初心の趣

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日本のベニスこと富山県射水市新湊の内川を散策してきた<後編>(あゆの風の案内で上流へ)

富山県射水市新湊の内川を散策してきた話、その後編だ。

神楽橋から藤見橋へと歩いたその続きを記したい。

神楽橋へと戻り、そのまま上流の橋を見に行ってきた。

 

 

神楽橋へ戻る前にクロスベイ新湊へ

橋を巡ることが目的となった内川散策であるので、下流最後の藤見橋からふたたび神楽橋へと戻ることにした。

ただ、その前に「内川さんぽまっぷ」にも載っていた「クロスベイ新湊」という建物が気になってそちらにも立ち寄ることにしてしまった。

地図でいうとこんなところにある

藤見橋からも近いだろうと思って向かうことにした。

なお、この地図はクロスベイにあった地図だ。ちゃんと足を運んだことは、ここからも伝わるかと思う。

ちなみにこんな道を入ってくいことになった

下町っぽい路地だ。こういうところを歩くのも好みだ。

この道を真っすぐ進んでいる途中、民家の前でおばあちゃんが挨拶してきて、少し話したのだけど、その方、自分のことを学生だと思ったそうだ。

学生か… いまだに学生に間違えられるって… なんか恥ずかしい。

建物が見えてきた

この白と青の海や波をイメージしたカラーリングの建物が「クロスベイ新湊」だ。

正面に回るとこんな外観

スーパーやデパートみたいな商業施設なのかなと思っていたらちょっと違っていた。

射水ベイエリアの複合交流施設だった。

バス停もあるし、近くに万葉線の西新湊駅もあるし、地域公共交通「べいぐるん」の電動カート「べいかーと」や「べいとらいく」を貸してもらえる場所もあったりと、交通のハブ拠点のような場所でもある。

こちらが「べいぐるんのりば」

タクシー乗り場もあるし、とりあえずここに来ればいろんな交通機関を利用できる。

そばにはキッチンカーも止まっていたし、中に入ってみると、一階には食堂のようなところもあったので、食べ物にもありつける場所だ。

そのキッチンカーであるが、射水市が貸し出していたりする。

こちらが貸し出しているキッチンカー

フロントのネームが「いすゞ」かと思ったら「IMIZU」(射水)だった。

ナンバーもご丁寧に「・132」(いみず)だった。

このこだわり、自分にはツボだ。こういうの大好き。

中の食堂も貸館エリアで行われていたので、おそらく借りてお店をオープンできるのだろう。

他にも2階には射水商工会議所が入っていたり、射水ケーブルネットワーク(ケーブルテレビの会社)が入っていたりもした。

また屋上にも上がれ、そこからの眺めもいいというので…

登った

展望テラスだ。

エレベーターがあるので疲れずに上がれる。

町を望める

新湊の町を見渡せるのだ。

空も晴れていて雲もたくましいし、気持ちの良い景色だ。

方角によっては海の方ももちろん見える。

駅の方も見えたので…

下りて見に行く

ちょうど電車が来ていたが、すぐに発進してしまって車体全体を撮ることは出来なかった。

駅だけは撮影

万葉線の西新湊駅だ。

万葉線は「獅子舞トラム」や「ドラえもんトラム」といった個性的な電車が走っている。

自分が遠くで見かけた電車はおそらく獅子舞トラムだ。

ドラエもトラムがあるのは、作者の藤子・F・不二雄先生が万葉線最初の駅である高岡出身だからだ。

間近で見たかった。

代わりに線路を撮る

くやしいので線路だけ撮った。

新湊の町を一直線に突っ切る様が潔く、空との景色も心地よくて、これだけで妙な満足があった。

 

