初心の趣

カメラ初心者の石川県人が同県を中心に地方の変わった魅力を紹介しています

雨のお旅まつりの日に小松市立博物館に立ち寄って本物の勧進帳を見た話

小松市役所近くにある小松市立博物館へ、お旅まつりが行われていた日に足を運んだら本物の勧進帳が展示されていた。

企画展示物の写真撮影はできなかったが、館内を数箇所撮ることができたので、同博物館の雰囲気だけでも伝えたい。

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日曜日にお旅まつりに足を運んだら雨だった

小松市では毎年5月半ばごろになると、江戸時代(250年前)より続く「お旅まつり」が催される。

元々は菟橋神社と本折日吉神社の春季祭礼で、曳山子供歌舞伎で有名だ。

夜の舞台もキレイなので昨年は8つの町の曳山が揃う日に昼から夜まで見物していた。

昨年のお旅まつりの記事はこちら

今年は獅子舞や神輿も見たいなと思い、開催期間三日間のうち最終日である5月13日の日曜日に足を運べるよう予定を組んでいたのだが…

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雨でした

金曜日や土曜日はしっかり晴れていたのに、よりにもよって足を運ぼうとした日曜日だけ、雨だった。

それも「嵐かよ」と思う時があるくらい強い降りだった。

自分は晴れ男だと思っていたけど、その神通力は枯れたようだ。

それでも途中で晴れるかもなんて期待して、一応、小松まで足を運んではいる。もっとも天気は変わらず、カメラを抱えて雨の中を神輿や曳山を追いかけるという気にはなれなかったので、臨時の駐車場付近でウロウロとしたいた。

自分がこのたび駐車したのは小松市役所前の駐車場だ。

小松市小馬出町というところにあり、その市役所の近くに市立博物館もあった。

地図

市役所から300メートルほど先にある。

付近にある芦城公園は加賀藩三代目藩主の前田利常が住んでいた小松城の三の丸があったところだ。

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雨だし、入ってみるか

といった具合に扉の向こうへ足を踏み入れたのだった。

 

小松市立博物館の一階

小松市立博物館は三階まである。展示室は二階と三階にある。

一階には受付とエントランスホールのようなものがあった。

入るには有料で個人で300円だ。高校生以下は無料だ。

受付のある玄関にはこんなものもあった。

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古い電話ボックスだ

明治末期の1911年くらいのものらしい。

「赤塗り六角形公衆電話ボックス」というものだそうで、小松駅前にあったものだと伝えられている。

個人の持ち物で寄託品なんだとか。

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中にはこんな古い電話が

「自動電話」とある。自動の前はなんだったんだと気になるところだ。糸電話だろうか?

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小銭は「銭」で

今では株価のときに耳にはしても実物をまず見ることのない「銭」(せん)だ。

十銭が「銀貨」で五銭が「白銅」と書かれてあった。

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ちなみに同じ玄関にもう一つ電話ボックスがある

「デルビル磁石式壁掛電話機」と呼ばれる、これまた明治期からある電話だ。

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ひょうきんな顔のような形をしている

受話器と送話器が別々になっているレトロな一品だ。

となりのトトロ』でも似たような電話を使ったシーンがあるけど、こちらはさらに古い。

というか、ダイヤルがない。当然プッシュホンもない。どうやってかけるんだろうか?謎だ。

掛け方はわからないが、この電話と先程の「赤塗り六角形公衆電話ボックス」がつながっているそうで、この2つで会話ができるようになっていると受付の方が言っていた。

ただ、あいにく自分が足を運んだその日は故障中で使えなかった。

直したり故障したりを繰り返しているそうだ。

そんな玄関から次の扉を抜けると、すぐ脇に水槽があった。

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オパールの石が沈んでいる水槽

この小松でもオパールって採れるそうだ。

オパールって鉱物中に水が含まれている珍しい構造をしているそうで、乾燥に弱く、このように水中にいれて保存すること望ましいのだとか。

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亀もいる

なんかかわいい。

この館のアイドルだろうか?

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と思ったら水槽の斜め前にカブッキーがいた

小松のアイドル・カブッキーだ。

小松で彼に勝てる奴(マスコット)はいないだろう。石川県内でもいないかもしれない。

ご覧のようにエレベーター前にいた。

展示室は2階と3階にあるのでこのエレベーターをご利用くださいとある。

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自分は階段を使いましたけどね

普段より「エスカレーターよりも階段」派だからか、エレベーターがあっても隣に階段があると、2階くらいならそちらを使ってしまう。

階段は写真の見た目では低くてラクそうに見えるけれど、実際には2ロールくらい螺旋して上がるので、お年寄りは素直にエレベーターを使ったほうが良いかと思われる。

 

