初心の趣

カメラ初心者の石川県人が同県を中心に地方の変わった魅力を紹介しています

「花嫁のれん館」(七尾市)でこの地方に伝わる婚礼の風習を学ぶ

現代ではあまり見られなくなったが、石川県を中心に北陸には「花嫁のれん」という婚礼時の風習があるのをご存知だろうか?

石川県人の自分もなんとなくでしか知らなかった。

七尾市にはその風習を伝え暖簾そのものを展示している「花嫁のれん館」というものがあるというので勉強のつもりで足を運んでみた。

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花嫁のれんを伝える博物館

花嫁のれん」というのは結婚する際に花嫁側が仕立てる特別な暖簾だ。

それを嫁ぎ先の仏間の入口にかけ、花嫁がそれをくぐって結婚式に臨む。それら一連の儀式を含めて「花嫁のれん」と呼ばれている。

加賀藩領地内にて幕末期より始まった風習らしい。

加賀藩領地というと石川県を中心に富山や福井にまで広がるのだが、自分の中では「花嫁のれん=七尾を中心に能登地方の婚礼行事」というイメージがあった。

実際、七尾市の一本杉通り振興会が「花嫁のれん」という言葉を商標登録してしまっている。さらにはその一本杉通りの側の馬出町には「花嫁のれん館」という博物館もあるのだ。

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花嫁のれん館だ

七尾市の馬出町にある。

小丸山城址公園のすぐ裏側にあるので、同公園を目印にして向かうと見つけやすい。

地図ではこう

七尾駅からもそう遠くないことがわかる。

開館時間は9時から17時で、定休日は毎月第四火曜日とのこと。

入館料は高校生以上で550円、小中学生は250円、幼児は無料だ。

受付にてチケットを購入すると、「ガイドを付けてみませんか?」と受付の方に声をかけられた。

「ガイドは無料ですか?」と問い返すと無料だと言うので、せっかくなので頼むことにした。

ガイドは館の職員の方で、だいたい20分くらいかけて展示物と花嫁のれんについて説明してくれる。

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「合わせ水」と呼ばれる儀式のことから説明された

嫁が嫁ぎ先の家に到着すると、敷居をまたぐ前に生家の水と婚家(嫁ぎ先)の水を合わせたこの儀式がまず行われるそうだ。

お嫁さんがこの両家の水を合わせたものをカワラケに注いで飲み、飲んだ後のカワラケを仲人さんがわざと土間に叩きつけて割ってしまう。

割れたものは元に戻らないということから、実家に戻ることはならぬという意味になるのだとか。

そのため、カワラケは派手に割れたほうがいいらしい。

割ろうとして転がってしまい、割れないなんてこともよくあるそうで、そうなると割れるまで仲人さんが叩きつけるのだとか。

いきなり想像以上に激しい。

自分は母親から花嫁のれんを持っていると聞かされたことがあるので、自分の両親もこんな儀式を通過したのかと思うとつい笑ってしまった。

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合わせ水の儀式が済んで次には暖簾くぐり

花嫁のれんは嫁ぎ先の仏間の前にかけられる。

同館では玄関から仏間までの様子が再現されていて、写真のようにそこに花嫁のれんも飾られている。

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横から見るとこんな感じでわかりやすい

お嫁さんはこの暖簾をくぐることになるのだ。

花嫁のれんの家紋は嫁ぎ先ではなく生家(お嫁さんの実家)の家紋だ。

暖簾を仕立てるのもお嫁さんの実家側で、花嫁道具として持たせるものだ。

このように仏間の前にかけることで結界の役目にもなるのだとか。

この暖簾をくぐって仏間に入ることを「仏壇参り」というのだが、それを行う前にお嫁さんは部屋で白い打ち掛けに着替えるそうだ。

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このお人形さんのような姿になる

打ち掛けの白色は「婚家の家風に染まります」との意味で、頭にかぶる「角隠し」は「角を出しません」という誓いが込められてある。

これに着替え嫁ぎ先の家長がいる仏間へと、花嫁のれんをくぐるのだ。

(自分の母親が言うには数珠を持ってくぐったそうだ)

そうして仏壇に嫁いだことを報告する。

ちなみに仏間に花婿はいない。花婿は別室にいて一連の儀式にはかかわらない。

このあと仏間にて披露宴も行われるのだが、そこでも婿は出ないのが普通だったと言うから、現代の感覚からすると普通ではない。

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なお、展示されていた仏壇は「七尾仏壇

能登特産の档(アテ=能登ヒバ)を主材料にし、銀杏、ヒバ、タブ等を補助材料とし、全行程を柄組方式とした仏壇で、永久保存を目的としているので堅牢なんだとか。

こんな立派な仏壇が置かれている家って、現在ではそうないですな。

 

