初心の趣

カメラ初心者の石川県人が同県を中心に地方の変わった魅力を紹介しています

小松市の「お旅まつり」は夜がキレイ

小松市には江戸時代から続く「お旅まつり」というものがある。

その始まりは加賀藩三代藩主である前田利常公が小松城に隠居していた頃だそうで、利常公が亡くなられてさらに100年後くらいの1766年には曳山芝居も始まり、曳山子供歌舞伎がお旅まつりに奉納されることになった。

1766年代といったら昨年でちょうど250年前だ。

お旅まつりの名物「曳山子供歌舞伎」は250年も続いているのである。

その歴史ある、エンターテイメント性にも優れた「お旅まつり」を今回見に行ってきた。

それも8つの町の曳山がずらりと並ぶ「曳山八基曳揃え」がある日を狙って行ってきた。

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曳山が並んでお客さんもいっぱいだった

写真には六基しか写っていないが、端にもう二基いてちゃんと八基いる。ずらりと並ぶと相当下がった所から撮らないと全部入らなかった。

そして下がると、人が壁になって撮りづらかった。

 

イベントは5月13日土曜日の15時から始まった。午前中は小雨であいにくの天気であったが、昼には厚い雲を空に残しつつも雨はやんでいた。

まず曳山子供歌舞伎250年を記念して昨年に作られたという「曳山八基祝い唄」が歌い上げられ、小松市長の和田愼司さんや石川県知事の谷本正憲さん、現前田家当主の前田利祐(まえだとしやす)さんなどの挨拶、祝辞が述べられた。

前田家の18代目に当たる現当主は現在東京に住まわれている。お旅まつりにこうして参加するのも久しぶりのことらしい。

当主のお話によると、明治維新後の廃藩置県明治4年)より、藩の大名だった人たちは政府によって強制的に東京に住まわされたそうだ。謀反を起こさないよう監視するためだったという。

また、お旅まつりの種を撒いたのは3代目の前田利常であるが、ここまで続けて支えてきたのは小松市民の皆さんであると仰っていた。

 

曳山子供歌舞伎は想像以上に樂しい

それら挨拶や祝辞も終わると、いよいよ曳山子供歌舞伎が始まる。

毎年、8つの町のうち二つの町が当番となって2つの芝居が披露される。

8つの町というのは「材木町」「西町」「京町」「龍助町」「中町」「寺町」「大文字町」「八日町」だ。

今年の当番町は「中町」と「龍助町」であった。

中町の演目は「神霊矢口の渡 頓兵衛住家の段」を、龍助町は「玩辞楼十二曲の内 義士外伝『土屋主税』(つちやちから)」であった。

このお旅まつりの曳山子供歌舞伎は全国でも珍しく女子の役者が多い。

今年で言うと中町は5人中2人が女子、龍助町はすべて女子が演じていた。

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こちらは中町の「神霊矢口の渡 頓兵衛住家の段」の役者陣

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そしてその芝居中の様子

ご覧の通り、曳山が舞台となるのだ。

 

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こちらは龍助町は「玩辞楼十二曲の内 義士外伝『土屋主税』」の様子

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こちらの子がコミカルであった

イオンモールで~」云々と言った台詞で笑いを誘っていた。

まだ小学二年生らしい。いや、堂々としていたものだった。

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少し場所を変えて

忠臣蔵だ。

こんな男勝りな芝居をしてますが女子です。

ヤンヤの喝采も起きるし、子供歌舞伎、想像以上に楽しかった。

 

夜に改めて曳山を撮る

それにしても、自分のカメラのレンズの性能が低いものだから、こんな遠くからの写真しか撮れない。

自分の隣りにいた方は望遠鏡のような長い望遠レンズを使っていて、遠くからでも役者だけをフレーム内に収めていた。三脚も使っていたし、写真の出来が違っていた。

子供歌舞伎の役者たち、申し訳ない…。

自分のカメラとレンズでは近寄らないとどうしようもないのだ。

それもシチュエーションが良くないと、それっぽい写真が撮れないのである。

ということで、自分は彼女ら彼らの芝居を見終わると、八基並ぶ曳山の写真を撮ることにシフトしていた。

しかも日が暮れる夜まで待って、曳山の灯りを狙った。

というのも、曳山八基曳揃えでの曳山子供歌舞伎は2部制で二つの町それぞれで2回ずつ演じられる。第2部の後半には日が暮れているのだ。

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日が暮れ始めた頃の芝居の様子

日が暮れるほど灯りが活きて舞台も華やかになっていく。

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曳山をどうやって撮るか模索中

接近して撮るしかない自分にはこういう構図で攻めるしかない。

こちらはまだ18時過ぎに撮ったものなので空も暗くなりきっていない。

 

腹ごしらえのためにいったん露店が並ぶ通りへ出た。数百メートルずらっと露店が並んでいて、歩いて行くとそのうち莵橋神社(うはしじんじゃ)に出た。

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菟橋神社の様子

そもそもお旅まつりは、この菟橋神社と本折日吉神社の神輿が城まで出向いたことが始まりだ。

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ということで参拝してきた

夜の参拝も良い。

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境内では太鼓の演奏も行われていた

大人のバチさばきは余計な力みを感じさせないスムーズなものだった。

それでいてしっかりと音が出ているのだから驚かされる。

太鼓奏者はカッコイイ。

 

さて、写真でもわかるように参拝している間に日が暮れた。

ふたたび曳山子供歌舞伎をやっている八基の曳山の方へと戻ってみると、龍助町の芝居の第二部が行われていた。

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夜の曳山子供歌舞伎だ

このように日が暮れてしまうと曳山が絢爛豪華になる。

こんな舞台で演じられる子どもたちがうらやましい。

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自分としても曳山の撮影を再開

改めていう、自分のカメラではこういう写真でしか攻めれないのだ。

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それにしても…

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きらびやかだ

お旅まつりは夜がすごかった。

そして自分はそのシチュエーションの良さに助けられたのだった。