2階の展示室へ

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2階に到着

上った先にこの入り口がある。

「小松とまわりの自然」と題されているこの2階の展示室では、石の町であった小松らしく「石」の展示が行われている。

この博物館、3階の展示室は撮影が禁止されているが、この2階は撮影OKだった。

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まるごとストーンミュージアム

以前、粟津温泉街で石の彫刻展が行われていたと紹介したときにも記したように小松には2000年の長い石文化があるのだ。

石の彫刻展の記事はこちら

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これも石

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これも石(石英

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それも石(石英)だ

石英は「水晶」と呼ばれるものと、「玉髄(ぎょくずい)」(石英の結晶が網目状に集まり緻密に固まったもの)と呼ばれるものがある。

自分からすると全く知らない知識だ。石、興味深い。

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アンモナイトの中の方解石まで展示されている

とにかく色んな石が展示されていた。

基本的には小松にゆかりのあるものだ。

市内の尾小屋町には尾小屋鉱山というかつて銅の生産量が日本一だったところもあり、それについてもパネルで説明してあった。

ほかにも南加賀の九谷焼の原料である陶石が産出されていたことも説明されていた。

また、一階の水槽に沈めてあったオパールについても説明がされていた。

オパールって、二酸化ケイ素が結晶化せずに水とゆるく繋がった状態のものらしい。厳密には鉱物ではないとのこと。乾燥に弱いので、ワックスを塗ったり、ああやって水に浸けて保存するそうだ。

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触れる石もある

ということで触った。

「味も見ておこう」と考えてしまう性質なのだけど、さすがに怒られるのでそんなことは実行しない。

まあ、それくらい、もっともっと知りたくなる世界だということだ。

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なんか宇宙みたいな空間だった

自分にはいろいろと未知すぎて、宇宙にいるような感覚すら覚えた。

 

3階は撮影禁止であったので文章で

三階は企画展示室となっており、自分が足を運んだ時は「新着資料展」というのが行われていた。

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こういうのです(撮影不可だったので一階にあったポスターで)

2018年の3月27日~5月20日まで行われていた。

鳥の剥製などの自然資料、九谷焼の歴史がみえる歴史資料、新規購入や寄贈美術品などの美術資料、戦前の生活を知れる民俗資料などで構成されていた。

受付の方が30分後に解説も聞けますと教えてくれたので、まず2階を見た後、30分後にこの3階にやって来たら、お客は自分だけだった。

自分一人に学芸員の方3人が解説してくれたので、すんごくセレブな気持ちになれた。

質問もし放題だった。

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こういったものを解説してもらえた(ポスター裏面より)

美術資料では円地信二氏の「旅情」という絵画が氏のお嬢さんの絵だということも教えてもらえた。

吉田明久氏の「鷹」という日本画が、もともと「鷲」というタイトルだったのだけど、どう見ても画中の鳥が「鷹」であったので、そのタイトルで後から呼ぶようになったという話も面白かった。そういう失敗ってあるんだね。

ほかにも民俗資料では戦前の「教育勅語」なども展示されていて、資料として面白かった。

さらにはポスター裏に描かれてある戦時中の「防毒面」(防毒マスク)も展示されていながら、最近の世界のガス事件のせいで市長に自重しろと言われたそうで箱にしまわれたまま展示(実物が見えない)されていたのには、こういうのもコンプライアンスみたいなもんだろうかと思えてきて、その過剰反応ぶりにそれはそれで面白かった。

そんな新着資料展のある3階に、本物の勧進帳というものも展示されていたのだった。

撮影できないところなのでどんなものかを写真で伝えることは難しい。

ただ、解説してくれた学芸員の方よりもらったプリントにはそのコピーがプリントされていた。

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こちらがそれ(この画像、怒られたらすぐ削除します)

白黒ですが、こういった横長で絵も描かれたものであった。

元禄五年(1692年)の「南都大仏殿勧進帳」だ。九谷焼作家の北村隆さんが寄贈したものだ。

その内容は、江戸時代における東大寺の大仏殿の再建の寄付を募っている。

東大寺の大仏が聖武天皇の初願によって作られ、その後、外護(寺を支援する人)の源頼朝が法要参列したことや、いついつの事件で焼けたことなども記されていた。

もともとはもっと長いもので、途中、寄付をした人たちの名前が書かれたところは省かれているそうだ。

面白いのは歌舞伎の『勧進帳』で弁慶が読み上げるもの(本当は何も書かれていない)は巻物のような作りであったが、この展示されていた江戸時代のものは蛇腹の作りであった。

鎌倉時代と江戸時代では勧進帳の作りが違うのかも知れない。

なお、勧進帳は寄付を募るためのものであるため、木版印刷によって大量に当時刷られている。

寄付金は一口一文くらいだろうか?

学芸員の方が言うには徳川綱吉とその母の桂昌院が一番寄付したらしい。それでも目標額には届かなかったのだとか。足りなかった分、元々の構想より縮小して再建されているそうだ。

こういった勧進帳って再建したあとに仏像の中に寺の和尚がこっそりとしまっていたりするそうで、美術商から渡ってきたりするものは、和尚がこっそり売ってお酒代にでも変えていたんじゃないかと学芸員の方は言っていた。

その話が本当なら坊主といえども人間臭いということだ。愉快な話だ。

 

感想

貴重なものを見れた。

子供歌舞伎が見れるお旅まつりの日に、歌舞伎で有名な勧進帳の、そのホンモノを見れたことがまたいい。

お旅まつりに合わせて企画展示した博物館側のセンスに感銘だ。

来年以降も、このまつりに合わせて本物を展示してくれないだろうかと思う。

解説してくれた学芸員の方々も細かいところも教えてくれるしみなさん丁寧でいい人たちばかりであった。

学芸員の解説っていいものだと改めて気付かされたので、美術館や博物館では今後も解説を聞いていきたいものだと、そう思えた。

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雨降って良かったかも

雨に降られてお旅まつりはまともに見れなかったけど、代わりに知識の面でそのまつりを楽しめたのだ、有意義な時間だった。