展示された花嫁のれんを鑑賞

自分が同館に訪れたのは1月28日だ。

この日は企画展として「二世代 花嫁のれん ~嫁姑の花嫁のれんを並べて展示~」が行われていた。

姑さんもお嫁さんそれぞれが潜った暖簾を一緒に展示してある。

一つの家に嫁姑で花嫁のれんがあるというのは今時珍しい。

というのもこの風習、最近ではあまり見られない。

核家族化がすすみ仏間のある家も減ってきている。

しかも仕立てるのにけっこうな値段がかかる(中には友禅のものもある)。

花嫁のれんは金沢でも普通に行われていた風習らしいが、核家族化等を考えると金沢でこそだいぶ減っているのではないだろうか。自分の中では田舎の方でしか行われていないというイメージがあるくらいだ。「花嫁のれん=七尾」という印象もそこから来ているのだろう。

それでいて面白いことに、能登のイメージがありながら花嫁のれんの風習があるのは北は中島町(現在は七尾市)くらいまでらしく、穴水や輪島、奥能登の方に行くと見られないという。

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こんな感じで展示(写真が斜めになってしまったが)

3家で展示されていた。

奥のものは木下家と書かれてあった。

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母と

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花嫁のれんが何代にも渡って存在するということは、その家には男子が続いているという証でもあるのだろう。

時代によっても暖簾の作りが異なっていたりする。もちろん家でも違う。

常設展示ではそれらの違いをさらに見比べることも出来る。

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常設展示の一つ

こちら明治時代のものだそうだ。

巾は3つで生地も羽二重(はぶたえ)だ。縦の長さもけっこうある。

明治時代のものの中では生地が木綿というものもあった。

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こちらは大正時代のもの

巾が5つもある。

このように巾(はば)が違うのは嫁ぎ先の仏間の入口の大きさによって違うらしい。

描かれているものは中国の霊鳥である鳳凰だ。

縁起のいい鳥類が描かれている事が多く、中にはこのように空想上の生物も描かれることがある。

ちなみに鳳凰って頭は鶏、背中が亀の甲羅、尾っぽは孔雀で構成されている(諸説あります)そうだ。

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同じく大正時代のもの

こちらは巾が4つ。

生地は「りんず」というものだ。

おめでたい鳥類も描かれていない。

ただ、明治、大正時代に共通して紫色がよく使われているのわかるだろうか?

明治や大正時代は女性が男をたてる時代であったので、その時代背景から紫色がよく使われていたそうだ。

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昭和時代になってくると紫以外も

急にカラフルになってみえてくる。

生地も「ちりめん」がよく使われていた。

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平成時代のものも展示されていた

平成に入ってもまだまだこの風習が続いている証だ。

これも時代だろうか、どこか可愛らしいというか、明るく華やかに見える。

言ってみると女子向けの柄だ。

平成に入ると男尊女卑もなくなってきているわけだ。

なお、これらの展示物は本当に花嫁のれんとして使われたものだ。

結婚式の時に一度だけ使われて、そのままタンスや押入れの中にずっとしまわれていたものをどうせならということで寄贈してくれたり同館に預けていたりするものだ。

ガイドをしてくれた職員の方が言うには、一ヶ月間だけ展示のために同館に貸すということもできるという。

そういった有志の方に寄って同館は支えられているようで、一ヶ月でも貸してくれる人がいれば、職員の方が受け取りに家まで来てくれるとも言っていた。ついでに粗品や入館券などもプレゼントするとも。

自分のオカンも七尾育ちの人でやっぱり嫁に行く時に花嫁のれんをくぐったと言っていた。まだ残っているということなので同館での展示を薦めてみようかなと思った。

その旨を職員の方に話すと名刺もいただけた。

 

最後にうちのオカンの暖簾を撮る

いい勉強になった。

結婚式のやりかたも現在では随分と変わり、普段着に着替えて結婚式場に行き、そこで着替えて式と披露宴というのが普通だ。

ところがこの花嫁のれんの風習ではお嫁さんは実家から婚礼衣装をまとって婿の家に向かい、嫁ぎ先で披露宴をしていたのだ。しかも実家を出る時は「縁を切る」という意味を込めて縁側から出ていくのだとか。

また、暖簾を仕立てる以外にお金のかかることも結構あるようで、嫁に出す時、田んぼを売って揃えたという家もあったとか。

大変だ。

「今では考えられんやろ」と、うちのオカンも言っていた。

花嫁のれん館のことをそんなオカンにも話した所、同館にて説明されていた儀式について「私もやったよ」という話も聞けた。

そしてちょうど、田舎より花嫁のれんを家に持って帰ってきていたというのでカメラで撮らせてもらうことにした。

自分の母親としてもこうして広げてマジマジと眺めるのは結婚した日以来だという。

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こちらがそれ

梅とおしどりだ。

ただ、でかいので部屋の中では飾りきれない。

斜めになった。

きちんと飾るにはやっぱり館に預けるのがいいだろう。

一応、もらった名刺も母親に渡した。

本人の気分次第でこれが花嫁のれん館に飾られる日も来るかもしれない。

そうなったらもちろんまた撮りに行くだろう。