散策してたら足湯を見つけて膝下からデトックス!の足湯の旅、12回目だ。
今回は和倉温泉街の、とある宿の玄関前で見つけた足湯に浸けてきた。
宿の敷地内にあるが、もちろん無料のところだ。
和倉温泉散策中に見つけた足湯
和倉温泉街では七福神の石像が点在し、それを巡るとちょっとした町中散策になる。
自分もその七福神めぐりをやってみたところ、途中で小さな足湯を見つけた。
七福神のいるスポットの一つ「和倉温泉総湯の足湯」とは別の足湯だ。
七福神めぐりのリーフレットの地図にも、そこに足湯があるとは書かれていなかった、かなりマイナーなところだ。(総湯の足湯は地図にあった)
七福神スポットの一つ「渡月橋」を回り終えたところで見かけた看板
看板の後方に見える橋が渡月橋だ。
この看板を正面に左手に行くと、次の七福神スポットである神社が見えてくる。
遠くに神社の鳥居が見える
それと同時に、なんだか足湯っぽいものも見えた。
写真で言うと、中央の電柱の後方にある黒瓦の東屋のような小さな建物だ。
近寄ってみると…
たしかに「足湯」だった
看板が掲げられて、湯もちゃんと出ていた。
扉も何もない見た目がオープンな足湯だ。
ただこちら、近寄ってみて初めてわかったことだが、ある宿の敷地内にある。
渡月庵だ
同じ和倉にある宝仙閣グループの宿だ。
看板によれば、和倉温泉の中でも最古の数寄屋造りの宿だそうだ。
大正4年(1915年)建ということは、100年前だ。
そんな歴史ある宿の前にあるということは、いくら見た目がオープンでもやっぱり宿泊客専用なのかと思えてしまう。
そのあたりを、玄関の扉を開けて宿のかたに聞いてみた。
もちろん「お客ではないのですが…」と前置きしてだ。
すると、宿のかたがまた親切で「自由に使って大丈夫ですよ」と教えてくれる。
使いかたも教えてくれて、さらには「タオルが置いてあるので使って下さい」と言ってくれた。
総湯の足湯と同様に、ここの足湯も無料なのだ。
ということで、さっそく使わせてもらった。
木製の湯船
さすが大正ロマンを感じさせる宿の足湯ということだろうか、何の木かはわからないが、足湯では珍しい木製の湯船だった。
湯船と記したのは、全身浸かるお風呂に形が似ていて足湯にしては深さもあったからだ。
こんな説明書きが貼られていた
ここの足湯、湯の表面が熱くなっているらしく、浸ける前に棒でかき混ぜたほうが良いらしい。
これは宿のかたも教えてくれたことだ。
棒というか板があった
自分、改めてこうして記事としてまとめていてようやく気づいたが、この板の隣にちゃんと棒らしきものが置かれている。
撮っているとき、自分はその棒の存在に全く気づいておらず、おまけに子供の頃に田舎の祖父母の家の風呂で風呂フタを使って熱湯をかき混ぜていたという経験もあったので、この板こそが説明書きにある「棒」だと思い込んでしまっていた。
板でかき混ぜていた
間違っていたらスイマセン。
ちなみにかき混ぜている時の自分の心情は「懐かしいなぁ」であった。
なんにせよ足を浸した
足湯全体が木製だから湯船の底も木だ。
お湯の温度は確かに高めであるものの、浸していられないというほどではなかった。
これも板でかき回したおかげだろうか。
また、深さがあるので自分の足でもヒザ下くらいまで湯に浸かることになる。
温度が高めだからか、それともしっかり浸けれる深さのおかげか、はたまたその両方だからか、他の足湯以上に足に圧がかかっているような感覚があった。
この「圧」とう表現は、なんだろうか、熱めの風呂に首までしっかり浸かって、その熱さに耐えているときのような感覚だ。熱いけど、耐えて慣れてくると気持ちいい、あの感じに似ているのだ。
散策して(その前にはお盆のための墓掃除や草むしりもしている)疲れた足が癒えていくようで、長く浸けていたくなった。
天井に浮き球が吊るされていた
船でよく見かけるものだ。海が近い和倉温泉らしさがある。
こういうビン玉編みって、漁師さんが自分たちで編むんだとか。
宿の庭先には十返舎一九の歌も見えた
魚を食べたくなる歌だ。
この宿でも旨い魚を食べられるのだろうと想像してしまう。
久しぶりにこういう温泉宿に泊まって、もてなされてみたいと思った。
感想
この足湯に足を浸しながら、やってくる泊り客の人たちが丁寧かつ親切に接客されながら宿へと入っていく姿を見ていると「いいなぁ」と羨ましくなった。
長く浸してもいたかったし、浸すほどデトックスされて何にもしたくなくなってくるしで、後のこと全部キャンセルして、この宿の客になって、美味しいものを食べて、足だけとは言わず全身温泉に浸かって、適当にのぼせたところでフカフカの布団で眠ってしまいたい…
ここの足湯を利用しながら、そんな誘惑が目の前で横たわったのだった。
このままだとその誘惑に負けそうになったので、時間もないのだからと理性を勃然とさせて、心残りながら去ることにした。
足湯ながらあの湯の温度と深さには人を骨抜きにする力があるように思えてくる。
「時間がないから」という理由がなかったら、おそらく誘惑との格闘は長期戦になっていたのではないだろうか。そして結局負けたであろう。
最後にタオルを使わせてもらった
隅にはこのようにカゴが置かれていた。
宿のかたが言っていたように「渡月庵」と書かれたタオルも置いてあった。
自分もタオルを持ってきていた(最近、常にカバンの中に入れてある)のだが、せっかくなので使わせてもらうことにした。
使ったタオルは、左のカゴに置いておいた。間違っていたら申し訳ないです。
何にせよ、ありがたい話だ。
これもおもてなしというものなのだろう。こういう心遣いに触れると今度は客として泊まりに来たくなる。
宿泊客でもない人でも自由に使わせてどんなメリットが有るのだろうかと最初は思ったが、実際使って(浸かって)みると、なるほど誘客効果があることがわかった。
おもてなしってスゲェ…
足湯ってあなどれねぇ…
そう思った今回の足湯の旅であった。
渡月庵を後にする
なんだか、後ろ髪を引かれるような思いで後にした。
いつか泊まりに来たい。