神楽橋そばの川の駅へ

かなり寄り道してしまった…

さて、この日は11本の橋を全て見ることを目標に定めたので、ふたたび最初に観た橋「神楽橋」へと戻った。

その直ぐ側に川の駅があったことを思い出し、歩きっぱなしで喉も乾いた(持ってきた水筒が空になった)ので、そこで飲み物にありつこうと向かうことにした。

ステンドグラスの橋に戻ってきた

神楽橋だ。

距離にしたらそんなに長くはないかもしれないけど、藤見橋へ歩いて戻ってきただけでずいぶんと久しぶりに感じた。

橋の側にはこんなお店もある

なんかあやしいお店だけど、こういうのを目にするとついつい撮影してしまうから、行って戻ってくるまで時間がかかっていたんだと思う。

そしてこちらが川の駅(神楽橋の上より撮影)

「川の駅 新湊」だ

道の駅なら何度も利用しているが、川の駅なんてものが存在しているなんて、この新湊に来て初めて知った。

もちろんやってくるのも初めてだ。

通常クルーズが停まったりする場所なので、たしかに川の駅だ。

もちろん、駐車場も少しあるので、車でやってくることもできる。

ここにも映画のロケ地巡りの案内が

神楽橋が映画『人生の約束』の最後の曳山まつりのシーンで登場しているそうだ。

でも実際の曳山まつりの巡航ルートには、この神楽橋は入っていないらしい。

「へぇ」と思いながら、この川の駅の外観やらを撮っていると、そこに自分に話しかけてくる60歳は過ぎているであろうおじさんが現れた。

その方、なんでもボランティアで観光案内をしている方だった。

観光ボランティアグループ「あゆの風」というのがある

この川の駅から観光案内をしているようなのだ。

名刺も頂いたけど、そこには「とやまふるさと大使」とも書かれてあった。

渋谷さんという方で、話好きなのか気さくに話しかけてくれて、映画の話から曳山まつりの話で盛り上がって、その流れからこの川の駅内に展示されている曳山を観賞する流れとなった。

このように川の駅舎内に曳山が展示されている

結構でかい。

なんでも新湊の曳山まつりの曳山は日中と夜とで少し姿が変わる。

ここに展示されている上部に花がついたものは昼間の姿で、夜になると花とか取っ払って、代わりに提灯がいくつも付けられるそうなのだ。

これがその提灯

曳山が昼と夜で衣替えするって珍しい。

提灯がついた曳山もなんかかっこよさそうだ…

この瞬間、曳山まつりを観に行きたくなった。

渋谷さん、さらに「時間あります?」と聞いてくる。

このとき、新湊出身の「立川志の輔」さんの話でも盛り上がっていて、志の輔さんの家があった場所も案内してくれるというのだった。

なんか面白そうだったので…

案内してもらった

あゆの風のポロシャツを来ている方が案内してくれた渋谷さんだ。

神楽橋から上流に向かって次の橋「山王橋」を目指し、その山王橋あたりで右折すると、写真の「中川餅店」がある通りに出る。

こちらがそのストリート

中川餅店の前を過ぎたあたりで左手に駐車場が見えるのだけど、そこが立川志の輔さんが子供の頃住んでいた家があった場所だというのだ。

このあたりらしい

古道具店をしていた母方の祖父母宅で祖父母と伯父夫婦と住んでいたそうなのだけど、今は駐車場になっているので、家が残っているわけではない。

代わりに、やはり同じ通りに志の輔さんのいとこだったかが営んでいる古道具屋が今も残っているそうで、その主に合わせてやると渋谷さんは案内してくれるのだけど…

残念ながらその日は開いていなかった

店が開いておらず、店主とももちろん会えなかった。

代わりに志の輔さんが子供の頃よく遊んでいたお寺を教えてもらった

浄土宗の曼荼羅寺というお寺だ。

先程の通りからもすぐ近くにあり、地理的なことを言うと、このお寺を正面に立って振り返ると、先程の中川餅店が見える。

さっきの渋谷さんの背中が写っていた写真は、この寺の前から撮っていたのである。

 

