宝達山にある伝説のモーゼパーク
何を言っているのだ言われるかもしれないが、「モーゼの墓」があるのである。
「どこのモーゼさん?」と聞き返されそうなので答えておくと、神より十戒を授かり、紅海を割って奴隷にされていたヘブライ人をエジプトから脱出させた、あの「モーゼ」(モーセ)だ。
40年の歳月をかけてユダヤの民衆をイスラエルの地へ導いた後、シナイ山に登り、そこから天浮舟に乗って能登宝達山にたどり着いたらしいのだ。
「何をバカなことを」と笑うかもしれないが、10年以上前にその場所へ連れて行ってもらった当時の自分もまったく同じことを思って失笑した。
でも、それは確かに宝達山にあった。
そしてその墓を目の当たりにしてからというもの、県外から来た友人を案内したり、個人的に一人で行ったりで計5回は足を運んでいた。
あれから月日が流れて今に至る。
このブログを始めて「勝手に石川県七不思議」なんてカテゴリーを個人の気ままで勝手に拵えているが、この「モーゼの墓」は企画を考えた当初から数えることを決めていた。
これこそが石川県のミステリーであり、ロマンであろう。
ということで、10年ぶりくらいに向かうことにしたのだった。
モーゼパークの看板だ
金沢市から七尾方面に向かって国道159号を走り、宝達志水町内で見かけるヤンマーのところで山に向かって曲がるとこの看板にたどり着く。
ここからさらに左に折れると目的地に着くことができる。
看板に「宝達志水町」と書かれてあるように町公認だ。
町公認で「伝説の森」と言っている。
モーゼパークに到着だ
古のロマンとモーゼ伝説が眠っているそうだ。
モーゼパークは町民の憩いの場として設けられている。
山の中に入っていく遊歩道もあり、その道中に三ッ子塚古墳群があり、その一つがモーゼの墓とされている。
町民の憩いの場所なので、ゴミやペットのフンはきちんと処理しましょうという案内もあった。
雪吊りも見られた
モーゼは西洋人かも知れないが日本の文化だ。
兼六園のような、と例えていいのか悪いのかわからないが、何せが町民のパークだと思ってくれていい。
さて、写真でもわかるように雪が残っている。1月に撮りに来たのだから当然だろう。
実を言うと秋の初め頃に一度このモーゼパークに下見に来ている。
駐車場に車を停めて、本当はその時にモーゼの墓へ参りに行こうとしていたのだが、10年前にはなかったあるものを見つけて山には入らなかった。
その、あるものとはこれだ。
この看板だ
くまモンなら良かったのにそうではない。
「注意 クマ出没」だ。
10年前にはこんなものはなかったし、熊が出るなんてちっとも考えずに一人で軽装備で遊歩道を歩いていたものである。
10年経って、リアルベアが出現するようになったそうだ。
正直、これに驚いてしまって、一人で入って熊に遭遇しては敵わないということでその時には諦めたのだ。
そして熊が冬眠するであろう雪降る頃まで待ち改めてやって来たのだ。
この説明からもわかるように、今回の撮影も自分は一人だ。
一人であったから、いくら雪降る頃であるとは言え、この看板の前ではやはりビビった。
羽咋郡市有害鳥獣対策協議会もかわいいのか可愛くないのかよくわからない強面のクマの絵を選んだものである。
ただし、確かに一人であったが、お守り代わりにこんなものを持ってきた(連れてきた)。
ゴッグだ
絵のクマと同じ格好をさせてみたが、実際に熊が現れたら何の役にも立たないガンプラだ。
まあ、お守りにと言うのは方便で、自分一人では被写体に困るので自分の代わりにこいつに写ってもらうために持ってきた。
地図を確認
モーゼパークの地図
こうしてみるとモーゼパークはなかなか広い。
森の中の遊歩道を歩くそのコースもパークに含まれているためそう見える。
初めてこの公園に来たとき、つまりまだ熊が出るなんて聞かされていない時分にひと通り歩いたことがあるのだが、正直迷子になっていた。
モーゼの墓がどれなのか探していて迷子になった末に結果としてひと通り歩いたのだった。
目的はあくまでモーゼの墓であるので、今回もすべてを回るつもりはない。
というか、熊に遭遇するのも嫌なのでそれ以外を回りたいとは思わなかった。
地図をズーム
今回の行動範囲といったらこのあたりだ。
この図で言うと下の方に駐車場があり、その駐車場からすぐ目の前に三本の柱のある「ポケットガーデン」がある。
実際の柱
初めてこちらを目にした時、西洋の祭壇のようにも思えた。
階段を登ってみると石でできたテーブルと椅子が置かれている。
雪が積もってますが…
最初にも書いたように、このパークは町民の憩いの場所となっている。
ここで井戸端会議や座談会なんてものもできなくない。
吹きさらしなので冬場や真夏の炎天下では厳しいと思われるが。
