少し前に輪島市に寄った際、朝市通りなどがある河井町を少し歩いた。
町内の「わいち通り」というところを歩いているとそのうち「重蔵神社」という神社にたどり着いたのだが、その境内には狛犬が4対いて、そのうち3対が明治くらいの古い狛犬だった。
狛犬写真家を自称しようかと目論む自分の目にはなかなか珍しいことであったので紹介したい。
まずはウェルカムな新しめの一対
こんな通りを歩いていた
左に行けば朝市、右に行けば重蔵神社がある。
この案内に従って右手へ真っ直ぐ行くと、突き当りにその神社が見えてくる。
重蔵神社だ
鳥居がないことからわかるようにこちらは正面ではなかった。
ただ、さっそく狛犬の姿がある。
まるで門番のようにいる。それでいて看板を掲げながら誘客しているかのようにも見える。
吽形だ
角もあり、表情も鬼系の厳ついものであるのに前足で神社の案内板を持っているようにも見えるからギャップが可愛い。
お店の前で誘客するマスコットのようにも見えてくる。
案内板によると重蔵神社が「重蔵さん」と呼ばれて親しまれているようだ。こういう荘重すぎない雰囲気もマスコットのように見えてくる要因となっているのではないだろうか。というか、この写真だとこの狛犬そのものが「重蔵さん」という愛称で呼ばれているかのように勘違いしてしまう。
阿形も看板を抱えているかのよう
こちらは口を開けている分、訴求がなんとなく強く感じる。
口上が巧みで威勢もいい露天商のようにも見えてくる。
胴体はなかなかの格闘家系
アバラ骨というか鍛えた筋肉が盛り上がったかのように段差が出来ている。
前足も長めで格闘に向いていそうだ。
看板は針金でその足とつながっている
看板はただ立てかけてあるのではなく彼らが支えているようだ。
宮司さんからすると利用できるものはなんでも利用してしまえといった考えなのかもしれないが…。
なお、こちらの1対は台座に彫られた文字を見る限り昭和生まれの狛犬のようで、比較的新しい方だ。
表題にある「古い3対」ではない。それでもウェルカムマスコットのようで個性的である。
正直、この狛犬だけでブログを一本書きたくなったくらいだ。
境内の金比羅社に逆さな古い1対
看板を支える狛犬たちの間を抜けて境内に入ってみると、左手に境内社である金比羅社がある。
そこの狛犬が金沢でよく見られる「逆さ狛犬」系の尻上タイプであった。
こちらがその金比羅社
茂みに隠れて狛犬がいる。
しかもお尻を突き上げた格好をしているのだ。
金沢の逆さ狛犬というと、後ろ足が宙に浮いてしまうほど逆立ちしているので、それと比べると種類が違って見えるが。
(追記:正確にはこちら「逆さ狛犬」ではないようです。「出雲」狛犬で見られる「構え獅子型」とのこと)
吽形
そして阿形
いい反りっぷりで、おまけに年季がすごい。
あちこちヒビも入っているし、表面もうっすら苔に生(む)されている。
阿形の台座にいたっては割れている
加賀を代表する逆さ狛犬の多くはどれも明治や大正時代に作られたものだ。
というのも明治期に神社庁が狛犬の規定を設けたらしく、以降狛犬の姿は一般的なお座りタイプに統一されていったそうなのだ。
加賀の石工はへそ曲がりな人が多かったそうで、統一される前に「逆さ狛犬」のような変わったポーズの狛犬を何体も制作したらしい。
統一される前だから文句は言わせないという、反骨心にも似た根性だ。
そのおかげで石川県には逆さ狛犬が多いそうなのだ。
こういうのってある意味ロックの象徴でもあるのかもしれない。
と同時に、お座りタイプではない狛犬は、それだけで大正以前の古い狛犬であるということにもなる。
ここの狛犬の台座を見る限り製造された年代を特定することはできなかったが、昭和以降でないことは確かだろう。
昭和以降は、いわゆる岡崎現行型と呼ばれるタイプのものが全国的に製造され、すごく増えた。あまりに増えて見慣れすぎたために狛犬好きの人の中には昭和以降の狛犬に興味を示さない方もいるくらいだ。逆さ狛犬のような大正や明治時代の狛犬はなかなか珍しいのである。
見ようによっては茂みの中にお尻をおっ立てて隠れているよう
頭隠して尻隠さずっていう慣用句をその身で示してくれているようでもある。
本殿には明治時代の狛犬
本殿
境内には他に摂社がいくつもあった。この重蔵神社、なかなか広いのである。
その中央付近にドーンと建っているのがこの本殿だ。
この重蔵神社、社伝によると紀元前一世紀頃の崇神天皇の治世に創建されたという。
あくまで社伝なのでそれが本当かどうかは確かではないけれど歴史のある神社であることは間違いない。
本殿そのものは明治43年に輪島大火で一度全消失してしまっている。
消失した旧本殿は明治39年に古社寺保存法に基づく特別保護建造物という、現代で言うところの重要文化財に指定されていたそうで、いまあるのは消失したその旧本殿に基づいてた再建されたものだ。
柱にはこんな彫像も見受けられるが…
これも旧本殿の時代からあったものだろうか?