山王橋へ

立川志の輔さんの話から観光ボランティア「あゆの風」の渋谷さんと一緒に散策することになり、その流れで内川の残りの上流の橋も案内してもらうことになった。

渋谷さん、すごく話し好きで、案内したくてしたくてたまらないっていう感じの方だった。

説明も聞けるので、自分としてもありがたい話だった。

志の輔さんの住んでいた家があった通りからふたたび内川の方へ戻っていくと…

目的の次の橋がもう見える

なんか奇妙なオブジェが置かれているその橋が「山王橋」だ。

奇妙なオブジェというのは「手」だ

この山王橋は通称「手の橋」とも呼ばれている。

射水市出身の竹田光幸氏による手の彫刻が置かれているのだ。

渋谷さん曰く、この山王橋が内川で一番古い橋なんだとか。

本当か?と思ってしまうほど、結構新しいデザインに見える。

自分には『アダムスファミリー』の「ハンドくん」に見えてしょうがない。

なお、この手の彫刻、一つだけではなく他にもある。

このように

こちらはやさしく何かを包んでいるような「手」だ。

その下には「愛」とも書かれてあった。

蚊を退治ししている手付きにも見えなくもないが、その合わせ方はやわらかく優しさがあるので、やはり「愛」を示した「手」だろう。

まだある

こちらは下に「心」と書かれた「手」だ。

手と言うか、「拳」だ。

地面を穿つ鉄拳のようなデザインだ。

それで「心」なのだから、破壊的欲求なのだろうかとも想像してしまう。

心に鈍器(拳)を隠し持つ、なんてことを考えても妄想が広がっていく。

もう一つある

天を指さしながら「夢」である。

申し訳ない、もう『北斗の拳』のラオウしか思い描けない。

世の男子たちはね、こうやってラオウの人差し指に、漢の夢を抱いていたんだよ。

 