とりあえずゴッグを立たせた
本当は自分が被写体になって写真に登場すればいいのだろうが、何せが一人だし、あんまり出たくないのでこいつで勘弁して欲しい。
見てわかるようにテーブルやイスの表面はキレイに研磨されている。
弁当広げて食べるのも悪くはないかもしれない。
熊が匂いを嗅ぎつけてやってくるかもしれないが。
いざ、山の中へ
上の地図では「A」と書かれた矢印の方に向かっていくと山に入る。
実際はこうなっている
このように森の中へ入っていくのだ。
駐車場やポケットガーデンまでは全然平気なのだが、この道を入っていくとなると一気に緊張感が増してしまう。
入ってすぐ「山ヘ入ルナ」の案内
自分の10年前の記憶が正しければ、これはおそらく熊が出るから立ち入りを禁止しているはずではない。
というのも、この遊歩道のすぐわき、この看板で言うところの「山」の部分でシイタケだったかのキノコ類を栽培していたからだ。
栽培用と思われる丸太も
いまは雪降る冬なので丸太に何もないが、これにキノコがたくさん生えさせていたと記憶している。
こういった農作物を勝手に採られてもこまるので、ロープを引いて「山ヘ入ルナ」になっているのだと思う。
また、山に入ってすぐのところに記帳所もある。
記帳所の側面
「樹木と友だちになろう」とのことだ。
中の様子
モーゼ伝説についての案内や千羽鶴まであった。
新しさから言って、管理している人がいるのだろう。
そのむかし、自分がここに初めて訪れた際には、このパークへ向かう途中の民家で「パンフあります」という手書きの看板が立てられていたのを覚えている。
自分の記憶が正しければ「コシノ」さんという人の家だったと思う。
おそらくそのコシノさんが管理をしているのかもしれない。
こうして久しぶりに来た時には、道中にその看板はなくなっていた。
代わりに「コシノ」と書かれた呉服屋の看板は見かけた。
そういうことで、もうパンフは手に入らないのかと思っていたが、
記帳所にパンフもあった
ご自由にとあるので一つ頂いた。
パンフには、モーゼは583歳まで生きたとも書かれていた。
モーゼ、超人すぎるだろう…
黒板にはさらにこんな伝説の記述も
どうやら十戒の石を当時の天皇に献上して、さらにその天皇の第一皇女も妻としているようだ。
この国とそんなつながりがあったとは、知らなんだ…
さて、改めて歩きだすとだいぶ太陽も出てきた。
一瞬、眩しいくらいだった
この日は、ここ一週間の雪がウソのように暖かな日だった。
熊が勘違いして冬眠から覚めてもこまるので、目的地へと急ぐことにした。
ちなみにこの遊歩道だが、
「ふれあいの小路」という
名前の響きからすると優しそうなイメージだが、道中は決してそうでもない。
山なのでヒルクライムだ
まだ雪も残っている。
たまに倒木もいる
かまってほしいのだろうか?
立入禁止にされていた道も
屋根付きの休憩所がある「安息の広場」は、このシーズン行けないようだ。
いや、もしかしたらずっと行けないのかも知れない。
10年ぐらいぶりなので、こればかりは夏にも来て確かめないと何とも言えない。
寄り道もしていられないので目的地へむかうルートへ
繰り返しになるがモーゼの墓は三ッ子塚古墳群の一つである。
初めてきた時はどれが古墳であるのかさっぱりわからなかったものだ。
そして今回、こうして10年ぶりくらいにやって来て、しかも初めて雪の積もる中を歩くと、いま自分がどこを歩いているのかわからなくなった。
これら看板とパンフに書かれた地図がなければ迷子になっていたかもしれない。
ほんと、山道だ
「ロマンの小路」は雪だらけだったし
自分は長靴を持ってきていたので、それに履き替えて山に入ったのであるが、長靴で正解だった。
道中に丸太が積み重ねてあった
こういったところに人間の生活臭がする。
ここがまだ人間のテリトリーである「里」であると認識して、これを見るやちょっと胸をなでおろした。
それくらい、いつ熊が出るだろうかと緊張&警戒しながら登っていた。
独り言を大きな声で口にしたり、上顎の裏を舌で弾いて無駄に音を立てたりして登っていたのだ。
山は静かだから、その音がまた大きくよく響いていた。
モーゼの墓へ
途中、「テラス浮船展望」への案内看板も見かけたのだが、その道も見事に立入禁止にされていた。
初めて冬にこのモーゼパークにやってきた自分は、次第とモーゼの墓もこの季節は立入禁止なのではないのだろうかと不安になってきた。
そのうち「ミステリーヤード」に到着
途中、本当にここを上るのか?といった疑念にかられて迷子になりかけた末に、ここまでたどり着いた。
やはり十年近くブランクがあると道を忘れてしまっているものである。
伝説が書かれた石碑がある