なかなかファンキーだ。
さて、この本殿の前にも狛犬がいる。
西日が当たる吽形と…
松の陰に隠れてしまっている阿形
どちらもカラダがずんぐりとして、かつ表情が柔らかい。
口を開けている阿形も吠えているのではなく笑っているみたいだ。
ぬいぐるみ化しやすそうなスマイルだ。
彫られた柄はかなりキレイに残っている
こうしてみると派手に石が欠けたところも見られず、保存状態が良い。
寄ってみると細かいひび割れも散見
ただ、表面の石のざらつき具合は、それでも「劣化」ではなく「渋み」と捉えたい。
いずれにせよ年季を感じられる。
いつの時代の狛犬だろうかとその台座を調べていると、かろうじて「明治」と読める文字を発見した。
これ、どうやら明治時代の狛犬のようなのだ。
自分がこれまで目にした明治生まれの狛犬と言ったらほとんどが逆さ狛犬だったから、明治生まれでありながらお座りをした狛犬というのは新鮮であった。
しかもこの良好な保存状態だ、眺めていて軽く興奮してしまった。
稲荷社にも古い狛犬
狛犬が4対いると最初に記したように、この境内にはもう1対狛犬がいる。
境内の摂社の一つである稲荷社にその狛犬がいるのだ。
稲荷神社というと狛犬ではなく狛狐がメジャーである。その王道というか固定観念を裏切るようにこちらの稲荷社では狛犬がいるのだ。
重蔵神社境内の稲荷社だ
見てわかるように、しかもお尻を上げている狛犬だ。
凛々しくケツを上げている
狛狐ではないだけでも違和感があるのに、このタイプの狛犬なのだからさらに場違い感がある。
この珍しさは本殿前のお座りした明治生まれの狛犬以上であった。
おまけに阿形の扱いが雑
阿形がほとんど立て看板に隠れてしまっている。
見えているのは尻尾の先端くらいだ。
これでは金比羅社の狛犬のような頭隠して尻隠さずの比喩にも当てはまらないだろう。
ただの看板の柱代わりだ。
題材に彫られた「明治三十六年」
しかも明治時代に奉納という古いものなのに…
だんだんとここの宮司さんこそがファンキーに思えてきた。
阿形本人はメタルギアソリッドごっこをしているようでもあるけどね
撮りようによってはそう見える。
おかげで自分としてもだんだんとこの狛犬で遊びたくなってくる。
ということで怪しく撮る
シリアスに撮って背後からおいてプリケツも
ここから撮ると一気に庶民の香りがしてくる。
このギャップはなんだろうか。
モデルも意外と苦労が多いといったような華やかなファッション業界の裏側を見ているような気分だ。
なんにせよ衝撃的な扱いだった。
なお、この稲荷社の隣には「たぬき天神」という社もあった。
たぬき天神だ
そこにいたのが…
こちらのたぬき
再び衝撃的だった。
これ、居酒屋なんかで見かけるタヌキの置物ではないだろうか。
やっぱり、ファンキーだ。
まとめ
一つの神社の中に古い狛犬が3対もいるというのはやはり珍しい。
そして古いにも関わらず看板の柱にされるという雑な扱われ方も珍しかった。
ただ、雑な扱い方をされていても残酷には見えない。
これが不思議だった。
狛犬たちの表情がどこか癒し系だからだろうか。
なんだかんだで宮司さんも愛情を持って狛犬たちを利用しているからだろうか。
そんな憶測をしていると、宮司さんと狛犬たちとの間に阿吽の呼吸があるようにも思えてくる。
信頼関係のようなものだ。その信頼関係があるからこそ、古い狛犬がいまも状態良く残っているのかもしれないと、そう思えてくるのだ。
また、ここの狛犬たちを見ていると「古い狛犬ほど柔和な表情をしている」と思えてきたのだが、この勝手な法則もその信頼関係との因果関係(これ自体も自分の憶測であるが)を照らし合わせるとまんざら間違った法則ではないのかもしれないと手前味噌な納得をするのであった。
最後に改めて昭和生まれの1対の写真(背中)
重蔵神社では若手のこの1対の看板を掲げる背中を見ていると、明治生まれの先輩方に負けぬよう阿吽の信頼関係を築くために現在修行中であるかのようにも見えてきた。
ツッコミどころがある、いえいえ、想像力を膨らませてくれる神社や狛犬ってすばらしい。