金沢城で知られる加賀藩の藩士たち、特に上流、中流の藩士たちの侍屋敷が軒を連ねているのだが、そこから少しばかり離れたところに「足軽」が住んでいた建物も残っていて、現在は資料館として保存されている。庶民と足軽では正確には身分が違うのだろうが、自分もまた庶民であることから親近感や興味が湧いて、また金沢市民でありながら自分はまだ一度もそこに行ったことがないことを思い出して、先日、初めてそこへ足を運んだ。
しかも、昼休みにカメラを抱えて足を運んだ。おかげで休憩時間1時間のうちに撮って戻ってこなくてはいけないという、かなり駆け足の撮影となった。
足軽とは日本の侍時代に実在した歩兵の一種で、武士集団では最下層にあたる。将棋で言うと「歩」みたいなものだ。
看板にも書かれてあった
こういうむかしの木製の看板を「高札」(こうさつ)と言うらしい。
表記のとおり足軽は、確かに武士の最下層に位置づけられている。それでも武士であるから「姓」がある。
今回、足を運んだこの足軽資料館は、
「清水家」だった
建物はこのように大きくはない
見るからに家屋も古く、小ささと古さのためかワビサビのような情緒があるようにも見えた。
でも「OPEN」のフォントは現代的だった
玄関もこのとおり決して大きくない
武士の家の玄関を上がって奥の間へと入るのは同じ階級の人だけだったようで、商人たちなどは台所の勝手口から出入りしていたそうだ。
そんな武士の家に対して失礼な表現かも知れないが、この狭さに「庶民の香り」がした。
そして入って左手には…
「弁当忘れても傘忘れるな」の文字
金沢市民なら一度は言われたことがあるであろう、市民ならではの心得だ。
金沢はそれくらい急に雨が降ってくることがしばしばある。
ますます庶民だ。 そう思えた。
むかしの場合は「笠」に「蓑」のようだ
もちろん「和傘」も、江戸時代には存在していたはず。
こちらはおそらく傘立て
味わいがあって、こういうの一つ欲しいと思った。
ほかにも見学客用の「厠」もあった
中は現代風のトイレで、あくまでも見学客用だ。
そして、屋内は禁煙だ
この建物、誰でも気軽に出入りできる(ただし、管理人のような方は玄関入ってすぐの事務所代わりの部屋にいる)のだが、これは守らなければならない。
ちなみに自分はタバコは吸わない。
いざ、上がってみる
上がるとすぐ座敷だ
訪問者がある時にここで接客するわけだ。
足軽の家なので、同じ足軽しか来ないのか、気の張らない作りだった。
ピントが怪しいのは心霊現象ではない。自分の腕の悪さだ。
と、思いたい。
道真が前田氏の先祖らしく、加賀藩ではこのように大切に祀ってきたのだそうだ。
前田家の梅の家紋も、道真が梅を愛していたことに由来するらしい。
近くには箪笥、いや仏壇だろうか、があった
どちらにせよ、何かを封じ込めているような画になってしまった。
雨戸の先には庭が見える
写真としてはF値を下げすぎてしまった。
足軽たちの庭は観賞用というより、自家栽培用の畑のようなものだったそうだ。
雨戸の側には石造りの手洗い場もある
さらに、手を洗う繋がりで、すぐ近くに「厠」(当時の人たちが使っていたもの)もあった。
ただ…
封印されていた
むっちゃ今の人の手書きで、しかも英語でも表記。
こういった手作り感に親近感を覚える庶民の自分。
座敷の隣には「納戸」と呼ばれる部屋があった。
こちらが納戸(なんど)
納戸は日用品を置く部屋だ。また、家族の寝床にも使われていた。
狭いので、夫婦で子供もいたら寝るとき川の字だろう。
ちなみに奥の箪笥は「刀箪笥」だった
得物がしまわれている訳だ。開けちゃいけない雰囲気だったので開けなかった。
家族が増えたりして、この納戸で収納や就寝に無理が出てくると、さらに部屋を設けたりしたそうだ。そういった部屋を「鍵の間」と呼んでいた。
鍵の間は、小さな作業場、または子供の遊びにも使われていたという。
こちらが「鍵の間」
この資料館では古い文献などの展示スペースとなていた。
子供が遊んでいたであろう名残も
こういったものを自分たちで作っていたのかもしれない。
納戸に戻り、そこからまた隣の部屋に移ると、「あま」と呼ばれる屋根裏を利用した収納場所もあった。
これがその「あま」
冬に備えて薪なども置かれていたそうだ。
ちゃんと梯子も側に立てかけてあった。
登りたくなったが、お触り禁止だった。
そしてこの部屋の端には、
「茶の間」もあった
四角い膳は「箱膳」と呼ぶそうだ。
引いた画がこちら
こうしてみるとわかるが、四帖しかない。
これで家族六人で食事となると、現代の感覚ではだいぶ狭い。
実際、天井も低く、この茶の間だけで現代人と江戸時代の人たちとの体格の差まで推し量られた。現代人は、明らかに当時の人たちと比べてデカイ。
まあ、そんなことよりも、昼飯も食わずにこの資料館やって来たので、これら御膳を前にしてにわかに腹の虫がなった。
さらにこの奥には、当館最後の部屋である「流し」があった。
いわゆる「炊事場」だ
水道なんてものがないから桶や瓶がある
この大きいのは「行水桶」
この「流し」も全体的にこじんまりとしていた。派手さもなく素朴で、一昔前の田舎の家にも同じような釜や桶が使われていたのではないだろうかと、そう思わせた。
自分としては、どこか懐かしさを感じられた。
…そして、やはり御膳同様に、それらを目にして腹が鳴った。
「なにか食いたい」との一念を込めて撮った写真
釜の蓋を開けたら炊きたての飯でも入っていないだろうかと妄想した。
すべてを見終える
以上で足軽資料館「清水家」の部屋はすべて回り終えた。
小さな家のため、はやい人なら5分で見学し終えるだろう。
それでもじっくり鑑賞すると15分以上はいられる。
実際、写真を撮っていた自分は正味それくらいは滞在していた。
いや、許されるなら、膝を伸ばしてのんびりとしていたくなる家だった。
でも、腹が減っていたので自分もここいらでお暇することにした。
帰り際、座敷の小壁に槍が掛けられているのを発見
思わず撮った。
さらに屋敷から出てみると、そそくさと帰ることはせず、名残惜しくなって建物全体を眺めてしまった。
その際、 屋根も石置屋根なんだなと気付いた
そして、それもまたカメラを出して撮っていた。
さらに言うと、
生け垣や庭も情緒あるなと改めて気付いて…
ちゃんと撮っていなかったなとも思い出すと、やはりカメラを向けていた。
そうやって帰ると心で決めながら、結局ぐずぐずしていて、気がつけば時間もなくなっていた。
最後に補足すると、この「金沢足軽資料館」には、今回入った「清水家」の他に同じく足軽の「高西家」の屋敷も隣にある。2つの屋敷を「足軽資料館」と呼んでいる。
さすがに時間もないので、今回は「高西家」には立ち寄れなかった。
何より腹が減っていたので、ついでに入ってさらに駆け足で撮影する、という気にはなれなかった。
ようやく大人しく帰った自分… 帰路では空腹で足が重くなっていた。