昨今、城や城跡を愛する人が増えているそうだ。
城について詳しくはないものの、自分も城や城跡を目にするとついつい近寄って立ち寄ってしまうたちだ。
1月のはじめ頃であるが、七尾市にある小丸山城址公園へ行って散歩してきたので、そのとき目にした風景、ならびにその城跡の様子を紹介したい。
小丸山城址公園へ
なんだかんだで自分は城や城跡が好きだ。
知識は多くないものの歴史が好きだし、大河ドラマは見てしまう口だし、幼少の頃にショー・コスギの映画を見て忍者に憧れたことも、アニメ『ムサシロード』を観て侍に憧れたこともあったしで、城がそこにあるとつい立ち寄りたくなる。
とはいえ目的もないので立ち寄ってどうこうするわけではなく、城跡内の散歩がもっぱらである。
カメラを手にしてからは撮影もするようになったろうか。
1月のことであるが、能登に行った帰りに七尾に寄ることもあり、気晴らしの散歩がてら小丸山城址へと行ってきた。
以前に足を運んだ花嫁のれん館の直ぐ側でありながら、また幼少の頃より七尾市にあった祖母の家に行くたび何度もその前の道路を通っていながら、一度も行ったことがなかったからである。
仮に幼少のころに足を運んだことくらいはあったかもしれなくても、記憶に全く残っていない。
一度、足を運んでおかなくてはならないと、変な使命感に駆られたのだ。
行ってきた
小丸山城は現在、城はなく、跡地が公園になっている。
石碑がでっかく立っているのでそこが公園だとすぐわかる。
道は狭いが駐車場もあるので車でも来れる。
写真でいうと、以前に当ブログでも紹介した花嫁のれん館が右手にある。
逆に左へと上がる小坂を登っていくと城の跡地となる。
坂を見上げて
それなりに勾配がある。
ちょっとした山だ。
この小丸山城、戦国時代に前田利家が織田信長より能登四郡を賜ったときに居城としたところだ。
ただ、戦に明け暮れていた利家なので、ここに長くいたわけではない。
利家のお兄ちゃんの前田五郎兵衛安勝などが城代を務め、前田家の能登國支配の中心地になっていた。
トンビに注意だそうだ
学生時代に目の前で友達が食べていたアイスクリームをトンビに掻っ攫われていたのを思い出す。
上空からの奇襲だ、マジで不意をつかれるので注意していただきたい。
なお、この公園にはゴミ箱が設置されていないのでゴミは必ず持ち帰らないといけない。そういった意味でも園内で食べ歩きもしないほうがいいのかもしれない。
坂を登ると岐路
この小丸山城址公園は大きく3つのブロックに分かれていて、その一つが第一公園となっている本丸、そうして相撲場がある宮丸、さらに写真の看板にはないが第二公園になっている天性丸がある(第一公園のさらに奥にある)。
それらを順に歩いてみた。
まずは宮丸へ
ひとまず坂を右手に曲がって相撲場の方へと向かった。
こちらが相撲場
愛宕山相撲場だ。
光徳寺が一年に一度11月に「満座の法楽相撲」をここで開いていたそうだ。
昭和60年には第63回全国高校総体相撲大会の会場にもなっていたところだ。
そのときの記念碑もあった
「阿呍」(あうん)と書かれている。
相撲での立ち合いで呼吸を合わせることも「阿呍(阿吽)の呼吸」と言うそうだ。
この相撲場のさらに奥に遊具広場がある。
滑り台とかが置かれているところだ。
子供も遊べる公園
公園=遊具っていうイメージがある自分にとっては「the公園」といったところだ。
愛宕山というだけあって高いところにあるので、浮遊している大地の上にある公園のような感覚がある。
「誰?」となった像もあった
こちら大森玉木さんという方だ。
明治19年に七尾市に生まれ、国会議員を6期も勤めた人らしい。
玉木座という劇場を経営して、また市内の病院建設に多額の寄付をしたことで名誉市民の称号も送られている。
ふるさと納税もない時代にだ、その精神は見習いたいものだ。
本丸(第一公園)へ
分岐に戻り、坂の続きをさらに登っていくと本丸の方へと出る。
この小丸山城は、江戸時代に入ると、諸大名は居城以外に城を持ってはいけないという「一国一城令」によって廃城にされているため昔の建物は残っていない。
本丸も現在は第一公園と呼ばれ、日本庭園などが整備されている。
城はないのだ
ここが本丸だ。
木が何本も植えられている公園になっている。
この木、冬で花をつけていないから分かりづらいがサクラだ。
実はここ、春にはキレイな花をつけてくれるので市内でも有名な花見処でもある。
ソメイヨシノを中心に約250本近く植えられていて、花づく時期になると「小丸山さくらまつり」も行われているのだ。
我ながら、歩く季節を間違えたなと思った。
見上げると櫓台跡もあった
でっかい「史蹟 前田利家小丸山城址」の石碑の後方に見える石段を登るとそれだ。
