くらいかやっていたそうだが、灯火の見頃は日が暮れてからだ。
このお盆の季節だと19時を過ぎるとあたりも暗くなってくる。
それに合わせて見物客が結構きていた。
門より
子供連れ、カップル、お年寄り、さまざまだ。
基本は地元の方々、または帰省してきた方々だと思われるが、自分のような観光客も少なくなかったと思われる。
境内の様子
ピラミッド型の台の上や参道の端っこなどに灯りが置かれていた。
なにかのカップだろうか?
ワンカップ酒の空き瓶のようなものに蝋燭が入れてあって燃えていた。
売られているものではなく、手作りな感じがいい。
ハートだって描ける
電線とかもいらないからこういう図形を作ることも簡単だ。
そのシンプルさが、却ってあったかい。
文字だって描ける
横を向いているけど「絆」だ。
昨今、全国的に自然災害も多く、2007年には能登半島でも地震が起きているので、この言葉の意味は自分でもよくわかる。
ちなみにこの祭りって能登半島全体の「灯りでつなぐ能登半島」というイベントの一つとして数えられている。
その絆は田鶴浜だけのものではなく、もっと大きかったりする。
これまた横ですが「平和」の文字も
どうしてこのように横から撮ってしまっているかといえば、通路以外入っちゃいけないかな、との手前勝手なリミッターみたいなものが自分の中で働いてしまっていたからだ。
より近くで撮ろうとすると、通路の位置からしてこんな角度からしか撮れなかった。
もっと遠くを撮れるレンズがあればとつくづく思う。
そんなもので読みづらいなと思った文字も
「こうのう」と書かれてあるのだろうか?
なんの意味かも自分にはわからなかった。
なお、寺の本堂の方にも入っていける
境内だけではなく建物の中も拝観できた。
この東嶺寺、正確には「龍松山 東嶺寺」(りゅうしょうざん とうれいじ」というお寺だ。
田鶴浜町の祖でもある「長連龍」(ちょうつらたつ)ら長氏の菩提寺であり、開基も連龍公だ。
今年は能登立国1300年であると同時に長連龍公の没後400年でもあるという。
いいときにこのお祭りにやって来れたと思う。
本堂では曳山人形が展示されていた
この町では毎年4月の第四金曜、土曜日に曳山祭り(住吉神社の大祭)が行われていて、その山車に飾られている人形だ。
各町内会、計8セットの人形が展示されている。
その一つ西町の神功皇后の人形
細かいところまでよくできている。
少々薄暗いところに展示されていたこともあって、キッズたちの目にはちょっと怖いと映ったかもしれない。そう思えるくらい結構リアルだった。
上がってお参りもできる
このあと自分もあがって参ってきた。
作法がわからなかったので、とりあえず合掌だ。
お参りすると、不思議と気分もスッキリする。
バシャバシャと写真を撮っているのにお参りしないでいると、後ろめたいものを感じてしまうのだ。
スッキリした後の景色
なおいっそう、灯りがキレイに見えたのは気のせいだろうか?
さつき苑にて照らされる
東嶺寺を出ると、入るときには気づかなかったが、山門脇の用水に行灯があった。
用水の行灯
灯籠かと思ったら行灯らしい。
底で固定されているのか流れているわけではない。
おそらく祭りの協賛企業などの名前が書かれてあるのだと思う。
この行灯のある用水から顔をあげると、山門より斜め向かいに健康福祉プラザ「さつき苑」がある。
その施設の前にも行灯が並んでいた。
水の上ではなく陸地に置かれた行灯
こちらはおそらく地元の小学生が作った(描いた)ものだと思われる。
夏の思い出を俳句や川柳のように五七五で記し、その裏にその五七五の情景を絵にしてあった。
これに似たようなことを自分も子供の頃にしたことがあるような、ないような。
なんか懐かしくなった。
さつき苑の庭の様子
こちらも行灯や提灯による灯火がいくつもあった。
どれもやわらかい灯りなので落ち着く。
ベンチやテーブルも設置してあり、まったりのんびりできる場になっていた。
こちらは谷本正憲石川県知事による「能登の絆」
ひときわ力強さが目立つ谷本さんの書だ。
この前だけはのんびりできる雰囲気が…なかった(申し訳ないです)。
ところでこの行灯、大きさのせいもあるのかまるで障子戸のようだ。
この町の建具づくりの技術が活かされているのがわかる。
スクリーンも建具だった
庭に設置されていたスクリーンも障子戸のような建具だった。
