昨年、カメラを始めてまだ日が浅い初夏に地元の用水路を辿って末浄水場にたどり着いたことがあったが、そのときにも立ち寄った、というかそこからスタートした神社がある。
日吉神社だ
日吉神社という名の神社は全国に多数ある。滋賀県大津市にある山王総本宮日吉大社を勧請(分霊)して全国に広がっているそうだ。
「日吉神社」の読みも「ひえじんじゃ」または「ひよしじんじゃ」と二種類あるらしい。山王総本宮日吉神社はかつて「ひえ」と呼んでいたらしく、現在では「ひよし」と呼んでいるそうだ。
以前、この神社に訪れた際は、狛犬写真家を自称しようかとの目論みに目覚める前のことであったため狛犬の写真も「狛犬がいますよ」程度の気持ちで流すように撮っていた。狛犬の知識も殆どなかったものだから、それがどのような姿をした狛犬かという点にも着目することがなかったのだが、新年を迎え、改めて地元の神社を参拝しようと足を運んだついでにまじまじとその狛犬を見てみると、これがまたいろんな特徴を含んでいたのでしっかりと撮ることにした。
狛犬だ…
と思ったら、口を開けている。
通例では左側が口を閉じた吽形と呼ばれる「狛犬」なのだが、こちらは逆で口を開けている阿形だ。阿形は基本的に「獅子」だ。
神社によってはたまにこの「阿吽」が左右逆になっているところもある。この神社もその一例なのだろうと思われるわけだが、さらによく観察してみるとその口には「玉」を咥えている。
これです
以前にも記したが口の中の玉の意味は「人を惑わしたり、傷つける妄言を吐いてはいけない」といったものだ。
口中に玉というタイプも決して珍しいものではないが、このようにたまに見つけるとその神社の狛犬の個性としてついつい注目してしまう。
さらに、その足元を見ると子供までいる。
子連れです
「子取り」とも言う。
こちらも決して珍しいものではないが、やはり特徴的であるからついつい見入ってしまう。
凛々しくも愛らしい顔をして、特に指先(爪)の作りがかわいい。こちらは親とは逆にしっかりと「吽形」で口を閉じている。でもちゃんと見据える先は親と同じだ。この『巨人の星』の親子のような佇まいは、子連れ狛犬で自分がもっとも好きな要素だ。
親の爪の様子
爪は立てているが子の胴体に食い込んでいないこの塩梅が素敵だ。
さて、片方が子連れだと、通例もう片方は「玉取り」などと呼ばれる足で蹴鞠のような玉を抱えている姿をしている。
以前に撮った安宅住吉神社での狛犬がそのわかりやすい例であった。
この日吉神社でもそうだろうと右側へと振りかえると、
逆さ狛犬だった…
しかも口を閉じているから「逆さ獅子」ではなく正真正銘「逆さ狛犬」だ。
この跳ね上がった下半身
これだけでも躍動感があるが、胴体周りの赤サビが何かしらの熱い情念を演出しているようにも見える。
後ろ足の爪先
よく作り込まれているなぁと思う。
比べて前足の爪
ヒビが入っていた。後ろ足を跳ね上げるあれだけの格好を支えているこの前足には相当な負担があるのかもしれない。
この突飛な姿を維持するのにラクはないということだろうか。
顔だけ見ると「余裕」って感じがしてますが…
横顔の平静さと跳ね上がる後ろ足のギャップがシュールだ。
しかもよく見ると、頭に角がある。これ、なかなか珍しい。
さらにこの狛犬の目には黒目と思われるデザインもしっかりと施されている。
かなりはっきりと黒目だ
ここまでしっかりと黒目がわかると顔つきが漫画のようだ。愛嬌がある。
愛嬌があると言えば、ふたたび左側の子連れ獅子のほうを見てみると、そのお尻が実際の犬のお尻のようで良かった。
プリケツです
尻尾の立ち具合も実際の犬っぽい。
この狛犬(獅子)がお座りタイプではないからこそ見られる訳ですな。
阿吽が左右逆で口に玉をくわえて子連れで逆さで角が生えてプリケツでと、まったく一筋縄ではいかない狛犬(獅子)だった。
地元、侮れなかった。
そしてこんな狛犬が近くにいることに気付いていなかった自分はまだまだ狛犬写真家を自称することは出来ない。
依然として自称を「目論む」段階であると悟る、正月三が日のある日であった。