東橋へ

渋谷さんの案内は続く。

山王橋の次の橋が内川の橋の中でも特に名所となっているようなので、そこも観てもらいたい気持ちがビンビンと伝わってきた。

というか、ほんと話好きな方だ。

山王橋から次の橋までは道がちょっと湾曲していた

このカーブがまたいい。

途中、BARなんかもある

なんでも、ハワイ(だったかな)に住んでいた方が、この内川の景色を気に入って、ここでお店をオープンさせたんだとか。

その気持ち、なんかわかる。

ここ、映画の監督の奥さんの家なんだとか

この内川を舞台にした映画『人生の約束』の監督、石橋冠さんの奥さんが新湊出身の方なんだそうで、石橋冠さんはこの射水市新湊を第二の故郷と呼んでいるという。

新湊が舞台になったのも、そういう繋がりだ。

この家、もちろんこの日は石橋監督らはいなかった。代わりに工事をしている人がいて、渋谷さんは自分を案内していることも忘れてその人たちとしばらく喋っていた。

誰とでも気さくに話し、誰とでも仲良くなれる方だなと、自分などは感心してしまう。

その家の前からもう次の橋が見える

赤い屋根のものがそれだ。

家のような屋根をしているが、これが次の橋なのだ。

まあ、色が目立つ。ますます日本じゃないみたいに見えた。

さらに近づく

ここまで近づくと橋であることがわかる。

スペインのガリシア州出身の建築家「セザール・ポルテラ」氏が設計したんだそうだ。

竣工は平成4年10月だ。

屋根には月と

太陽が乗っている

昼間の姿もいいし、夜にはライトアップもされるというので、夜に見に来てもいいところなのだろう。

入ってみた

歩行者専用なので車では渡れないが、自転車は通れるようだ。

こんな佇まいなので、橋というより川に架かった長い東屋のようでもある。

実際、屋根のお陰で日陰になっているし、風通しもいいから、ここにいると涼しくって、川を見ながら休憩したくなる場所だった。

この日は34℃っていうほぼ猛暑日の気温だったものだから、自分はしばらくここから動きたくなくなったくらいだ。

皆さん考えることは一緒

浴衣を着てべいぐるんに乗って撮影をしていた学生モデルの子たちも、ここで屯していた。

ちなみにここも映画のロケ地巡りのスポットになっている。

さらには、ここからの景観は富山県民の貴重な財産である「とやまビューポイント」にも認定されていた。

自分も眺める

のんびりした、いい眺めだ。

やはりカーブがまた良くて、船も多く停泊しているからベニス(ヴェネチア)感も増し増しだ。

風に吹かれながら、こんな景色を眺めて涼めるんだ、日頃の喧騒もつい忘れてしまう。

いいところだ… そりゃ映画も撮りたくなる…

そんな言葉が自分の口からつい出てしまった。

なお、余談だが、この橋の近くには…

「カフェ uchikawa六角堂」というオーガニックコーヒーとサンドイッチのお店がある

写真の左端に見える赤色が東橋だ。

渋谷さんが急に案内してくれた。

ここの曲がり角、曳山まつりのときに山が通るところで、山が曲がりやすいように、この建物自体が六角形に設計されたんだとか。

だから店名も六角堂だ。

六角形の家ってなかなか珍しい。

なんでもここ、もともとは畳屋さんだったらしい。

しかもその畳屋さん、案内してくれている渋谷さんの実家だった。

高校生の頃までここに住んでいたそうだ。

いまは貸しているんだとか。

そりゃ、急に案内するわね。

ちなみにお父さんだったかの表札がそのまんま残されている

渋谷さんの名前(名字)を記事中に出そうか出すまいか迷ったけど、この表札を見たらどうせすぐにわかってしまうので、出すことにした。

 

放生津橋へ

では次の橋に向かおう。

東橋から次の橋はかなり近い。

すぐそこに見える

余裕で歩いていける。

いけるけど、ここまで来るまでずっと歩き続けて、持参していたマイボトルの中のお茶も川の駅前から底をついてしまっていたので、右手に見える自動販売機でたまらず飲み物を購入してしまった。

自分、SDGsなんて言葉が流行りだす前から、水筒(マイボトル)を持参派の人間なのだけど、空になってしまったのは久しぶりだ。自販機で買うのはもっと久しぶりだったから、買うとき変な緊張をしてしまった。

次の橋に向かう前に曳山格納庫も拝む

東橋の直ぐ側に曳山まつりの山の格納庫がある。

法土寺町の曳山がここにあるそうだ。

格納庫だけ見てもかなりデカい。

小誌なる看板もあったので勉強

歴史や特徴を教えてくれる。

こういうのを見ると、ますます10月に祭を見に行きたくなってしまう。

また、この正面には…

川沿いに船の形をした何かがあった

なんだこれは?

ため池か何かだろうか?

気になってしまって思わず撮ってしまっていた。

なお、この船の形のなにかの背後にある、川沿いに並ぶ木々は、これ、桜なんだとか。

春になると川沿いがピンク色になるので、それはそれで見に行きたくなった。

そういった会話をしていると…

もう到着

放生津橋だ。

放生津の読みは「ほうじょうず」と読む。

なんか鎧武者の銅像が立っている

なんでも室町幕府10代将軍・足利義材(あしかがよしき)の像なんだとか。

そのとなりに説明書きもあるんだけど、足利義材ってクーデターにあって幽閉された後、脱出してこの放生津にやってきて、ここで政治を行っていたそうだ。

知らなかったのだけど、室町幕府って一時期この富山県の放生津にて開かれていたのだ。

なんか、急にそのお顔が凛々しくなって見えてきた

最初目にしたときは「誰、この人」なんて失礼なことを思ったものだけど、お詫びしたい。

欄干には彫り物も

将軍たちがこの地にやってきた風景のものだと思われる。

歴史に触れ、歴史を学べる橋なのだ。

渋谷さんもさらに熱が入って説明してくれていた。

対岸側にはこんなオブジェも

金色のものは家紋だろうか。

はてさて何を示したものかは不明だ。

自分には「ペルソナ4」とかに出てきそうなシャドウ(敵)のようにも見えてきた。

こんなのもある

なんのマークか気になるところだ。

これもシャドウに見えてきたのだから、だいぶ疲れていたのだろう。

反対側にはこんな姿の像も

こちらも足利義材だ。

将軍はね、鎧武者姿だけじゃないんだよ、と小さい子たちに教えたくなる。

この橋からの眺め

上流を向いて眺めているんだけど、流れが穏やかに見えた。

周りの木、全部桜か…

10月の祭のときだけじゃなく、春にも来たくなったじゃないか。

 