プロジェクターから投影されていたのは準備の様子などのメイキング映像だ。
さらに館内では行灯の作品展示も
建具の町らしく木製の行灯のコンテストもあったようでその作品が展示されていた。
こういうのや
こういうのも行灯
ついでに組子細工の作品も展示されていた
こちらは行灯ではない。全国建具展の作品だそうだ。
おまけにこういう人もいた
長連龍公に扮した方がいた。おじいさんだった。
実を言えば寺の方でも見かけた。
後ほど住吉神社の方でも見かけたので、町中の会場を巡回しているようだった。
手に持ったプレートも建具…なわけはさすがにないか…
何にせよ、この祭りが町を象徴する建具の発信も兼ねているのがよくわかる。
現代では行灯もなかなか見かけないので、これだけの行灯を準備し、活かせるのも田鶴浜ならではなのだろう。
さつき苑内にもあったピラミッド型キャンドル
寺にあったようなものがここにも設置されていた。
行灯の作品群を見た後だとこの木材の使い方も意外と建具の技術なんじゃないかとそう思えてきてしまった。
住吉神社で照らされる
主な3つの会場のうち最後に紹介するのは住吉神社だ。
主な3つと記したけど、この住吉神社は東嶺寺の隣りにある、さつき苑からしても斜め向かいにあるのでほぼ同じ場所だ。くだけた言い方をするとご近所だ。
その境内の様子
ご覧のようにステージあり、模擬店あり、飲食用のテーブルやベンチもいくつもありということでたいへん賑やかだった。
ステージのマイクの声が東嶺寺やさつき苑にいても聞こえるくらいだ。
社殿からも提灯
祭りならではの光景だろう。
しかも色が青色系、ピンク系とあって、ポップな印象があった。
その社殿の前には2対の狛犬の姿も。
一つは大正時代のものだったのでかなり古い。
さすがにその狛犬が灯火でデコレーションされるようなことはない。個人的には罰当たりでもそんな狛犬を見てみたいと考えてしまったが。
ここでもピラミッド型
結局、三箇所全てで見かけた。
このあかり祭りのシンボルみたいなものなのだろうか?
寺やさつき苑では静かに揺らめく灯火という印象であったが、背後にステージがあるからか、ここではえらい情熱的に燃えているように見えた。
そのステージでは三味線や長唄が披露されていた
自分がこの住吉神社に寄ったのが20時過ぎで、そこからから終わりの21時頃までの様子だ。
津軽三味線の「原田実(はらだみのる)大先生」と呼ばれていた方が弾いていた。
それ以外の時間帯では若い人のステージもあったようだが、どんなジャンルのステージだったかはちょっとわからない。
締めにこのような着物姿で三味線を弾いてくれるステージというのは「THE 日本の祭り」で良い。
お客さん(たぶん地元の方々)も多く残っていてビールや模擬店で買った焼き鳥などを飲み食いしながら聴いているというのも日本の夏ならではだろう。
ここでもまた懐かしい気持ちになった。
感想
以上、お盆の季節に立ち寄った田鶴浜のあかりまつりの様子だ。
照らされる度に癒やされる、そんな心地を味わえた祭りであった。
もちろん「癒やされる」には住吉神社の賑やかさも含まれる。
子供の頃、むかしは花火大会などに合わせて地域では公園などで櫓を組んで盆踊りが行われていたものであるが、大人になって久しく参加していないことに気づいた。
いや、現在行われているのかどうかもわかっていない状態だ。
それくらい地域の夏祭りに縁遠くなっていたもので、今回この田鶴浜のあかり祭りにやって来て、久しく忘れていた地域の夏祭りの雰囲気を味わえた気がする。
特に味わえたのがその住吉神社の境内での模擬店だったり、ステージだったり、町の人達の賑わいであった。それらによって胸に湧いたノスタルジックな爽やかさが心底を癒やしてくれたのだ。
なんだろうか、別に田鶴浜が自分の田舎であるわけでもないのに、帰ってきたような感覚があったのだ。
実際、自分の田舎である中島町とも近いんですが、そう感じれただけで立ち寄ってよかったなと思った。
そう感じれるのも、もしかしたら同じ能登、同じ石川県ということで根っこの部分でつながっているからなのかもしれない。
もっと大きく言えば同じ日本人ということで、かもしれない。
こういうのも「絆」というものなのだろうか?
改めて頑張って最大限可能な限り縦から撮った「絆」の文字
そんなことを考えさせられた「あかりまつり」だった。