冬だと少々雪に埋もれてしまっているが、このミステリーヤードでモーゼの不思議を学ぶのだ。
そしてここまで来るともうモーゼの墓も近い。
石碑の後ろを見上げ、小道を登るともうそこが古墳だ。
ここを登るのだ
このときも、やっぱり長靴で正解だった、と思った。
このこんもりした山みたいなものそのものが古墳
ただの山の途中にしか見えないかもしれないが、これが古墳なのだ。
初めて来たとき、ここを紹介してくれた友人と一緒に迷子になるのもわかるかと思われる。
そして何かが見えてくる
…
…
…
墓標だ
ついに到着したのだ、モーゼの墓に。
これがモーゼの墓だ
「え?」と思われた方は、健全な精神の持ち主だろう。
でも、これがモーゼの墓であり、自分がクマの出現に警戒しながら雪山を登って目指した目的地がここなのだ。
想像と何かが違うと笑ってくれてもいい。もったいぶってコレかと呆れてくれてもいい。それでも自分は10年前に計5回くらい足を運んでいるのだ。
こんなところに何故そんなに来たがるのだと問われれば、おそらく自分はこんなところだから来たくなったのだと答えるだろう。
結局自分でも来たくなる理由はわかっていない。
強いて言うなら悪魔的魅力、いや神がかった魅力としか言いようがない。
墓標には「モーゼ大聖主之霊位」と書かれている
「モーゼ」がカタカナなところがニクい。
脇にはよくわからない絵が添えられている
本当によくわからない。
十年くらい前に来た時にこんなものはなかったような気がする。
そしてその隣には狛犬の姿も見える。
狛犬だ
自分は狛犬写真家を自称しようかと目論むくらい狛犬を撮るのが好きなのでつくづく自分は狛犬に縁があると思えた。
ただ、一体だけで、対にはなっていない。
そして、やはりこれも10年くらい前に来たとき、見かけた覚えがない。
「こんなのあったっけ?」と首を傾げてしまっていた。
まあ、10年も経っていれば、その間に色んな人がこの地にやって来て、色んな物を備えていくものだろう。
写真にもワンカップが写っているくらいだ。中身は水かも知れないが。
賽銭用の鉢もあった
狛犬写真で神社によく出没しているせいか、こういうのがあるとすぐに財布の中の適当な小銭を投じてしまう。
ここに無事に来れたことへの感謝の気持ちと、ここがこれからも維持されればとの気持ちだ。
では、祈る
ただ、目をつむりながら何を祈ればよいのかよくわからなくなった。
偉人の墓に何を語ればよいのか、南無阿弥陀仏と唱えればよいのかさっぱりわからなかったのだ。
まして二礼二拍手一礼をするのも間違いなく間違っている。
今となっては、このとき自分は何を考えて目をつむったのか、もう覚えていない。
覚えていないが、クマ出没の警戒心だけは解かなかったのは覚えている。
横から見た図
本当はゴッグに合掌をさせたかったのだが、こいつ、意外と腕が短くて届かなかった。
おまけに手を立てることにも失敗している。
ガンダムハンマーをキャッチする気だけは、我ながらなんとなく伝わった。
ここで改めて狛犬チェック
ちっこいながらなかなかいかつい形相であり体つきだ。
赤いというのも普通はない。
横からのショット
こうして見ると短足に見えてかわいらしい。
一体しかいなかったので、対にするためゴッグを置いていってやろうかとも思ったが、やめにした。
なんだかんだで、本日ここまで来れたのはゴッグのお陰だと思っているので、手放すわけにはいかなかった。
帰りまで、しっかりとお守り代わりになってもらわないと困るのだ。
最後に記念撮影
いえ、ちゃんと連れて帰りました。
…
…
さらば、モーゼの墓
帰りはダウンヒルなので、それこそ飛び降りんばかりに、来る時の倍くらいのスピードで帰った。
下りだと、熊が現れても前足が短いから躓いて追いかけてこれないだろうからと、気持ちに余裕ができてどこか浮かれていたのだろう。
記帳所に戻ってきた
ここまで来ると、駐車場が近くなのでかなり安堵していた。
ちなみに記帳用のノートにもちゃんと名前を記してきた。
字が汚いのは許して欲しい
左利きなのでどうしても字を書くのは苦手だ。
何はともあれ、10年ぶりくらいにモーゼの墓参りができ、記帳も出来て満足している。
熊も、意外と出ないのかもしれない。
…
…
いや、登る時は気づかなかったが、下って帰る際にこの記帳所のすぐ側でこんなものを見つけた。
捕獲罠の檻だ
イノシシ用だと思いたいが、クマ用かもしれない。
だとすると、やはり出るのだ、クマが…
たしかに今回は一人でも無事に帰ってこれたが、もしこの記事を見てモーゼの墓に行ってみたいと思った奇特な方がおられたら、その際は二人以上で、できれば武器になるようなものを持って行くことをオススメする。
石川県の七不思議の一つを紹介できて自分としては嬉しいが、くれぐれも気をつけて欲しい。