1月15日、近くにある永安寺の左義長に行って来た。
燃やすものといったら昨年引いた大吉のおみくじくらいしかなかったのだが、とにかく数日雪続きで写真を撮れずにいたので、なんでもいいから外に出たくなって、その口実として足を運んだのだった。
小降りになってから家を出ると、向う途中で雪も止んだのだから、自分の晴れ男としての神通力はまだまだ衰えていない。
永安寺への階段
こう雪が積もっているだけで難所のように見える。
実際滑るので、カメラを抱えている身分としては手摺を使って慎重に上っていった。
上った先がこちら
お子さんが境内の雪かきを手伝っていたのが微笑ましかった。
今更であるが、自分は地元に永安寺という寺があることを知っていながら、こうして境内に入ったのは初めてであった。
焼いてもらった
「こんなに少なくてもいいですか?」と訊ねると「いいですよ」と答えてくれて、風で舞って零れたおみくじ一枚もトングみたいな火ばさみでひょいと摘まんで入れてくれた。
とりあえずの目的は果たした。即終了であった。
ということで、ここから撮影タイムに入った。
階段から火の前まで歩く途中に仏像を目にしていたのでひとまずそちらを撮らせてもらうことにした。
見上げるところにおられる
こちら、白寿観音さまだ。
雪を纏う仏像を撮るのはこれが初めてであった。
自分の中ではちょっとした記念である。
だが、この一枚を撮った後に再び雪が降り始めたのだから、まいった。
バチがあたったのか、それとも仏がもっと雪景色を撮らせてくれようと気を利かせてくれたのかは不明だ。
どちらにせよめげずに別の像も撮った
自分は根本的にポジティブ思考なのか、それとも簡単には退かない性分なのか、撮影を続行していた。
レンズが濡れる心配はあったものの、撮りながら雪降る景色をどうやったらうまく撮れるのかとあれこれ工夫していたのだから、おそらく開き直っていたのだろう。
こっちから撮るとカメラ目線
撮るならキレイに撮りなさいと言われているようだった。
そう感じ取りながら、肩に積った雪が白い毛皮を巻いているみたいだとくだらないことを考えていたのだから、やはり罰当たりかもしれない。
そして、そんなことを考えていたせいか、
ますます雪が強くなってきた
まるで散弾銃のようにアラレ状になって降って来た。
写真が傾いてしまったが、それを撮りなおす気にもなれいくらい勢い良く降ってきて、急いで屋根の下に避難していた。
ちなみにこちらの建物は「弁天堂」といって、中には平安時代に作られた弁財天が安置されているそうだ。
アラレが収まった所で再び撮影を開始した。完全に止んだわけでもないのに傘をさしながら果敢に雪降る中をカメラを抱えて出ていくのだから、この時の自分は開き直りを通り越してかなりのぼせ上がっていたに違いない。思い出すと、自分はむかしから難関があるととりあえずは挑みたくなる性分でもあった。
少し歩いた先で見かけたのが、
こちら
愛染明王(あいぜんみょうおう)だ。
古くから天皇・皇族・貴族の間で信仰されていた仏さまだそうだ。
三つの目が三界(欲界・色界・無色界)を照らして衆生の諸願を速やかに成就し給うと案内には書かれてあった。仏教をちょっとはかじっていないと難しい説明だ。
わかりやすいものでは恋愛成就や縁結びの仏でもあるそうなので、おっかない顔をしているけど女子に信奉されそうな仏様だ。
自分としては、こんなカラフルな仏像が近所にあったのかと、その点に今更ながら驚いたものである。
おまけにその足元には、
ちっこい、
狛犬が、
いた
自分はつくづく狛犬に縁があるのだろう。
小さいけれど、ちゃんと吽形の狛犬、阿形の獅子に分かれていて、ボディも筋肉隆々、その他ディテールも作り込まれていた。
雪のせいで顔はすごいことになっているが…
でっかい白目か、白いマスクをつけているようだ。
撮る前に一度頭の雪を落としているので、本当はもっと雪を被ったようになっていた。
足もすっぽり雪の中
自慢の爪もこれでは撮れない。
これらを撮りながら、小さな笠でも作ってやって、笠懸地蔵ならぬ笠懸狛犬にしてやれないかと考えていた。想像するとかわいいが、下手すれば怒られるだろう。
地蔵ついでにいうと境内にはお地蔵様もいる。
ただ、笠を懸ける必要はないようだ
傘を差しながら撮影していた自分こそ、手を自由に動かせる「笠」が欲しかったものだ。
それを考えても、我ながらなかなか努力して撮っている。
結局帰り際までずっと雪が降っていたのだから仏の力は自分の晴れ男としての神通力を超えている。
最後に鳥居を
このお寺、お寺なのに鳥居がある。
大聖歓喜天様の聖天堂奥院というお堂へと続く階段の前にある。ちょうどそのお堂の屋根の下から撮っているのだが、このときには風も強くて一瞬吹雪のようになっていた。
そこまでやられると、この天気の悪さは仏により与えられた試練であると解釈したくなった。
ただ、荒れる風雪の中、一瞬だけ日光が刺す瞬間もあるもので、
こういう時は「仏の恵み」
と、そう解釈してしまう。