以前、氷見市の磯部神社に立ち寄った時、そこで古い狛犬を見かけた。
久しぶりに狛犬写真家を自称しようかと目論む自分の狛犬好き根性が目覚めたので紹介したい。
藤が綺麗な氷見市の磯部神社
これまた過去の写真の整理をしていると、昨年に富山県氷見市から石川県七尾市に向かっている途中で磯部神社に立ち寄っていたことを思い出した。
磯部神社は藤の花で知られる神社で、西側の正面部にはかなり大きな枝垂れる藤の花が見れる。
ちょうど季節の頃に立ち寄っているので、昨年、なんで記事にしなかったんだろうかと、今となっては不思議でならない。
自分は「花より狛犬」な人間ながら、まずはその磯部神社の藤の写真もいくつか並べたい。
まずはその地図
県道18号を走っていると見えてくる神社だ。
鳥居が大きくてすぐに目につく。
衝動撮影をしてしまうカメラ初心者な自分はついつい車を停めてしまった。
磯部神社だ
氷見市磯辺というところにある。
その鳥居の奥に早くもでっかい藤の花が見える。
鳥居とともにこの垂れた藤も運転中に目にとまった。
車を降りて境内へ
駐車場は鳥居の前にある。
ちょうど自分以外に人がいたので群生している藤の花の大きさが比較できるかと思う。
人間と比べるとモビルスーツ並みにデカイ。
近寄って撮影
もっと寄りの画で撮ればいいのだろうけど、結構高いところに花がいるのでこんな写真になってしまった。
何にせよ、ブドウみたいに藤の花が垂れ下がっている。
この枝垂れた花の下をくぐるように石段を登っていくと、拝殿へと行ける。
石段へ
なかなか急な石段であったが、日陰になっているので初夏のこの頃には涼しくて良かった。
途中、手水舎もある。
龍がいい面をしていた手水
なお涼しくて良い。
そんなに長くないとはいえ、石段を登るの結構疲れるのでいい小休止になるかと思う。
拝殿に到着
この磯部神社、延喜式神名帳に記載された神社、いわゆる「延喜式内社」なんだとか。
そういえば鳥居の横にこんな柱もあった
「延喜式内」とある。
そういう社格があるらしい。知らなかった…
明治の狛犬
拝殿の前に目的の狛犬もいる。
全体図を撮るのを忘れてしまったので一体ずつその写真を並べたい。
左側にいた吽形の狛犬
そして…
右側にいた阿形の獅子
向かって左側に口を閉じた吽形、右側に口を開けた阿形というのは一般的だ。
金沢市の古い狛犬だとこれが逆になっていることがしばしばあるので、金沢市民としてはこの一般的な配置のほうが新鮮に感じることがある。
もちろん、それは「古い」狛犬に限っての話だ。最近のものは金沢市内でも左に吽形、右に阿形の一般的な並びが多い。
こう注釈を入れてしまうくらい、この狛犬も古いということだ。
明治三十八年と彫られてあった
「戦役凱旋軍ノ紀念」とある。
明治三十八年(1905年)といったら、前年より日露戦争を行っている。
兵士たちの凱旋を紀念して作られたものだということだろう。
その顔は愛らしい
現在は昭和以降につくられた岡崎現代型が主流なのだけど、そちらはどちらかというと猛々しい。比べてここのは耳もたれて、吽形の閉じた口もちょっとアヒル口みたいだ。
古いものだけど黒目の顔料がまだちょっと残っているのが貴重だ。
それだけ保存が良いということだ。
爪もきれい
足の指の爪までその形がはっきりわかるくらいきれいに残っている。
本当に明治に作られたものなのかと疑ってしまうほどだ。
阿形のお顔もチェック
こちらは顔に若干の苔のようなものも見られるが、その開いた口から見える舌は欠けることなくキレイに残っている。
その歯も虫歯知らずのように並んでいる。
100年近く外に置かれているものなのに、ほんと、保存が良い。
しっぽ
背中の尾っぽは炎系だ。
表情にしろ、この背中にしろ、こういう形状の古い狛犬は石川県金沢市内でもいくつか目にしている。
北陸どうし、似たようなものがあっても不思議ではない。
陽だまりを見つめて
こうしてみると、高い木々の下にこの狛犬達がいるのがわかる。
日が適度にあたっていたり、木陰で当たり過ぎなかったり、高い木々に守られているからこそ保存が良いのだろうか?
まとめ
明治に作られたとは思えないくらいきれいに残っているので、正直驚いている。
ものすごく貴重だと思う。
どうやったらこんなにきれいに残っていられるのか、その理由を知りたいものである。
寄進者の名前もくっきりと残っている
凱旋を記念するその願いがそれだけ強かったのかもしれない。
戦争のもろもろを風化させない、そんな役割もこの狛犬たちはしているのかもしれない。
それに紐づくように藤の花にも何か意味があるのではと、そこまで空想してしまった今回の狛犬撮影であった。