二の丸橋へ

放生津橋から見えていたのが、内川さんぽまっぷ内では上流最後の橋となる二の丸橋だ。

そこへは案内無しで行った。

ここまで来るのに長く歩いて、かなり疲れていた自分。でも、途中から案内してくれていた渋谷さんのほうが疲れていたようで、結果として自分一人で向かったのだ。

写真で見ると、距離も結構離れている。

猛暑日近い危険な暑さの中、歩いていたのだから、渋谷さんが疲れるのもまあ当然だろう。

道路を歩いて向かった

疲れているといいながら、これが最後だからと取り憑かれたように歩いていたかと思う。

ラソンしたことないけど、それにも似た精神状態で気持ちが妙にハイになっていたりもした。

気がつけばもう到着

意外と近かったな、なんてことも思ったりしたものだから、頭のネジの一、二本はずれていたんじゃなかろうか。

これが二の丸橋だ

放生津城の城跡がすぐ近くにあり、その二の丸にちなんだ橋ということで、城っぽいモチーフのデザインになっている。

このデザイン、すぐ近くの放生津小学校の児童のアイデアが元になっているという。

比較的新しい橋で、平成19年(2007年)3月に出来たようだ。約15年前だ。

橋のすぐ足元に公園が見える

河川敷に遊具がある公園っていうのも自分の目には珍しく映った。

振り返るとこんな景色

二つ先の橋なのに、東橋の赤い屋根がよく目立つ。

ちなみに渋谷さんはこの頃その東橋にいて、撮影をしていた浴衣姿の学生さんたちと話していたそうだ。

学生さんたちを率いていた市の関係者が、仲間で顔見知りだったようである。

ほんと、よく喋る方だ、感心してしまう。

さて、戻ろう

帰り際に撮った内川はそれまで以上に穏やかに見えた。

かなり歩き疲れていたのだけど、なんかホッとする景色であった。

でも、次はもっとラクしたい

学生さんたちが乗っていた「べいとらいく」、ラクそうだったなぁ。

気持ちよさそうでもあったし。

今回歩いた同じ距離をまた散策するなら、これを借りるのもアリですな。

なお、ここで渋谷さんと合流したのだけど、一緒に川の駅に戻るはずが、この東橋に観光に来ていた一団に話しかけたと思ったら、その方々が渋谷さんの同級生や先輩方だったと判明して、昔話に花が咲き、咲きすぎて自分とはそこでお別れすることになった。

なんという喋り好き、そしてマイペースぶりか。

でも自分も極端なマイペース人間であるので、その気持ち、理解できたりする。

渋谷さん、疲れからか座って喋っているじゃないか

喋る口は全然元気そうだったけどね。

微笑ましい光景だった。

 

感想

帰りに川の駅で購入

以上、富山県射水市新湊の内川を散策した話である。

このまま川の駅まで戻り、そこで少し涼んで神楽橋近くの山王公園の駐車場へと戻った。

時間を見てみると、自分、あわせて3時間以上、内川を歩いていたようである。

腕とかすんごい日焼けしたし。

猛暑日近い炎天下にやることじゃないかもしれないけど、それくらい散策していて内川に引き込まれていたようである。

内川、不思議な魅力のある場所だ。

また、途中から案内してくれた渋谷さんのような人との出会いも面白かった。

これが一人旅の醍醐味だ。

自分は一人で行動しているとき、何でもかんでも計画通りに自分一人の力でやらなかればならないという考えは持たないようにしている。どちらかというと、困ったら誰かに助けてもらえばいいやと、すごく気楽に構えている。

意外と助けてもらえるものだし、その出会いが貴重な思い出になり、繋がりになったりするからだ。

今回も、内川のことをより知れたし、なによりまた来たくなった。

次はやはり曳山まつりのときだろうか。

再び、ここに来ることは間違いない。

お世話になった不動産屋の方に教えてもらった内川、あらためて、いいところだった。