跡なので櫓はないが、句碑があった。
三代句碑とのこと
七尾を詠んだ句だ。
でも二代だけじゃないかと思ったら…
三代目もあった
高濱年尾(高浜虚子の実子)、その次女である稲畑汀子、さらにその息子の稲畑廣太郎の句碑だ。
『ホトトギス』の主宰を歴任してきた方々だ。
また、櫓台跡は東の方にもあり、そこには日像上人の像もある。
デカい…
佐渡にて法華経を布教した後、ここ七尾に向かっている。能登における日蓮教団の基礎を築いた人だ。
当ブログでも以前紹介した羽咋市にある妙成寺を開いたのもこの人だ。
(妙成寺の記事は→こちら)
その右手に何を乗せ、受け止めるのか気になる像だ。
ちなみにその右手に促されるようにその方角のあたりへ振り向くと、日本庭園らしく池もある。
なにか東屋のようなものも見える
近寄ってみると…
このように小池
その池の中ほどには噴水もあった。
その後方には眼下の町並みを見渡せるテラスようなものもあった。
ここ、やっぱり桜の季節に来るべきだったな
テラスより園内へと振り返った画だ。
こうしてみると、規模は小さいものの兼六園のような雰囲気があるように思う。
同じ前田家だしね。
最後に天性丸へ
最後は第二公園と呼ばれている天性丸も歩いてきた。
第一と等しく高いところにあって町を見渡せるようなところだった。
第一公園からそこに向かうにはまず橋を渡ることになる。
陸橋を渡る
名前もあって、三更橋(さんこうばし)という。
直接小丸山城とは関係ないものの、上杉謙信が七尾城を攻め落としたときに詠んだとされる詩からこの名がついたという。
天性丸へのこの橋が同公園の中で一番月を見るのに適した場所らしい。
ここ、きっとサクラもキレイでしょ。
ちなみに下から見るとこうなっている
七尾駅へと向かう道中等、この小丸山城の公園の前を通るとき、目にするのがこの橋だ。
外からだと一番良く目につく。
さらにスッキリとしている第二公園
日本庭園のような第一と比べると展望台のようなところだ。
「港と緑のまち」とある
背後に七尾港、正面に山、そういった位置にこの小丸山城はある。
それがよりわかる展望台が、この第二公園にはある。
奥にある展望台
「乾の展望台」という。
もちろん上がってみる
ここから眺める小高い山並みには山の寺寺院群がある。
確かに、このあたりは寺が多い。
山の方を眺める
寺は…写しきれていない。
写真の道路のもっと奥の方に民家にまぎれて16ヶ寺あるはずなのだけど、我ながら失敗だ。申し訳ない。
別方向を眺める
すると海が見えてくる。
このように山も眺めれば海も眺めれるのが乾の展望台だ。
なんだか寺らしき屋根が、この海側の写真に写っているようにも見えるのは…ご愛嬌だ。
別の場所より
乾の展望台以外でも、たとえば「港と緑のまち」のオブジェのあたりからもこうして町や山、川なども眺めることができる。
ちょうど眼下にテニスコートが見えて、近くの学校の学生たちが部活動に励んでいる姿なども見れた。
その遠くでは夕日も見える。
自分にはノスタルジーな景色だ。
原点へ立ち返らされて心が洗われる。
町の営みを静かに俯瞰できるって気分がいいものである。
まとめ
いまでは公園になっているそこは、けっして大きなところではないので、早足なら15分くらいで回れてしまう。
町の中でも高いところにあり、色んな場所から山や海、民家などを見下ろせる。
今更だが、城って高いところにあるんだなと今回改めて思った。
前田の殿様たちもこうして城下を見下ろし、さて何を感じ、考えていたのだろうかと気になるところだ。
今回足を運んだのは1月だったのであるが、何本も植えられている桜の木を考えるとやはり春の花見の季節に歩くのが一番いいかもしれない。
その点において、時期早々にして今回もっとも悔やまれた。
もっとも、それもまた後日、4月頃に改めて歩きに行けば良いだけの話なので、機会を見つけ次第、花見目的で再び足を向けたい。
園内で見つけたオブジェ
第二公園から相撲場のある方へと降りていく途中で見かけた。松岡睦美氏の「TWIN HEARTS」という作品だそうだ。
散歩していてこういうのを見つけると、即席のセンスの修養ができたみたいでなんだか得した気分になる。
空も眺めやすい
相撲場より。
高いところにあるから見上げやすい。
この日は鱗のように流れていく雲が見れた。犬の散歩をしていた地元の人が、これから荒れそうな雲だと話しかけてきたので印象に残った。
日によって違う雲を見上げるだけでも、毎日に変化と発見がある。地元の人にとっても、また市外の人でも散歩するにはいいところだなとふと思うのであった。
天気がいい日に近くに立ち寄った際は、園内を歩いてみてはいかがだろうか。