いまでは巨大な鼓門で知られる金沢駅。その地下広場にストリートピアノがある。
ストリートピアノって何?ってなるけど、要するに自由に弾けるピアノが置かれているのだ。
ピアノなんてまったく弾けないけどカメラを手に触れに行ってきた。
金沢駅の地下へ
久しぶりに金沢駅に行った。
普段、車ばかり利用していると足が遠のいていく施設の一つが金沢駅だ。無料の駐車場が周りにないのがその理由だ。
金沢駅東口だ
あんまり正面から入ったことがないので、こんなんだったっけ?となった。
来たのが日曜日だったので人も多かった。
この写真は駅前にある「もてなしドーム」の下より撮っている。
ピアノが置いてあるのは駅の地下広場だと冒頭に書いたが、正確にはこの「もてなしドーム」の地下だ。
このように地下がある
奥に見えるのが鼓門だ。なんか、この門やドームのおかげで世界でも美しい駅の一つとして認知されているらしい。
そんなドームの下に、このように地下空間があるのだ。
駅に来てもあんまり東口の正面から入らない自分としては「そういえばあったな…」とその存在そのものを忘れてしまっていた。
この階段を降りるときも初めて下りるような新鮮味を持って降りてしまっていた。
階段の途中より
こうして駅舎を見上げると、一昔前にはなかった景色だなと思う。
階段の下には水も張ってある
むかしはバスのロータリーしかなかったイメージなのに、いまでは円状の人工池が地下にある。
金沢駅、出世したなぁ。
さて、この池の上をはしる階段を降りたところで右に折れると目的のピアノが見えてくる。
右に曲がると見えてくる通路
県立音楽堂へと通じる地下通路が伸びているのだが、そこを通るわけではない。
この通路の手前でさらに右方向に目を向けると…
あるのだ、ピアノが
地下フロアにポンと置かれているのだ。
自分がたどり着いたとき、写真のように女性の方が弾いていた。
自由に、誰でも弾いていいのだ。
ストリートピアノにふれる
音を奏でるものなので、本当なら動画で撮るのが良いのだろうけど、あいにく自分、公開もできる記録装置は静止画用しか持っていないのでご容赦いただきたい。
とりあえずピアノはこんな感じ
形だけを見ると小学校の時に音楽室でよく見かけたグランドピアノだ。
それもそのはずで、もともとこのピアノは長い間、小学校で使われていたものなのだ。
小学校での役目を終えてこうしてストリートで、誰でも弾いて良い物として生まれ変わったのだ。
その名も「思い出ピアノ」
このように説明書きもあった。
それによるとこのピアノは金沢市立東浅川小学校にて平成2年から平成29年7月まで使用されたものだそうだ。
平成2年(1990年)と言ったら、スーパーファミコンが日本で登場した年だ。
むかし「平成教育委員会」というテレビ番組でスーファミが毎週のようにプレゼントされていたので、毎週のように同番組を見ていた記憶がある。ピアノとは関係ないけど懐かしい思い出だ。
このピアノそのものは27年間もの間、小学校の音楽の授業で児童たちをリードしていたわけで、東浅川小の卒業生には少なからず思い出があるものだろう。
自分は別にそこの卒業生ではないけれど、小学校で同じようなピアノがあったものだからからか、このピアノを前にするとやっぱり懐かしくなってくる。
そうしてあの頃の音楽の授業の、少し化粧が厚めだった先生の声や、クラスのみんなで合唱していた景色が脳裏に甦ってくる。
開けてみた
朝の5時半から夜の11時までという時間内であれば誰でも弾いてOKなので、こうして誰でもフタも開けることが出来る。
鍵盤の上に敷かれたこの細長い赤いフェルト布、なつかしい。
いまだにこの布が何という名前で、何のためにあるのか、自分はよくわかっていない。
片付ける時、うまく敷けない、キレイに敷いたままフタを閉じれない等、邪魔くさくて面倒くさかった思い出だけはある。
(今回も片付けようとした時にうまく鍵盤の上に敷けなかった。)
なんか書いてあった
「音のエチケット」とある。
読みづらいが、要するに静かな夜間は小さな音でも通るものなので、近所への配慮を忘れずに弾きましょうと書かれてある。
その方法として弱音ペダルを使用するのも一つなのだとか。
ペダルってこれだろうか?
ピアノを習ったこともない自分には、このペダルが何の役割を果たしているのかまったくわかっていなかった。
いつも連想するものは車のアクセルとブレーキのペダルだった。
ヤマハってバイクも作るし、トヨタに車のエンジンも供給していたところだから、やっぱりそのペダルも車のそれとつなげてしまう。
鍵盤だ
そんな赤いフェルト布を取っ払って現れた鍵盤は派手に傷んでいるところもなく、比較的キレイだった。
27年間の働いて定年を迎えてもまだまだ現役、と言ったところだろうか。
触れてみた
自分の中では奏でたつもりであるが、どう見てもただ触れているだけだ。
こういうときピアノが弾けたらなと西田敏行氏の歌みたいなことを胸に抱いてしまう。
本当に弾けたなら小学校時代の思い出を歌にして伝えていただろう(テキトー)。
歌えないので
写真で伝える
ピアノの側面に書かれてあるいろんな言語の文字であるが、後から調べてみるとそれぞれ「思い出」という意味の単語であった。
「Recuerdos」はスペイン語で、「Erinnerungen」はドイツ語で、「souvenir」はフランス語で、「HERINNERING」はオランダ語でと言った具合にどれも訳すと「思い出」だ。
側面にたくさんの「思い出」を記しているわけである。
思い出がいっぱいだ。
久しぶりに『みゆき』(原作:あだち充)を観たくなった。
このピアノ、金沢市が設置したのだけど、懐かしさの連鎖をもたらしてくれて自分としてはそれだけでありがたく思えた。弾けないけど。
実はストリートピアノは片町にもある
ストリートピアノは、実は金沢駅地下にある一台だけではない。
現役引退をする市内小学校のピアノって毎年2台くらいあるらしく、同じく29年7月まで市内小学校で使用され引退したものが片町にも置かれている。
片町へ
片町にある「片町きらら」だ。
「ラブロ片町」という商業施設が2014年に閉店し、そのあと2015年に出来たのがこの「片町きらら」だ。
件のピアノはこの「きらら」の入口前にある。
このとおり
通り沿いにあるからよりストリート感がある。
そしてやっぱり名前は「思い出ピアノ」
駅地下のものと装飾のデザインが多少異なるが、その名前は変わらない。
そしてもちろん自由に弾いて良い。
こちらでは午前10時~午後8時まで演奏可能だ。
街なかの、通り沿いにあるだけに利用時間の幅は短めだ。
「603」の数字
これは小学校で使われていた頃に書かれたものだろう。
このピアノは昭和56年から平成29年7月まで金沢市立菊川町小学校で使われていたものだ。卒業生の中には、この数字を見てピンと思い出すものがある人もいるのだろう。
それにしても昭和56年(1981年)といったら35年以上前だ。
ところどころ傷んでいるのも、仕方がない。
でもまだまだ弾ける
買い物帰りの若い子たちが弾いていた。
上手いものだった。
このきらら前のものは、側のポールに何曲分かの楽譜も吊るされていたので、それを見て弾くということも出来る。
街なかなので弾けばかなり目立つ。
感想
金沢市が小学校の廃棄されたピアノをストリート用に再利用するというこの試み、我々人間の今後訪れると言われる100歳社会、生涯現役の風潮を見ているようで面白い。
引退してもまだまだ活躍の場が、活用の手段があるのだと再認識させられる。
しかもそれがお硬い教育現場からストリートなんて響きがファンキーな現場で活用されているというのだから、定年後も老け込んでいられないと示唆されているようで、これまた面白い。
なんにせよ街なかにふとクラシカルな音楽があると、喧騒の中に軽い安らぎを見つけられるものである。おまけに小学校時代を思い出させるのだから、原点や初心に帰れるような心地まである。
今後もこういった市による再利用が街なかに増えることを期待したい。
最後に思い出ピアノに描かれたマーク
これは何をイメージしたものだろうか?
わからないけど「繋がり」のようなものを感じる。
過去から未来、世代や性別、人と社会、そのあたりの「繋がり」を考えさせられるマークであり、ピアノであった。